行った
マリは、接点の前に立った。
荷を担いでいる。
測量道具一式。野帳。俺が破った紙一枚。裂けた図面。
二年二月前に俺が拾った時より、荷が重い。
◇
「マリ」
「うん」
「――順を言う」
「うん」
「俺が前半。お前が後半」
俺は言った。
「二人で一つだ」
◇
彼女は、頷いた。
それから、灯りを見た。
俺の斜め後ろ、少し高く。
――いつもの位置だ。
彼女は、そこに灯りを置いた。
置いてから、離れた。
◇
「ハルト」
「なんだ」
「あかり、そこに、おいてく」
彼女は言った。
「いち、かえるまで」
◇
俺は、その灯りを見た。
白い光の中では、ほとんど意味がない。
だが、置いてある。
――位置が、残る。
◇
俺は、息を吸った。
――七百三十二回目だ。
「行くぞ」
「うん」
◇
――シャルカディ。
俺が出した。
――オム・ネイア。
彼女が続けた。
◇
接点が、開いた。
太く。
白い光が、そこから溢れた。
俺は、目を細めた。
◇
その中に、見えた。
――夜だ。
星がある。
俺の知らない星だ。
一つも知らない。
◇
そして、石が並んでいた。
円く。
地面に、丸く並んでいる。
――環状列石。
二十話で聞いた、この娘の祖母の村だ。
◇
「マリ」
「――みえる」
彼女は言った。
「いしが、みえる」
「同じ場所か」
「おなじ」
◇
彼女は、その光の前に立った。
振り返った。
「ハルト」
「なんだ」
「――にじゅうさんねん、まってた」
◇
「知ってる」
「でも」
彼女は言った。
「いま、ちょっとだけ、まよってる」
◇
俺は、その言葉を聞いた。
――迷っていい。
二年二月、俺はこの娘の選択を歪めないようにしてきた。
最後まで、そうする。
「マリ」
「うん」
「――迷うのは、正しい」
◇
「なんで」
「迷わずに決める奴は、外す」
俺は言った。
「二十年、俺はそれを見てきた」
◇
彼女は、少し笑った。
「ハルトは、いつも、はやい」
「――俺は、迷ってから決める」
俺は言った。
「迷ってるのを、見せんだけだ」
◇
彼女は、その言葉を受け取った。
それから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「――『かえろう』って、いって」
◇
俺は、動きを止めた。
「――今か」
「うん」
彼女は言った。
「いま、いって」
◇
俺は、その意味を組んだ。
――送り出す言葉じゃない。
「帰ろう」は、誘いだ。
こちらへ、という誘いでもある。
◇
「マリ」
「うん」
「――帰ろう」
俺は言った。
この国の言葉で。
◇
彼女は、その言葉を聞いた。
聞いて、頷いた。
「うん」
彼女は言った。
「かえる」
◇
彼女は、光の中へ歩いた。
三歩。
振り返らなかった。
◇
俺は、その背中を見ていた。
――止めるなら、今だ。
止められる距離だ。
二年二月前、俺はこの娘の帰り道を潰そうとした。
今は、送っている。
◇
三歩目で、彼女は光の中に入った。
輪郭が、白に溶けた。
消える直前、声が聞こえた。
◇
「――オム・ネイア」
◇
接点が、閉じ始めた。
太かったものが、細くなる。
速い。
◇
俺は、そこで最後の測定をした。
開いていた時間。
針の回転で、四周。
――四十八だ。
◇
俺は、それを野帳に書いた。
〈接点開放、針四周。人一名通過〉
書いてから、その下に足した。
〈本日、送ル〉
◇
接点は、細くなって、糸のようになった。
そして、止まった。
切れなかった。
――残ってる。
◇
オルソが、その糸に手を当てた。
置いたまま、動かない。
千年、そうしてきたのだろう。
◇
俺は、その横に立った。
そして、同じことをした。
手を当てて、置いた。
二人で、糸に触れていた。
◇
老人が、後ろで書いていた。
書きながら、こう言った。
「ハルトさん」
「なんだ」
「――記録しました」
◇
「読め」
「〈天照十一年、環宮の夜〉」
彼は読んだ。
「〈サルカド最深部にて、地球より来訪せし者一名、帰還す〉」
彼は、少し声を詰まらせた。
「〈送りし者、サルカディア家ハルト。立会人、名を捨てし者〉」
◇
「――名を捨てし者、か」
「私です」
彼は言った。
「三百年前に、家が捨てました。……私も、名乗りません」
◇
「一つ、いいか」
俺は言った。
「なんでしょう」
「――名を、書け」
◇
彼は、動きを止めた。
「私に、名はありません」
「あるだろう」
俺は言った。
「捨てたのは家の名だ。……あんた個人の名は、別だ」
◇
老人は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「――ヨナと申します」
「知らなかった」
「四十年、誰も呼びませんでした」
◇
「ヨナ」
俺は言った。
彼は、顔を上げた。
「――はい」
「書け」
俺は言った。
「立会人、ヨナ。……そう書け」
◇
彼は、書いた。
書いて、その頁を長いこと見ていた。
白い場所に、俺と、オルソと、ヨナが残った。
灯りが一つ、いつもの位置に置いてある。
◇
俺は、そこで一つ、まだ終わっていないことを思い出した。
――出口だ。
石段は落ちた。斜路も抜けた。縄は切られた。
残っているのは、上の穴から垂れた切れ端だけだ。
◇
「ヨナ」
「はい」
「――出方を考える」
「上には、四人います」
彼は言った。
「私の声を聞いた者たちです。……縄を下ろすかもしれません」
◇
「下ろさなかったら」
「そのときは」
彼は言った。
「ここで書きます。……書けるだけ書いて、置いていきます」
◇
俺は、その言い方に、少し引っかかった。
――置いていく。
誰が読む。
俺は、上を見た。
八十尺。
◇
その時、上から声が降ってきた。
「――先代!」
若い声だ。
さっきの男だ。
「縄を下ろします」
◇
縄が、落ちてきた。
二本。
俺は、その太さを見た。
新しい。使い込んでいない縄だ。
「ヨナ。先に上がれ」
「――あなたが先では」
「俺は最後だ」
◇
「なぜです」
「二十年、そう決めてる」
俺は言った。
「現場を出るときは、最後だ」
◇
ヨナは、縄を掴んだ。
七十二の男が、八十尺を登る。
俺は、下から押し上げた。
重さが十分の一でも、時間はかかった。
◇
彼が上がりきってから、俺はオルソを見た。
――一人になる。
また。
俺は、床に手を当てた。
一度。
置いたまま。
◇
オルソも、同じことをした。
二人で、床に手を置いていた。
そして、俺は言った。
「――また来る」
◇
二年二月前、俺は暗がりに向かって同じことを言った。
通じるはずがないと思いながら。
今度は、通じると思って言った。




