送る
俺は、送る前に測った。
癖だ。
こういう時に測るのは、たぶん逃げでもある。
だが、二十年やってきたことは、こういう時にしか出ない。
◇
接点の位置。俺の縄の基準線から、右へ二十二歩。
接点の幅。目測で、六尺。
白い光の強さ。灯り三つ分。
針の回転。一周十二。
俺は、それを全部野帳に書いた。
◇
「マリ。持ち物を出せ」
「うん」
彼女は、荷を開けた。
測量道具一式。野帳。縄。灯り。水。食い物。
それから、布包み。
◇
「狐は、置いていけ」
「――なんで」
「こっちの物だ」
俺は言った。
「向こうで壊れたら、直せん」
「ハルトが、なおせる」
「俺は、こっちにいる」
◇
彼女は、その布包みを見た。
しばらく見て、それから俺に渡した。
「――あずける」
「預かる」
俺は言った。
「戻ったら、返す」
◇
俺は、その包みを受け取った。
重い。
二十年、俺が直しては仕舞ってきたものだ。
二年二月、この娘が運んできた。
◇
「マリ。野帳は持っていけ」
「うん」
「向こうで、測れ」
俺は言った。
「何を測るかは、お前が決めろ」
「うん」
◇
「一つだけ、必ず測れ」
「なに」
「日付だ」
俺は言った。
「向こうで何日経ったか。……こっちでも数える。突き合わせる」
◇
「わかった」
彼女は言った。
「ハルトも、かぞえて」
「数える」
俺は言った。
「毎日書く。……二十年やってきたことだ」
◇
老人が、帳面を閉じた。
そして、立ち上がった。
「――お嬢さん」
「はい」
「一つ、お伝えしたいことがあります」
◇
「なんですか」
「私は、あなたの帰り道を三百年ぶん邪魔してきた側の人間です」
彼は言った。
「謝罪はしません。……三百年分は、謝れる量ではありません」
◇
マリは、その言葉を聞いた。
「じゃあ、なにを、いうんですか」
「――記録します」
彼は言った。
「あなたが、いつ、どこから、どうやって帰ったか。……全部書きます」
彼は、帳面を持ち上げた。
「三百年、我々が書かなかったことです」
◇
マリは、しばらく黙っていた。
それから、頭を下げた。
「――おねがいします」
◇
俺は、その様子を見ていた。
――この娘は、頭を下げた。
二年二月、家を焼かれ、二年遅らされ、帰り道を邪魔された相手に。
俺には、できない。
◇
俺は、接点の前に立った。
オルソが、その横にいる。
床に、絵が残っている。
点が二つ。両側に一人ずつ。
◇
「オルソ」
俺は言った。
通じるはずのない名で。
あれは、こちらを見た。
◇
俺は、床を叩いた。
「行く」の形。
それから、マリを指した。
そして、「戻る」の形。
◇
オルソは、しばらく動かなかった。
それから、床に描いた。
円が二つ。
接点。
その上に、点が三つ。
◇
「――三つ」
俺は言った。
「二つじゃない」
オルソは、その三つを指した。
一つ目は、こちら側の円。
二つ目は、向こう側の円。
三つ目は、接点の真上だ。
◇
俺は、その三つ目を見た。
――オルソだ。
千年、繋ぎ目の上にいた。
「マリ」
「うん」
「――三人要るのか」
◇
オルソは、頷かなかった。
頷く仕草を、あれは持っていない。
代わりに、三つ目の点に触れた。
そして、そのまま置いた。
◇
「――残る、と言ってる」
俺は言った。
「千年、そこにいた。……これからもいる」
◇
マリが、その絵を見ていた。
「オルソ」
彼女は言った。
「ひとりで?」
◇
オルソは、その問いに答えなかった。
答えられないのかもしれない。
代わりに、絵に線を足した。
三つの点を、線で繋いだ。
◇
三角だ。
三つの点が、繋がっている。
「マリ」
「――ひとりじゃ、ない」
彼女は言った。
「つながってる」
◇
俺は、その絵を野帳に写した。
円が二つ。接点。三つの点。それを繋ぐ三角。
写して、その下に書いた。
〈三点。両岸ト、中間〉
〈中間ハ、動カナイ〉
◇
書いてから、俺はもう一行足した。
〈両岸ハ、毎朝言ウ〉
◇
俺は、マリを見た。
「――行くか」
「うん」
「怖いか」
「こわい」
彼女は言った。
「でも、はかれてる」
◇
俺は、その言い方に少し笑いそうになった。
二年二月、俺が言い続けてきたことだ。
測れない場所には入らない。
測れるなら、入る。
◇
「マリ」
「うん」
「――一つだけ、言い忘れてた」
「なに」
◇
俺は、少し黙った。
二年二月、言わなかったことだ。
言えば選択を歪めると思って、言わなかった。
もう、選択は済んでいる。
◇
「――助手として、よくやった」
俺は言った。
「二年二月、灯りの位置が一度もずれなかった」
◇
彼女は、その言葉を聞いた。
聞いて、顔をくしゃくしゃにした。
泣かなかった。
こらえた顔のまま、こう言った。
「――それ、いちばん、うれしい」
◇
俺は、最後にもう一つ渡した。
懐から、紙片を出す。
二年二月前に裂いた、崩落の計算図だ。
四つに裂けたまま、持ち歩いてきた。
◇
「マリ。これも持っていけ」
「――なんで」
「捨てられん」
俺は言った。
「捨てたら、無かったことになる。……ダウムがそう言った」
「じゃあ、ハルトが、もってれば」
「――俺が持ってると、また見る」
◇
「みちゃ、だめ?」
「見ていい」
俺は言った。
「見て、今日は違うと思えるうちは、大丈夫だ。……そう言われた」
俺は、その紙片を見た。
「二年二月、毎日そう思えた」
◇
「じゃあ、いいじゃん」
「――もう、要らん」
俺は言った。
「今日、確かめた。……あれを潰さなくても、話は通る」
俺は、紙片を彼女の手に載せた。
「向こうで捨てろ。……こっちに残すと、俺が拾う」
◇
彼女は、その紙片を握った。
握って、しばらく見ていた。
「――すてない」
彼女は言った。
「もっとく」
「捨てろと言った」
「やだ」
◇
彼女は、それを懐に入れた。
「これ、ハルトが、やめたときの、かみ」
彼女は言った。
「わたしが、もってる」
◇
俺は、それ以上言わなかった。
――そういう娘だ。
二年二月、この娘は俺が捨てようとしたものを、いくつも拾ってきた。
狐も、俺も。




