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測量士と転移者  作者: ごま


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118/120

行った

 マリは、接点の前に立った。


 荷を担いでいる。


 測量道具一式。野帳。俺が破った紙一枚。裂けた図面。


 二年二月前に俺が拾った時より、荷が重い。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――順を言う」


「うん」


「俺が前半。お前が後半」


 俺は言った。


「二人で一つだ」


    ◇


 彼女は、頷いた。


 それから、灯りを見た。


 俺の斜め後ろ、少し高く。


 ――いつもの位置だ。


 彼女は、そこに灯りを置いた。


 置いてから、離れた。


    ◇


「ハルト」


「なんだ」


「あかり、そこに、おいてく」


 彼女は言った。


「いち、かえるまで」


    ◇


 俺は、その灯りを見た。


 白い光の中では、ほとんど意味がない。


 だが、置いてある。


 ――位置が、残る。


    ◇


 俺は、息を吸った。


 ――七百三十二回目だ。


「行くぞ」


「うん」


    ◇


 ――シャルカディ。


 俺が出した。


 ――オム・ネイア。


 彼女が続けた。


    ◇


 接点が、開いた。


 太く。


 白い光が、そこから溢れた。


 俺は、目を細めた。


    ◇


 その中に、見えた。


 ――夜だ。


 星がある。


 俺の知らない星だ。


 一つも知らない。


    ◇


 そして、石が並んでいた。


 円く。


 地面に、丸く並んでいる。


 ――環状列石。


 二十話で聞いた、この娘の祖母の村だ。


    ◇


「マリ」


「――みえる」


 彼女は言った。


「いしが、みえる」


「同じ場所か」


「おなじ」


    ◇


 彼女は、その光の前に立った。


 振り返った。


「ハルト」


「なんだ」


「――にじゅうさんねん、まってた」


    ◇


「知ってる」


「でも」


 彼女は言った。


「いま、ちょっとだけ、まよってる」


    ◇


 俺は、その言葉を聞いた。


 ――迷っていい。


 二年二月、俺はこの娘の選択を歪めないようにしてきた。


 最後まで、そうする。


「マリ」


「うん」


「――迷うのは、正しい」


    ◇


「なんで」


「迷わずに決める奴は、外す」


 俺は言った。


「二十年、俺はそれを見てきた」


    ◇


 彼女は、少し笑った。


「ハルトは、いつも、はやい」


「――俺は、迷ってから決める」


 俺は言った。


「迷ってるのを、見せんだけだ」


    ◇


 彼女は、その言葉を受け取った。


 それから、こう言った。


「ハルト」


「なんだ」


「――『かえろう』って、いって」


    ◇


 俺は、動きを止めた。


「――今か」


「うん」


 彼女は言った。


「いま、いって」


    ◇


 俺は、その意味を組んだ。


 ――送り出す言葉じゃない。


 「帰ろう」は、誘いだ。


 こちらへ、という誘いでもある。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――帰ろう」


 俺は言った。


 この国の言葉で。


    ◇


 彼女は、その言葉を聞いた。


 聞いて、頷いた。


「うん」


 彼女は言った。


「かえる」


    ◇


 彼女は、光の中へ歩いた。


 三歩。


 振り返らなかった。


    ◇


 俺は、その背中を見ていた。


 ――止めるなら、今だ。


 止められる距離だ。


 二年二月前、俺はこの娘の帰り道を潰そうとした。


 今は、送っている。


    ◇


 三歩目で、彼女は光の中に入った。


 輪郭が、白に溶けた。


 消える直前、声が聞こえた。


    ◇


「――オム・ネイア」


    ◇


 接点が、閉じ始めた。


 太かったものが、細くなる。


 速い。


    ◇


 俺は、そこで最後の測定をした。


 開いていた時間。


 針の回転で、四周。


 ――四十八だ。


    ◇


 俺は、それを野帳に書いた。


 〈接点開放、針四周。人一名通過〉


 書いてから、その下に足した。


 〈本日、送ル〉


    ◇


 接点は、細くなって、糸のようになった。


 そして、止まった。


 切れなかった。


 ――残ってる。


    ◇


 オルソが、その糸に手を当てた。


 置いたまま、動かない。


 千年、そうしてきたのだろう。


    ◇


 俺は、その横に立った。


 そして、同じことをした。


 手を当てて、置いた。


 二人で、糸に触れていた。


    ◇


 老人が、後ろで書いていた。


 書きながら、こう言った。


「ハルトさん」


「なんだ」


「――記録しました」


    ◇


「読め」


「〈天照十一年、環宮の夜〉」


 彼は読んだ。


「〈サルカド最深部にて、地球より来訪せし者一名、帰還す〉」


 彼は、少し声を詰まらせた。


「〈送りし者、サルカディア家ハルト。立会人、名を捨てし者〉」


    ◇


「――名を捨てし者、か」


「私です」


 彼は言った。


「三百年前に、家が捨てました。……私も、名乗りません」


    ◇


「一つ、いいか」


 俺は言った。


「なんでしょう」


「――名を、書け」


    ◇


 彼は、動きを止めた。


「私に、名はありません」


「あるだろう」


 俺は言った。


「捨てたのは家の名だ。……あんた個人の名は、別だ」


    ◇


 老人は、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「――ヨナと申します」


「知らなかった」


「四十年、誰も呼びませんでした」


    ◇


「ヨナ」


 俺は言った。


 彼は、顔を上げた。


「――はい」


「書け」


 俺は言った。


「立会人、ヨナ。……そう書け」


    ◇


 彼は、書いた。


 書いて、その頁を長いこと見ていた。


 白い場所に、俺と、オルソと、ヨナが残った。


 灯りが一つ、いつもの位置に置いてある。


    ◇


 俺は、そこで一つ、まだ終わっていないことを思い出した。


 ――出口だ。


 石段は落ちた。斜路も抜けた。縄は切られた。


 残っているのは、上の穴から垂れた切れ端だけだ。


    ◇


「ヨナ」


「はい」


「――出方を考える」


「上には、四人います」


 彼は言った。


「私の声を聞いた者たちです。……縄を下ろすかもしれません」


    ◇


「下ろさなかったら」


「そのときは」


 彼は言った。


「ここで書きます。……書けるだけ書いて、置いていきます」


    ◇


 俺は、その言い方に、少し引っかかった。


 ――置いていく。


 誰が読む。


 俺は、上を見た。


 八十尺。


    ◇


 その時、上から声が降ってきた。


「――先代!」


 若い声だ。


 さっきの男だ。


「縄を下ろします」


    ◇


 縄が、落ちてきた。


 二本。


 俺は、その太さを見た。


 新しい。使い込んでいない縄だ。


「ヨナ。先に上がれ」


「――あなたが先では」


「俺は最後だ」


    ◇


「なぜです」


「二十年、そう決めてる」


 俺は言った。


「現場を出るときは、最後だ」


    ◇


 ヨナは、縄を掴んだ。


 七十二の男が、八十尺を登る。


 俺は、下から押し上げた。


 重さが十分の一でも、時間はかかった。


    ◇


 彼が上がりきってから、俺はオルソを見た。


 ――一人になる。


 また。


 俺は、床に手を当てた。


 一度。


 置いたまま。


    ◇


 オルソも、同じことをした。


 二人で、床に手を置いていた。


 そして、俺は言った。


「――また来る」


    ◇


 二年二月前、俺は暗がりに向かって同じことを言った。


 通じるはずがないと思いながら。


 今度は、通じると思って言った。

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