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『きみの心は怪物でした。』  作者: 源三郎


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14/21

第十三話:有名になるという騒音

第十三話では、受賞によって二人の絵が学校や地域で話題になります。

うれしいはずの評判の中で、歌音と賺は、自分たちの作品や賺のことが外側の言葉で語られていく怖さに触れます。


優秀賞の賞状は、翌週の月曜日に美術室の棚の上へ置かれた。


筒から出され、先生が額に入れた。


額に入ると、賞状は急に学校のものみたいになる。


私が両手で抱えて帰った時は、まだ少し私たちのものだった。


駅前の風にこつんと当たっていた銀色の筒。


あれは、ちゃんと私の腕の中にあった。


でも今は、棚の上でまっすぐ立っている。


『優秀賞』


天野歌音。


相原賺。


名前が並んでいる。


「額、強い」


私は言った。


玲子が横で頷いた。


「額に入ると、急に校長室の親戚になる」


「賞状に親戚ある?」


「ある。校長室の額縁一族」


相原くんは額の角を見ていた。


「額縁一族という分類はありません」


「相原くん、今日も正確」


「額縁には規格があります」


「親戚じゃなくて規格」


先生が賞状の位置を直した。


「ちょっと右かな」


相原くんが即座に言った。


「三ミリです」


「三ミリ?」


「右へ三ミリで中央に近づきます」


先生は賞状を持ったまま固まった。


「相原、今のは助かるけど、プレッシャーがすごい」


「すみません」


「いや、直す」


先生は本当に三ミリくらい右へ動かした。


「どう?」


相原くんは額を見た。


「良いと思います」


先生はほっと息を吐いた。


「全国二位の三ミリ、緊張するな」


玲子が小さく笑う。


私は賞状を見上げた。


うれしい。


ちゃんとうれしい。


二位でも。


優秀賞でも。


そこに名前があることが、うれしい。


「すごいね」


私は小さく言った。


相原くんは賞状を見たまま答えた。


「はい」


「外に出て、戻ってきたね」


「はい」


「戻ってきても、ちょっと違うね」


相原くんは少し考えた。


「見られたあとだからだと思います」


その言葉は、額のガラスに薄く映った。


◇◇◇


違いは、その日の昼休みから始まった。


廊下を歩いていると、知らない一年生がこちらを見た。


二人。


三人。


ひそひそ声。


「あの人たち?」


「絵の」


「全国の」


私は足を止めなかった。


止めると、聞いてしまう。


聞かなくても聞こえているのに、止めるともっと聞こえる。


相原くんは私の隣を歩いていた。


いつもより、視線が下にある。


床。


廊下の線。


靴のつま先。


歩く場所を確認している。


白い紙片は、相原くんのファイルの中にある。


机はない。


でも、持っている。


私はそれを知っている。


「大丈夫?」


聞くと、相原くんはすぐには答えなかった。


階段の手前で止まり、手すりの位置を確認してから言った。


「見られています」


「うん」


「名前を知っている人が増えました」


「うん」


「でも、全員が話しかけてくるわけではありません」


「うん」


「今は、歩けます」


「分かった」


玲子が後ろから言った。


「歌音も歩けてる?」


「歩けてる」


「足元」


私は足元を見る。


今日はRもLも書いていない靴下。


左右の確認ができない。


「無地の罠」


「靴下に罠を感じるな」


「全国二位の足だから」


「まだ言う」


相原くんが階段を一段下りて、振り向いた。


「足は受賞していません」


「この前から継続してる」


私は言ってから、はっとした。


今のは内側の番号みたいで変だ。


玲子が眉を上げる。


「何の十二?」


「靴下の話の十二」


「靴下に話数つけないで」


相原くんは真面目に考えていた。


「靴下の話は、十二個もありません」


「数えないで」


廊下のひそひそ声が、少し遠くなった。


笑えると、音の大きさが変わる。


消えるわけではない。


でも、全部が刺さらなくなる。


◇◇◇


放課後、美術室に行くと、先生が新聞を持っていた。


「載ったぞ」


先生の声は明るかった。


私は反射で走りそうになって、玲子に襟をつかまれた。


「廊下は走らない」


「まだ走ってない」


「心が走った」


「心は校則違反?」


「歌音の場合、だいたい足が追いつく」


先生は新聞を机の上に広げた。


地方紙の地域欄。


小さな記事。


でも、写真がある。


私たちの絵。


『境界線の向こうにいる白』


その下に、私と相原くんの名前。


私は息を吸った。


新聞。


紙なのに、学校のプリントとは違う。


家のテーブルに置かれる紙。


知らない人の朝に混ざる紙。


そこに私たちの絵が載っている。


「すごい」


声が出た。


先生は嬉しそうに笑った。


「学校サイトにも載る。あと、市の広報の人からも連絡が来てる」


「広報」


私は新聞に目を近づけた。


玲子が隣で新聞の見出しを読んだ。


「『心の壁を越えた二人の絵』」


相原くんの指が止まった。


私は見出しを見た。


心の壁。


越えた。


二人の絵。


悪い言葉ではない。


たぶん、褒めてくれている。


でも、何かが少しずれた。


私たちは壁を越えたのだろうか。


白い紙片を持って、止まったり戻ったりしながら描いた。


越えたというより、壁の前に椅子を置いた。


たまに離れて、また座った。


そういう感じだった。


「違います」


相原くんが言った。


声は大きくなかった。


でも、はっきりしていた。


先生が新聞から顔を上げる。


「どこが?」


相原くんは見出しを指さした。


「壁を越えた、ではありません」


「うん」


先生はすぐ頷いた。


「そうか」


「壁があったかどうかも、分かりません」


「うん」


「境界はありました。でも、越えたかどうかは分かりません」


私は新聞の写真を見る。


右上の白。


青い線。


灰色の帯。


確かに、そこにあるのは「越えた」ではなかった。


「記事、訂正できるかな」


私が言うと、先生は少し困った顔をした。


「見出しの言い方までは、学校からは直せないかもしれない。ただ、次に取材が来たら、本人の言葉をちゃんと伝えよう」


本人の言葉。


私は相原くんを見た。


相原くんは新聞を見ている。


見出し。


本文。


写真。


名前。


どこを訂正すればいいのか、目が迷っているように見えた。


◇◇◇


次の日、学校サイトに記事が出た。


朝、教室に入った瞬間、クラスの誰かがスマホを見せてきた。


「天野さん、載ってるじゃん」


「見た見た」


「すごくない?」


「相原くんと二人で描いたんでしょ」


「共同制作ってやつ?」


言葉が机の上に積まれていく。


私は鞄を置く前に、スマホの画面を見せられた。


学校サイト。


写真。


賞状を持った私と相原くん。


少し斜めの賞状。


全国高校生絵画コンテスト優秀賞。


ここまではいい。


その下に文章。


『本校二年の天野歌音さんと相原賺さんが、全国高校生絵画コンテストで優秀賞を受賞しました。二人は互いの違いを乗り越え、共同制作で見事な成果を収めました』


互いの違いを乗り越え。


まただ。


越えたことになっている。


私はスマホを持ったまま固まった。


クラスの子は悪気なく笑っている。


「いい感じの記事だよね」


「すごいじゃん」


「青春って感じ」


青春。


その言葉が、机に置かれた筆洗いみたいに、少し揺れた。


私たちは青春をしていたのだろうか。


たぶん、している。


でも、こんなにすっきりした色ではなかった。


「ありがとう」


私は言った。


それ以上の言葉が出なかった。


玲子が席から立って、スマホを覗いた。


「賞状、斜めだね」


クラスの子が笑った。


「そこ?」


「全国の斜め」


「たしかにちょっと斜め」


「二センチ問題があった」


「何それ」


玲子は肩をすくめた。


「企業秘密」


その場の空気が少し笑いに流れた。


私はその間に、自分の席へ座った。


助かった。


でも、スマホの画面の文章は頭の中に残った。


互いの違いを乗り越え。


見事な成果。


言葉がきれいだ。


きれいすぎて、どこに手を置けばいいか分からない。


◇◇◇


昼休み、美術室には相原くんが先に来ていた。


机の上には、新聞の切り抜き。


学校サイトを印刷した紙。


市の広報から来た取材依頼のメールを先生が印刷したもの。


三枚。


紙が三枚あるだけなのに、机が狭く見える。


相原くんはそれを、左から順に並べていた。


新聞。


学校サイト。


取材依頼。


その横に、白い紙片。


今日は机の中央ではない。


でも、かなり近い。


「こんにちは」


私が言うと、相原くんは顔を上げた。


「こんにちは」


「紙、多いね」


「はい」


「紙が会議してる」


「紙は会議しません」


「でも、机が会議っぽい」


「それは分かります」


玲子が後ろから入ってきた。


「紙会議、始まってる?」


「始まっています」


相原くんは即答した。


「相原くんが認めた」


「紙が会議しているのではありません。紙について会議します」


「議題、紙」


「はい」


玲子は椅子を引いた。


「議事録係、着席」


私は相原くんの向かいに座った。


先生は少し離れたところにいる。


すぐ口を出さないように、わざと離れてくれているのが分かった。


相原くんは三枚の紙を見た。


「訂正したいところがあります」


「うん」


「でも、全部を訂正すると、文章のほとんどになります」


私は息を吸った。


新聞の見出し。


学校サイトの文章。


取材依頼の文面。


そこには、たぶん好意がある。


祝う気持ちがある。


でも、好意で包まれた言葉でも、ずれることがある。


「どこが一番いや?」


私が聞くと、相原くんはすぐには答えなかった。


紙を一枚ずつ見た。


指先が、学校サイトの印刷に止まる。


「乗り越えた、という言葉です」


「うん」


「僕は、障害を乗り越えてはいません」


美術室が静かになった。


その言葉は、机の上に置かれた。


白い紙片より、重かった。


「今もあります」


相原くんは続けた。


「予定変更は苦手です。大きい音も苦手です。人がたくさんいる場所も、疲れます」


「うん」


「壇上へ行けたのは、なくなったからではありません」


「うん」


「手順を作ったからです」


私は膝の上で手を開いた。


「うん」


相原くんは取材依頼の紙を見た。


「でも、短く言わないと伝わらないかもしれません」


「短く?」


「長く説明すると、記事に入りません」


玲子が頷いた。


「見出しは短いからね」


「はい」


「短い言葉ほど、強くなる」


「はい」


相原くんは黙った。


短い言葉。


強い言葉。


乗り越えた。


感動。


奇跡。


そういう言葉は、短くて強い。


でも、相原くんの言葉は、もっと細い。


細いけれど、切れない線みたいな言葉。


「相原くん」


私は言った。


「短くても、相原くんの言葉でいいと思う」


言ってから、少し怖くなった。


また私が決めていないか。


言葉を渡すふりをして、相原くんの口を動かそうとしていないか。


私はすぐに足した。


「今じゃなくてもいい」


相原くんは白い紙片を見た。


手を伸ばす。


机の中央に置く。


私と玲子は黙った。


先生も、離れた場所で止まった。


白い紙片。


何も書かれていない場所。


相原くんはその白を見て、目を閉じた。


一回。


二回。


呼吸する。


「言います」


相原くんは目を開けた。


「でも、一度書きます」


「うん」


玲子が鉛筆を差し出した。


「議事録係から貸与」


「ありがとうございます」


「返却期限は?」


「今日中ですか」


「消しゴム付きだから高級」


相原くんは鉛筆を見た。


「消しゴムは小さいです」


「高級感が消えた」


私は少し笑った。


相原くんも、肩を下げた。


笑ったわけではない。


でも、机の上の紙の圧が少し減った。


◇◇◇


取材は、放課後に美術室で行われた。


地域の広報の人が来た。


女の人で、首からカメラを下げている。


声はやわらかい。


でも、ノートを開く音が早い。


「受賞おめでとうございます」


「ありがとうございます」


私と相原くんは並んで頭を下げた。


玲子は少し離れた席で、議事録係ではなく見守り係になっている。


先生はさらに後ろ。


美術室の机には、私たちの絵の写真と、新聞と、白い紙片。


広報の人が最初に聞いた。


「お二人で描くのは、大変でしたか」


私は相原くんを見る。


相原くんは、机の白い紙片を見た。


置かない。


ただ、見た。


「大変でした」


相原くんが言った。


広報の人はペンを走らせる。


「どんなところが?」


「相手の線を、自分の線だと思わないところです」


ペンが止まった。


広報の人が顔を上げる。


「相手の線を」


「はい」


「自分の線だと思わない」


「はい」


私は隣で息を止めた。


それは、とても相原くんらしい言葉だった。


広報の人は少し考えて、ノートに書いた。


「天野さんは、どうですか」


「私は」


私は絵の写真を見る。


右上の白。


青い線。


灰色の帯。


「描きたい気持ちを、全部すぐ紙に置かないところです」


「我慢する、ということですか」


「我慢というより」


私は言葉を探した。


「待つ、です」


広報の人は頷いた。


「待つ」


「はい。待っても、なくならないものがあるって分かったので」


言ってから、胸が少し熱くなった。


これは、私の言葉だ。


相原くんの言葉を借りていない。


見えた心を説明していない。


私が、私の手で覚えたことだ。


広報の人は次に、少し慎重な声で言った。


「相原さんは、今回の制作で、ご自身の苦手なことを乗り越えたという感じがありますか」


来た。


乗り越えた。


その言葉。


私は膝の上の手を握りかけた。


でも、相原くんが先に白い紙片へ手を伸ばした。


机の中央へ置く。


広報の人が驚いて手を止めた。


先生が静かに説明した。


「すみません。少し待つ合図です」


「あ、はい」


広報の人はペンを置いた。


美術室が止まる。


相原くんは紙片を見る。


呼吸する。


一回。


二回。


三回。


それから、顔を上げた。


「乗り越えたのではありません」


声は震えていなかった。


「今もあります」


広報の人は、ペンを持たずに聞いていた。


「でも、描く手順は増えました」


短い。


でも、強かった。


強いのに、乱暴ではなかった。


相原くんの線みたいな言葉だった。


広報の人はゆっくり頷いた。


「そのまま載せてもいいですか」


相原くんは少し考えた。


「はい」


「ありがとうございます」


広報の人は、その言葉をノートに書いた。


一文字ずつ。


今度は急がなかった。


◇◇◇


取材が終わったあと、先生は広報の人を職員室まで送っていった。


美術室には、私と相原くんと玲子だけが残った。


机の上には、白い紙片。


相原くんが中央に置いたまま。


私はそれを見ていた。


「言えたね」


言ってから、言い方が軽すぎた気がして、すぐ口を閉じた。


相原くんは白い紙片を見た。


「はい」


「ごめん。今の、軽かった」


「軽くはありません」


「そう?」


「はい。事実です」


玲子が椅子の背にもたれた。


「事実、強いね」


「はい」


相原くんは新聞の切り抜きを見た。


学校サイトの印刷も。


取材依頼の紙も。


「全部は訂正できません」


「うん」


「でも、今日の言葉は、僕の言葉です」


「うん」


私は新聞の切り抜きを見た。


昔の私なら、ここで思ったかもしれない。


相原くんの心が、少し自由になった。


白い怪物が、新聞の文字を破った。


そういう絵を、勝手に作ったかもしれない。


でも今は、見なかった。


相原くんの心を覗かなかった。


机の上の白い紙片を見る。


何も描かれていない。


何も書かれていない。


それでいい。


「私も、前にやってた」


声が出た。


相原くんが私を見る。


「何をですか」


「相原くんのこと、私の言葉で勝手に絵にしてた」


私は新聞を見た。


心の壁。


乗り越えた。


感動。


どれも、誰かが分かりやすくするために置いた言葉。


「これに怒った時、昔の私にも怒ってる感じがした」


玲子は何も言わなかった。


相原くんも、すぐには答えなかった。


でも、紙片を端へ戻した。


中断が終わる。


それだけで、少し息ができた。


「天野さんは」


相原くんが言った。


「今、訂正しました」


「訂正?」


「はい。前にしたことを、今の言葉で訂正しました」


胸が痛い。


でも、嫌ではない痛みだった。


「訂正って、できるんだ」


「できます。全部ではないと思います」


「うん」


「でも、一部はできます」


私は新聞の切り抜きをたたんだ。


たたみ方が少しずれた。


相原くんが見ている。


「曲がってる?」


「はい」


「直す?」


「直したいです」


「お願いします」


相原くんは新聞を受け取って、角を揃えた。


ぴったり。


怖いくらいぴったり。


いや、怖くはない。


気持ちいい。


「全国二位の折り目」


玲子が言った。


「折り目は受賞していません」


相原くんが即答した。


「足と同じ扱い」


私は笑った。


新聞の見出しは、まだ変わらない。


学校サイトの文章も、すぐには変わらないかもしれない。


でも、机の上には別の言葉が残っていた。


乗り越えたのではありません。


今もあります。


でも、描く手順は増えました。


相原くんが自分で置いた、短い線みたいな言葉。


私はそれを、勝手に絵にしない。


ただ、スケッチブックを開いた。


白いページを一枚出す。


「次の絵」


私は言った。


「テーマ、今すぐ決めなくていいけど」


相原くんは白いページを見た。


「手順が増える絵」


「それ、タイトル?」


「違います。仮です」


「仮にしても固い」


玲子が言った。


「じゃあ、仮タイトル『紙会議その二』」


「もっと固い」


「会議が増えた」


相原くんは少し考えた。


「会議は必要です」


「認めちゃった」


私は笑って、白いページの端に小さく日付を書いた。


外側の言葉は、まだ美術室の外で鳴っている。


廊下にも、スマホにも、新聞にも。


でも、机の上には白い場所がある。


まだ誰の見出しにもなっていない場所。


相原くんは鉛筆を持った。


私は筆を洗った。


水の音が、新聞紙のこすれる音より大きく聞こえた。


第十三話では、新聞や学校サイトの言葉に揺れながら、賺が「乗り越えたのではありません。今もあります。でも、描く手順は増えました」と自分の言葉で訂正しました。

歌音も、かつて自分が賺の心を勝手に物語にしていたことに気づき直します。

次回は、賺が白い怪物に「余白」という名前を与える回です。

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◇◆ ここまで読んでくださり、ありがとうございます ◆◇

歌音が見つけたのは、
怖い怪物ではなく、誰よりも不器用で優しい心でした。

――見えるからこそ、分からない。

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