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測量士と転移者  作者: ごま


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120/120

本日も、帰る

 一年が過ぎた。


 俺は、毎朝サルカドへ降りる。


 二百四十段は、二百六十二段になった。


 崩れた石段を組み直したとき、少し伸びた。


 組み直したのは、俺と、見習い三人と、ハルマの連れてきた村の男たちだ。


 半年かかった。


    ◇


 石段の一段目に、窪みがある。


 右寄りだ。


 百年ぶんの誰かが、ここで足を止めた。


 組み直すとき、俺はその石だけは残した。


    ◇


 俺は、そこに足を置く。


 そして、唱える。


 ――シャルカディ・オム・ネイア。


    ◇


 我らの、繋ぎ目へ、帰ろう。


 意味を知って、一年になる。


 知って唱えても、音は変わらない。


 変わったのは、俺のほうだ。


    ◇


 降りると、柱がある。


 一万四百二十七の刻み。


 毎年、数え直している。


 去年も一万四百二十七だった。


 変わっていない。


    ◇


 その下に、白い場所がある。


 オルソがいる。


 俺は、床に手を当てる。


 一度。


 置いたまま。


    ◇


 オルソも、同じことをする。


 それから、床に描く。


 円が二つ。接点。三つの点。


 接点の幅を、毎日測って書いていく。


    ◇


 一年で、幅は少し太くなった。


 一分の三十分の一ほどだ。


 誤差かもしれない。


 だが、細くなってはいない。


 千年、細くなり続けていたものが、止まった。


    ◇


 俺は、それを野帳に書く。


 〈接点幅、変化ナシ〉


 変化がないと書くのが、一番大事な仕事だ。


 二十一年、俺はそれをやってきた。


    ◇


 セレンは、記録の書き直しを続けている。


 二十年分を、全部やり直している。


 三年かかると言っていた。


 今、一年目が終わったところだ。


    ◇


 彼女は、月に一度、王都へ行く。


 読めぬ書を読むためだ。


 カランディア王家が、閲覧を許可した。


 許可を取ったのは、ヨナの帳面だ。


 あれが、王家を動かした。


    ◇


 ヨナは、去年の冬に死んだ。


 医者の言った通りだった。


 最後まで書いていたという。


 書いたものは、全部セレンのところへ来た。


    ◇


 レイヴが、星導省の当主になった。


 組織の名は変わった。


 「星導省地誌調査局」から、「地誌記録局」になった。


 奪う言葉を、名前から外したのだと、あの男は言った。


    ◇


 家を焼いた一派は、記録で潰れた。


 俺が測って、セレンが書いて、レイヴが提出した。


 殺していない。


 誰も殺さずに終わった。


 ――二年二月前の俺なら、そうしなかった。


    ◇


 フェイラの店は、南区で続いている。


 あの夜、出した椅子は使われなかった。


 「無駄だったね」と本人は言う。


 言いながら、毎年その日は椅子を出す。


    ◇


 ダウムは、まだギルド長だ。


 なぜやっているかは、今も答えられないという。


 だが、去年から一つ言い方が変わった。


 ――「次の奴が困らんように」


    ◇


 俺は、見習い三人を教えている。


 歩幅を固めさせ、記号を覚えさせ、天井高を目で当てさせる。


 一番若いのが、十八になった。


 まだ、縄が撓む。


    ◇


 その三人に、俺は一つだけ余計なことを教えた。


 寸法ではないことだ。


 ――降りる前に、帰ろうと言え。


 意味は教えた。


 教えたのは、俺が初めてだ。


 百年、誰も教えなかった。


    ◇


 狐は、卓の上にいる。


 背中の模様が、光っている。


 一年、消えていない。


 毎朝、俺はそれを確かめてから出る。


    ◇


 野帳の最後の頁に、数字が書いてある。


 今日で、三百六十六日目だ。


 閏の年だった。


 ――向こうも、閏だろうか。


    ◇


 二年二月前、俺たちは暦が一致していることを見つけた。


 三百六十五日。四年に一度、三百六十六日。


 星が一つも同じでないのに、長さだけが同じだ。


 あの時、俺たちは言葉にできずに止めた。


 今も、説明はできない。


    ◇


 だが、数えている。


 あの娘も、向こうで数えているはずだ。


 日付だけは必ず測れと言った。


 あの娘は、言われたことは必ずやる。


    ◇


 次の重なりは、百三十一年後だ。


 俺は、そこにいない。


 だから、書いている。


 毎日、書いている。


    ◇


 いつか誰かが、この綴りをめくる。


 紙の色が層になって、めくるたびに筆跡が変わる。


 几帳面な字、雑な字、線の細い字。


 その中に、俺の字がある。


    ◇


 俺は、寸法を書く。


 通路幅、四尺五寸。


 天井高、八尺二寸。


 接点幅、変化なし。


    ◇


 書いて、最後に一行足す。


 寸法ではない一行だ。


 百年前の誰かが、たった一度書いた行。


 俺は、それを毎日書いている。


    ◇


 〈本日モ、帰ル〉


    ◇


 朝、俺は石段の一段目に立つ。


 右寄りの窪みに、足を置く。


 息を吸う。


    ◇


 ――シャルカディ・オム・ネイア。


 我らの、繋ぎ目へ、帰ろう。


    ◇


 二十一年、俺はこの言葉を唱えてきた。


 二十年は、意味を知らずに。


 一年は、知って。


 どちらの二十年も、俺は帰ってきた。


    ◇


 言葉は、道具だ。


 崩して使えば、壊れる。


 正しく使えば、開く。


 それだけのことを知るのに、俺は四十四年かかった。


    ◇


 石段を降りる。


 二百六十二段。


 数えながら降りる。


    ◇


 降りきったところで、俺は一度立ち止まる。


 柱の前だ。


 灯りを、斜め後ろの少し高い位置に置く。


 誰も持っていない。


    ◇


 置いてから、俺は言う。


 毎朝、同じことを。


    ◇


「――帰ろう」


    ◇


 返事は、まだない。


 だが、俺は測量士だ。


 変化がないことを毎日確かめるのが、仕事だ。


    ◇


 明日も、降りる。


〈了〉

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