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『きみの心は怪物でした。』  作者: 源三郎


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11/21

第十話:怖いのは、近づくこと

第十話では、昨日のシンクロを賺がどう受け止めたのかを少しだけ言葉にします。

近づくことは嬉しいだけではなく、怖い。

それでも二人は、離れるためではなく、続けるための合図を作ります。


次の日の放課後。


私は美術室の前で止まっていた。


扉は閉まっている。


中からは、誰の声もしない。


昨日の紙は、たぶん棚の上で乾いている。


青。


黄色。


白い場所。


揃いすぎた筆と鉛筆。


私は右手を見た。


昨日、なかなか開かなかった手。


今日は開いている。


開いているけれど、勝手に扉を開けようとはしない。


えらい。


右手、成長している。


「歌音」


後ろから声がした。


玲子だった。


手にはコンビニの袋。


「まだ入ってないの」


「右手と会議してた」


「議題は?」


「扉を開けるかどうか」


玲子は袋からチョコを出した。


「採決は?」


「保留」


「じゃあ、糖分を議会に提出します」


「可決」


私はチョコを受け取った。


右手は迷わず包みを開けた。


議会、買収に弱い。


「相原くん、まだ来てない?」


玲子が美術室の扉を見る。


「うん」


「昨日、途中で帰ったんでしょ」


「帰ったというか、中断した」


「その違い、大事?」


「大事」


私はチョコを口に入れた。


甘い。


なのに、喉の奥が少し固かった。


「追いかけなかったんだ」


「うん」


「えらいじゃん」


玲子はそう言って、扉の横の壁に背中を預けた。


私は返事をしなかった。


褒められると、昨日の自分が泣きそうになる。


泣くほどのことはしていない。


ただ、追いかけなかっただけ。


聞きたいことを聞かなかっただけ。


それだけなのに、右手より胸のほうが会議を長引かせている。


「今日、来るかな」


私が言うと、玲子はスマホの画面を見た。


「来るとは思う」


「なんで?」


「あの人、続きをするかどうか考えますって言ったんでしょ」


「うん」


「考えた結果は、たぶん伝えに来る」


「たぶん?」


「百パーセントって言うと、外れた時に歌音が床になる」


「床にはならない」


「昨日ちょっと紙になってた」


言い返せなかった。


私は扉の前から半歩だけ離れた。


美術室に入らないで待つ。


それくらいなら、できる。


◇◇◇


相原くんは、放課後のチャイムから十分くらい遅れて来た。


廊下の向こうから、いつもよりゆっくり歩いてくる。


手には鞄。


ファイルは持っていない。


それだけで、私は少し息を止めた。


今日は、制作をしないのかもしれない。


相原くんは私たちの前で立ち止まった。


「こんにちは」


「こんにちは」


「こんにちは」


三人分の挨拶が、廊下に並んだ。


玲子が袋を持ち上げる。


「チョコあります」


相原くんは袋を見た。


「制作に必要ですか」


「議会に必要」


「何の議会ですか」


「歌音の右手」


相原くんは私の右手を見た。


見たあと、わずかに首を傾げた。


「右手に議会はありません」


「知ってる」


「比喩ですか」


「たぶん」


「たぶんの比喩は、判断が難しいです」


玲子が小さく笑った。


その音で、廊下の空気が緩む。


相原くんは美術室の扉を見た。


それから、私を見る。


「今日は、先に話したいです」


「うん」


私は頷きかけて、首を止めた。


また「うん」だけで済ませそうになった。


「聞く」


そう言い直した。


相原くんは瞬きをした。


「はい」


玲子が扉を開ける。


「じゃあ、議会を美術室へ移します」


「玲子、議会気に入ってるでしょ」


「机があるから」


「机があると議会になるの?」


「歌音がいるとだいたい会議になる」


それは少し否定できない。


◇◇◇


美術室は、昨日のままだった。


棚の上に紙がある。


青は乾いている。


黄色も、昨日より落ち着いている。


白い場所は、白いまま残っていた。


私はすぐ近づきそうになって、止まった。


今日は先に話す。


相原くんがそう言った。


なら、紙より先に相原くんを見る。


見る、と言っても、心の絵ではない。


椅子の引き方。


鞄の置き方。


指の動き。


そういう、目の前にあるもの。


相原くんは机の端に座った。


いつもの角度より、少し遠い。


私は向かいに座ろうとして、迷った。


「ここでいい?」


椅子の背に手をかけたまま聞く。


相原くんは机との距離を見た。


「はい」


「近すぎない?」


「近すぎません」


「遠すぎない?」


「遠すぎもしません」


「じゃあ、ちょうど?」


「ちょうど、という言葉は少し広いです」


玲子が別の椅子に座った。


「今のは、だいたいちょうどって意味で受け取ろう」


「だいたいは、範囲が広いです」


「じゃあ、今日の議事録に書く。机の距離、暫定で可」


「議事録があるんですか」


「私の頭に」


「保存形式は何ですか」


「雑」


相原くんは少し考えた。


「検索しにくそうです」


玲子は胸を張った。


「できないよ」


「できないんですか」


「だから雑」


私は笑いそうになった。


笑っていいのか迷って、息が漏れた。


相原くんも、机の上を見たまま、肩の力を抜いたように見えた。


◇◇◇


「昨日」


相原くんが言った。


私は背筋を伸ばした。


「はい」


声が固くなった。


相原くんは一度、窓の方を見た。


外では運動部の声がしている。


遠い。


美術室の中には、紙の匂いと、乾いた絵の具の匂いがある。


「筆と鉛筆のタイミングが揃いました」


「うん」


「そのあとも、似たことがありました」


「うん」


「天野さんが悪いとは思っていません」


私は膝の上で手を握りかけた。


握る前に、開いた。


「でも、怖かった?」


相原くんは頷かなかった。


すぐには。


机の木目を見ている。


細い線を数えているようにも見えた。


「怖かったです」


声は小さくなかった。


でも、少し遅れて届いた。


「何が怖かったのか、全部はまだ説明できません」


「うん」


「でも、少しなら言えます」


私は頷かないで、待った。


相原くんが言葉を探す時、こっちが動くと、その動きまで拾わせてしまう。


相原くんは、右手の指先を机の下で一度だけ曲げた。


「予定外のことが、嫌ではなかったことです」


私は息を止めた。


「嫌じゃなかったのが、怖いの?」


「はい」


相原くんは机の上の紙を見た。


昨日の絵ではなく、空欄の応募用紙。


「僕は、予定があると落ち着きます。手順があると、次に何をするか分かります」


「うん」


「でも、天野さんと描いている時、予定にないことが起きました」


黄色。


水。


筆と鉛筆の音。


白い場所の手前で止まった定規。


昨日の小さな出来事が、机の上に戻ってくる。


「それを、嫌だと思う前に、受け入れていました」


相原くんの声は、いつもより平らだった。


平らにしようとしている声だった。


「自分の手順なのに、自分だけのものではなくなる感じがしました」


胸の真ん中が、きゅっとなった。


私はすぐに謝りそうになった。


でも、謝るだけだと、相原くんの言葉を丸めてしまう。


「それは」


私は一度、言葉を止める。


「私が、入りすぎた感じ?」


相原くんは少し考えた。


「入りすぎた、とは違います」


「違う?」


「天野さんが勝手に入ったというより、僕が扉を開けていました」


私は何も言えなくなった。


相原くんは、続けた。


「開けた覚えがないのに、開いていた感じです」


美術室の空気が静かになった。


玲子も何も言わない。


たぶん、議事録も止まっている。


「それが、怖かったです」


相原くんは言った。


「でも」


そこで、声が迷った。


「嫌ではありませんでした」


私は膝の上の手を見た。


開いている。


昨日と違って、ちゃんと開いている。


「私も」


声が出た。


「私も、怖かった」


相原くんが私を見る。


「天野さんもですか」


「うん」


今度の「うん」は、逃げではなかった。


「相原くんの線に、私の手が勝手に合っていくみたいで。嬉しかったけど、怖かった」


私は机の端を見る。


昨日、筆を置いた場所。


「また間違えるんじゃないかって思った」


「間違える」


「前みたいに、見えたものを正しいって思って、相原くんの心を勝手に描くみたいに」


相原くんは黙って聞いていた。


「でも昨日は、心を見たわけじゃない。見てないのに手が動いた。それが余計に分からなかった」


私は自分の右手を持ち上げた。


「この手、たまに私より先に会議を終わらせるから」


玲子が小さく言った。


「議会、また出た」


「出た」


「本日の重要単語」


相原くんは私の右手を見た。


「右手を止める方法はありますか」


「玲子監査員」


「私、常勤なの?」


「できれば」


「時給は?」


「チョコ」


「安い」


相原くんは真面目に玲子を見た。


「監査員に頼るだけでは、不在時に困ります」


玲子が笑った。


「正論が来た」


「はい」


「強い」


私は少し笑った。


笑ってから、机の上に視線を戻す。


「じゃあ、どうする?」


相原くんは鞄から小さな封筒を出した。


中には、白い紙が何枚も入っていた。


名刺より少し小さい。


きれいに切られている。


角も揃っている。


揃いすぎていて、玲子が感心した。


「売り物?」


「コピー用紙です」


「コピー用紙が緊張してる」


「緊張はしていません」


「してないのに、この直角」


相原くんは紙片を一枚、机の中央に置いた。


白い紙。


何も描かれていない。


「これを、止まる合図にしたいです」


私は紙片を見る。


小さい。


でも、机の真ん中にあると、ちゃんと目立つ。


「誰が置いてもいい?」


相原くんは頷いた。


「はい。僕でも、天野さんでも、三島さんでも」


玲子が自分を指さした。


「私も?」


「はい。速すぎると思った時」


「監査権限が増えた」


「必要です」


玲子は白い紙片を見て、真面目な顔になった。


「了解」


相原くんは続けた。


「紙片が机に置かれたら、筆と鉛筆を置きます」


「うん」


「理由をすぐ説明できなくても、中断します」


「うん」


「再開するかどうかは、そのあとで決めます」


「うん」


「あと」


相原くんは私を見た。


「これは、拒絶ではありません」


その言葉で、喉の奥が熱くなった。


私は白い紙片を見たまま、ゆっくり息をした。


拒絶ではない。


止まるだけ。


戻るために、止まる。


「分かった」


私は言った。


「紙片が置かれたら、止まる」


「はい」


「理由は、あとでもいい」


「はい」


「拒絶じゃない」


「はい」


玲子が手を上げた。


「議事録係から質問」


「どうぞ」


相原くんが答えた。


「この白い紙、風で飛んだらどうする?」


相原くんは固まった。


私は白い紙片を見る。


軽い。


とても軽い。


窓が開いていたら、飛ぶ。


たぶん飛ぶ。


「重しが必要です」


相原くんが言った。


玲子がチョコの袋を置いた。


「これ?」


「油分がつく可能性があります」


「却下された」


私は筆置きを指さした。


「これなら?」


相原くんは筆置きを見た。


「使えます」


玲子が頷く。


「合図用紙、筆置きで固定。議事録に追加」


「保存形式は雑ですか」


「ちょっと丁寧な雑」


「それは、雑です」


このやりとりの間、白い紙片は机の上にあった。


何も描かれていない。


何も言わない。


でも、そこにあるだけで、少し息がしやすくなった。


◇◇◇


話し合いのあと、私たちは制作を再開することにした。


再開する。


その言葉は、昨日より慎重だった。


私は筆を出す。


相原くんは鉛筆を出す。


玲子は少し離れた場所で、スケッチブックを開いた。


「監査員、配置につきました」


「本当に監査するの?」


「今日の私は時給チョコだから」


「まだ払ってない」


「前払い分を食べた」


「横領では?」


「監査員が横領するの、最悪」


相原くんがこちらを見る。


「監査員が横領すると、監査の信頼性が下がります」


「まじめに言わないで」


玲子が苦笑する。


私は少し笑って、筆を水に浸した。


紙は棚から机へ戻っている。


青は乾いて、昨日よりも薄く見えた。


黄色は海の中で、光みたいに広がっている。


白い場所は、右上に残っている。


そこへ何を置くかは、まだ決めない。


今日は、決めない場所があるまま描く。


私はパレットの上で、青に水を足した。


昨日より薄い青。


海というより、空の手前の色。


筆を紙へ近づける。


そこで、相原くんの鉛筆も動きかけた。


私は止まった。


相原くんも止まった。


二人で、白い紙片を見た。


まだ置かれていない。


机の端で、筆置きに押さえられている。


相原くんが言った。


「今は、止まらなくていいと思います」


「私も」


「理由は?」


「怖いけど、速すぎない」


相原くんは少し考えた。


「僕も、そう思います」


それから、鉛筆を動かした。


私は筆を置いた。


同時ではなかった。


相原くんの線が先。


私の色があと。


それでよかった。


細い線が、白い場所の手前で止まる。


私はその下に、薄い青を置いた。


線に触れないように。


でも、離れすぎないように。


紙の上で、青がゆっくり広がる。


相原くんはそれを見ていた。


「そこは、海ですか」


「海の手前」


「陸ではない?」


「陸でもない」


「空でもない?」


「空の手前でもある」


相原くんは眉をほんの少し寄せた。


「分類が難しいです」


「境界だから」


言ってから、私は自分の声に少し驚いた。


テーマ。


全国高校生絵画コンテスト。


境界。


応募用紙はまだ空欄。


でも、紙の上にはもう、境界がある。


海でも空でもない場所。


線でも色でもない場所。


近いけど、同じではない場所。


相原くんは紙を見た。


「境界なら、分類が難しいことは正しいかもしれません」


「正しい?」


「少なくとも、間違いではありません」


「それ、けっこう嬉しい」


「嬉しいの基準が分かりません」


「間違いじゃないって言われると、嬉しい時がある」


相原くんは少し考えた。


「分かる気がします」


私の筆が止まった。


「分かる?」


「はい」


相原くんは鉛筆を紙から離した。


「僕も、間違いではないと言われると、落ち着きます」


その言葉は、紙の上の薄い青より静かだった。


私は返事を探した。


ありがとう、は少し違う。


分かる、も少し早い。


だから、筆を置いた。


置いてから言った。


「じゃあ、今日は間違いじゃないところまで描こう」


相原くんは頷いた。


「はい」


玲子が小さく手を叩いた。


「議事録に追加。今日の目標、間違いじゃないところまで」


「雑だけど、いい」


「ちょっと丁寧な雑だから」


相原くんが言った。


「雑です」


玲子は笑った。


◇◇◇


制作は、ゆっくり進んだ。


昨日みたいに、手が先に走ることは何度かあった。


私が水を取ろうとする。


相原くんが先に筆洗いを少し寄せる。


私は手を止める。


相原くんも止まる。


白い紙片を見る。


「今のは?」


私が聞く。


相原くんは考える。


「まだ大丈夫です」


「私も」


それから続ける。


相原くんが線を引く。


私がパレットを寄せる。


近すぎる。


私は自分で気づいて、パレットを戻す。


「今のは、私が速かった」


「はい」


「はいが早い」


「事実なので」


「正確」


「はい」


玲子が鉛筆で机を軽く叩いた。


「歌音、自己監査できた」


「成長」


「右手、昇進」


「役職は?」


「係長」


「右手係長」


相原くんが真面目に言った。


「係長なら、責任が増えます」


「右手に責任を持たせないで」


「天野さんが言いました」


「言ったけど」


笑いながら、私は筆を洗った。


笑えるくらいの速さで進む。


それが、今日のちょうどいい速さだった。


途中で一度、相原くんが白い紙片に手を伸ばした。


私は筆を止めた。


玲子も鉛筆を止めた。


相原くんの指が、紙片の端に触れる。


でも、机の中央には置かなかった。


「置かない?」


私が聞く。


「置くかどうか、確認しています」


「そっか」


「今、白い場所に線を足したくなりました」


紙の右上。


まだ何も置いていない場所。


そこは、昨日から残っている。


「足したいの?」


「はい」


「足したら、落ち着く?」


「たぶん」


「でも?」


相原くんは白い紙片から手を離した。


「今は、足さない方が絵に必要だと思います」


私は右上の白い場所を見る。


白いまま。


まだ何もない。


でも、何もないから、そこに風がある。


「じゃあ、残そう」


私が言うと、相原くんは短く息を吐いた。


ため息ではなかった。


少しだけ、肩が下がる息。


「はい」


白い紙片は、机の端に戻った。


止まる合図は、使われなかった。


でも、使わなくてもいいことが分かった。


置ける場所があるだけで、手は少し遅くなる。


◇◇◇


下校時刻が近づいた。


今日の紙は、昨日よりも静かだった。


色は増えている。


線も増えている。


でも、うるさくない。


右上の白い場所は残っている。


私は筆を洗い、パレットを拭いた。


相原くんは鉛筆をしまい、紙の端の乾き具合を確認した。


玲子はスケッチブックを閉じた。


「今日の監査報告」


「あるの?」


「あります」


玲子は指を一本立てた。


「右手係長、暴走未遂二回」


「未遂ならセーフ」


「相原くん、白い場所を埋めたい衝動一回」


相原くんは真面目に頷いた。


「ありました」


「白い紙片、使用ゼロ回」


「いいこと?」


私が聞くと、玲子は少し考えた。


「置かなくても、置けるって分かってたなら、いいこと」


相原くんが白い紙片を封筒に戻す。


「明日も持ってきます」


「うん」


「天野さんも、持っていてください」


「私も?」


「はい」


相原くんは封筒から紙片を三枚出した。


私に一枚。


玲子に一枚。


自分のファイルに一枚。


白い紙片が、私の手のひらに乗る。


軽い。


昨日の右手より、ずっと軽い。


でも、なくしたら困る。


「名前書く?」


私が言うと、相原くんはすぐに首を振った。


「書かない方がいいです」


「なんで?」


「何も書いていないことに意味があります」


「そっか」


玲子が紙片を光に透かした。


「無記名の権限」


「なんか強そう」


「でもコピー用紙」


「急に弱い」


相原くんは鞄を持った。


美術室の窓の外は、昨日より少し明るく見えた。


同じ時間なのに。


たぶん、紙の色が違うからだ。


私たちは三人で紙を棚へ運んだ。


昨日より、少しゆっくり。


同じ速さではなく、確認しながら。


紙を置いたあと、相原くんは一歩下がった。


「今日の作業は」


私は思わず相原くんを見た。


昨日、言われなかった言葉。


相原くんは紙を見て、白い場所を見て、それから机の端の白い紙片を見た。


「中断できる状態で、成立しました」


私は笑った。


泣きそうな笑いではなかった。


ちゃんと笑えた。


「それ、いいね」


「はい」


相原くんは迷ってから、言った。


「近いのは、まだ怖いです」


「うん」


「でも、止まれるなら、続けられるかもしれません」


私は手のひらの白い紙片を見た。


何も描かれていない。


何も書かれていない。


でも、今日の私たちには必要なものだった。


「私も、続けたい」


相原くんは頷いた。


「明日、続きをします」


「うん」


玲子が美術室の電気を消した。


薄暗くなった部屋で、棚の上の絵だけが少し明るい。


青。


黄色。


白い場所。


そして、まだ使われていない白い紙片。


私は紙片をスケッチブックの間に挟んだ。


落とさないように。


折らないように。


明日、また机の上に置けるように。


第十話では、賺の「予定外を許せてしまう怖さ」と、歌音の「また間違えるかもしれない怖さ」が向かい合いました。

白い紙片は、拒絶ではなく中断の合図です。

次回は、この合図を持ったまま、二人の絵が全国コンテストへの応募へ近づいていきます。

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◇◆ ここまで読んでくださり、ありがとうございます ◆◇

歌音が見つけたのは、
怖い怪物ではなく、誰よりも不器用で優しい心でした。

――見えるからこそ、分からない。

続きが気になった方は、ブックマーク・評価・感想で応援していただけると嬉しいです。

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