第一話:私だけが白い怪物を見つけた
新連載です。
人の心が絵として見える少女と、心の中に白い怪物を抱えた少年の物語です。
少し不思議で、少し不器用な青春のお話になります。
まずは、天野歌音が相原賺を見つけてしまうところから。
私には、人の心が絵になる。
怒っている人は真っ赤な油絵。
悲しい人は雨の水彩画。
恋をしている人は花畑の風景画。
緊張している人はぐちゃぐちゃなクレヨン画。
人によって絵は違う。でも共通していることがある。
それは、みんな一枚だけだということ。
だから私は慣れていた。
人を見れば何となく分かる。その人が今どんな気持ちなのか。
だけど、高校二年生の春。
私は初めて見た。
――絵じゃないものを。
◇◇◇
「やばいやばいやばいやばい!」
私は全力で坂道を駆け上がっていた。
原因は寝坊。完全なる寝坊である。
昨日、美術部の課題に夢中になりすぎた結果だった。
「間に合えぇぇぇ!」
ダッシュ。
全力ダッシュ。
そして。
ガッ。
「ふぎゃっ!?」
盛大に転んだ。
しかも側溝に片足を突っ込んだ。
痛い。恥ずかしい。泣きたい。
でも私は立ち上がる。
伊東の女は強い。
……たぶん。
◇◇◇
教室のドアを開けると、先生が呆れた顔をした。
クラスメイトは笑っている。
私はへへっと頭を掻きながら空いている席を探した。
その時だった。
窓際に、一人の男子生徒がいた。
背が高い。
百八十センチ近い。
黒髪。
鋭い目つき。
ほとんど表情が動かない。
本を読んでいるだけなのに近寄りがたい。
まるで教室の空気から切り離されたみたいに、一人だけ静かだった。
そのとき。
私の頭の中に絵が浮かんだ。
いつものように。
だけど。
おかしかった。
◇◇◇
キャンバスが揺れる。
額縁が軋む。
絵の具が弾ける。
「え……?」
一枚絵じゃない。
ページだった。
スケッチブックみたいに、ページがある。
そして勝手にめくられていく。
一枚目。
巨大な白い怪物。
牙がある。
角がある。
大きな爪がある。
どう見ても怖い。
なのに。
怪物は傷ついた小鳥を手のひらに乗せていた。
二枚目。
迷子の猫を抱えている。
三枚目。
泣いている子供に傘を差している。
四枚目。
怪物自身が雨の中にいた。
一人ぼっちで。
「なにこれ……」
ページがさらにめくれる。
五枚目。
小さな男の子。
教室の隅に一人で座っている。
周囲には誰もいない。
その子を、白い怪物が守るように抱きしめていた。
息を呑んだ。
今まで見たことがない。
誰の心も一枚の絵だった。
なのに。
この人だけ。
物語になっている。
◇◇◇
「……でっか。」
気付いたら声に出ていた。
教室が静まり返る。
男子生徒が顔を上げた。
「はい?」
低くて落ち着いた声。
しまった。
完全に聞かれた。
「その……」
「何ですか。」
「後ろ。」
「後ろ?」
「怪物。」
「怪物?」
「いるら。」
「いません。」
即答だった。
「絶対いるだに!」
「いません。」
「めちゃくちゃ大きいら!」
「いません。」
「優しそうな怪物だに!」
「なおさら意味が分かりません。」
教室が爆笑した。
私は真っ赤になる。
なんで私が変な人みたいになってるの!?
その笑い声の中で、後ろの席の佐伯真央だけは顔を上げなかった。
膝の上に置いた文庫本を、両手でぎゅっと押さえている。
水色のガラスみたいな心が、ほんの少し震えていた。
でもその時の私は、相原くんの白い怪物に気を取られていた。
◇◇◇
その後、私は彼の名前を知った。
相原賺。
城ヶ崎高校の特別支援学級の生徒で、交流授業でうちのクラスに来ている。
軽度の自閉スペクトラム症があるらしい、と誰かが小声で言った。
「相原?」
「怖いよな。」
「全然しゃべらないし。」
「怒ってるみたいな顔してる。」
「近寄りがたい。」
そんな声が聞こえてくる。
私はもう一度、相原くんを見る。
確かに。
知らなければ怖い。
でも。
私には見えている。
あの白い怪物が。
小鳥を守っていることも。
猫を助けていることも。
誰にも見えない場所で泣いていることも。
◇◇◇
みんなは怖いと言う。
でも私は、そんな風には思えなかった。
むしろ気になった。
どうしてこの人だけ、こんな優しい絵を持っているんだろう。
どうして怪物は、こんなに寂しそうなんだろう。
チャイムが鳴る。
相原賺は静かに立ち上がった。
そして教室を出て行く。
私はその背中を見送りながら、小さく呟いた。
「絶対、放っとけないら。」
そのとき。
最後のページが開いた。
白い怪物が。
私を見ていた。
まるで――
『見つけてしまったね』
そう言うみたいに。
第一話でした。
歌音には、人の心が絵として見えます。
けれど相原賺の心だけは、一枚の絵ではなく、ページを持つ物語として見えました。
白い怪物は何なのか。
そして、歌音はその怪物とどう向き合っていくのか。
続きも読んでいただけたら嬉しいです。




