書いた者
地上へ出たのは、夜明けだった。
カラン村の跡地からだ。
連中が掘り抜いた道を、逆に辿った。
村の下を通って、跡地の蓋から出た。
◇
外に、ハルマがいた。
村の男が八人。
全員、鍬を持って立っていた。
「ハルトさん」
「――ハルマ」
「無事ですか」
「無事だ」
◇
「あんたら、何をしてる」
「見張ってます」
彼は言った。
「二年前に、そう決めましたから」
彼は、跡地の囲いを見た。
「昨夜、よそ者が二十二人来ました。……止めましたが、押し切られました」
◇
「怪我人は」
「三人」
彼は言った。
「みんな、こっちの人間です」
「――すまん」
「謝らないでください」
彼は言った。
「二年前に、あなたは『何か起きるかもしれん』と言いました。……こっちは、二年考える時間をもらいました」
◇
俺は、その言葉を受け取った。
――二年、考えた。
考えて、鍬を持って立った。
二年前、俺は「知らせておけば、あの男は考える」と言った。
考える時間を二年やっただけだ、と。
◇
メルシアへ戻ったのは、その日の夕方だった。
南区は、無事だった。
人が出ている。
荷を戻している家がある。
◇
ギルドの前に、ダウムが立っていた。
俺を見て、何も言わなかった。
言わずに、中へ入って、また出てきた。
手に、紙束を持っている。
◇
「六百十四枚」
彼は言った。
「一枚も配らずに済んだ」
「――配らなかったのか」
「配る手前で止まった」
彼は言った。
「レイヴが走ってきて、『崩れるかもしれん』と言った。……そのあと、『崩れなかった』と言いに戻ってきた」
◇
「二度走ったのか」
「二度走った」
彼は言った。
「往復で九刻だ。……あの男、しばらく歩けん」
◇
俺は、ギルドの中に入った。
記録室に、セレンがいた。
卓に突っ伏している。
書付が、山になっていた。
◇
「セレン」
彼女が、跳ね起きた。
「――ハルトさん」
「戻った」
「マリさんは」
◇
俺は、答えなかった。
答えるのに、少し時間がかかった。
「――帰った」
俺は言った。
「地球へだ」
◇
セレンは、その言葉を受け取った。
受け取って、しばらく動かなかった。
それから、書付を取った。
「――記録します」
「頼む」
俺は言った。
「もう一つ、記録がある」
◇
俺は、ヨナの帳面を出した。
預かってきた。
彼は、上がった後で俺に渡した。
「書ける者に渡してください」と言って。
◇
「これは」
「星導省の当主が書いたものだ」
俺は言った。
「一夜分だ。……三百年で、初めて目的が書かれてる」
◇
セレンは、その帳面を開いた。
一行読んで、手が止まった。
二行読んで、震え始めた。
「――これは」
「読め」
◇
彼女は、読み上げた。
「〈我々は、他人の誘いを三百年盗み聞きしていた〉」
「〈句の意味は、帰ろう、である〉」
「〈四音である。十一音でも十三音でもない〉」
彼女は、そこで顔を上げた。
◇
「四音」
「四音だ」
俺は言った。
「あんたが二十年読んできた記録の、答えだ」
◇
彼女は、その頁を長いこと見ていた。
それから、こう言った。
「ハルトさん」
「なんだ」
「――私の二十年は、何だったのでしょう」
◇
俺は、その問いを受け取った。
――答えを持ってない。
だが、一つ言えることがある。
「セレン」
「はい」
「――あんたが読めなかったら、俺は句を四音だと知らなかった」
◇
「私は、読み違えていました」
「読み違えたところが、大事だった」
俺は言った。
「『帰る』と読んだだろう。……正しくは『帰ろう』だ」
俺は、彼女を見た。
「その差に気づけたのは、あんたが『帰る』まで持ってきたからだ」
◇
彼女は、しばらく黙っていた。
それから、書付を取った。
「――書きます」
彼女は言った。
「二十年分を、書き直します」
◇
俺は、記録室を出た。
出て、ダウムのところへ行った。
「ダウム」
「なんだ」
「――請求書だ」
◇
彼は、顔を上げた。
「昨日、あんたは言った」
俺は言った。
「請求は明日出す。明日があったらな、と」
俺は、手を出した。
「明日が来た」
◇
ダウムは、しばらく俺を見ていた。
それから、笑った。
声を出して笑った。
二十年で、初めて聞いた笑い方だった。
◇
「出さん」
彼は言った。
「――出せよ」
「出さん」
彼は言った。
「代わりに、一つ引き受けろ」
◇
「なんだ」
「見習いの指導だ」
彼は言った。
「三人いる。……昨夜、南区で地面に耳を当ててた連中だ」
◇
「俺は、人に教えん」
「教えてただろう」
彼は言った。
「二年二月、隣で一人教えてた」
彼は、俺を見た。
「あの娘、見習い試験を三月前に通ってる」
◇
俺は、答えなかった。
――教えていない。
あの娘は、横で見て盗んだ。
だが、盗ませたのは俺だ。
◇
「ダウム」
「なんだ」
「――引き受ける」
「そうか」
彼は言った。
「なら、明日から来い」
◇
部屋を出ようとして、ダウムに呼び止められた。
「ハルト」
「なんだ」
「――一つ、渡すものがある」
彼は、棚から綴りを出した。
厚い。
紙の色が層になっている。
◇
「サルカドの、百年ぶんだ」
彼は言った。
「知ってる」
「知ってるが、見てないだろう」
彼は言った。
「一番古い頁を」
◇
俺は、その綴りを受け取った。
一番下の頁を開いた。
紙が茶色い。
文字が薄い。
だが、読めた。
◇
寸法が書いてある。
通路幅、四尺五寸。
天井高、八尺二寸。
段の蹴上げ、六寸。
――同じだ。
百年前と、昨日と。
◇
その頁の隅に、一行あった。
寸法ではない。
俺は、それを読んだ。
◇
〈本日モ、帰ル〉
◇
俺は、その一行を長いこと見ていた。
――百年前の誰かだ。
名前は書いていない。
寸法だけを書く決まりの中で、一行だけ、寸法でないことを書いた。
◇
「ダウム」
「なんだ」
「――これは、いつからある」
「知らん」
彼は言った。
「四十年、俺はこの綴りを預かってる。……その一行があることは、知ってた」
彼は、俺を見た。
「意味は、知らんかった」
◇
俺は、その夜、ギルドの上の部屋に戻った。
二年二月、二人で使ってきた部屋だ。
寝台が二つある。
片方が、空だ。
◇
卓に、狐を置いた。
布を解く。
背中の模様が、淡く光っていた。
四つの弧が、全部。
◇
俺は、その狐を見た。
――光ってる。
繋ぎ目は、まだある。
俺は、野帳を開いた。
今日の欄に書いた。
◇
〈狐、点灯継続。四弧トモ〉
〈繋ギ目、健在〉
書いて、その下に、もう一行足した。
◇
〈本日ヨリ、数エル。一日目〉




