千年の一人
オルソは、床に描き続けた。
俺たちは、その周りに座った。
三人と、一人。
白い床に、線が増えていく。
◇
最初は、数だった。
千八百八十六。
点が並ぶ。
それが、減っていく。
◇
オルソは、減り方を描いた。
線の傾きで。
最初の百年は、緩い。
次の百年は、少し急。
最後の百年で、垂直に近くなる。
◇
「――加速してる」
俺は言った。
「繋ぎ目が細くなる速さと、同じ形だ」
「関係がありますか」
老人が訊いた。
「――ある」
◇
俺は、その二つの線を見た。
人が減る速さと、繋ぎ目が細くなる速さ。
同じ曲がり方だ。
「――保つのに、人が要る」
俺は言った。
「人が減ると、保てなくなる。……保てなくなると、また減る」
◇
オルソが、その線の上に印を打った。
最後の点だ。
自分を指した。
それから、線の先を指した。
線は、そこで終わっている。
◇
「――終わりだ」
俺は言った。
「こいつが最後だ。……こいつが止まれば、繋ぎ目は閉じる」
◇
マリが、その線を見ていた。
「ハルト」
「なんだ」
「せんねん」
彼女は言った。
「せんねん、ひとりで、まってた」
「そうだ」
◇
「なにを、まってた?」
俺は、その問いを渡すことにした。
二年二月で作った「なぜ」の形だ。
床を叩く。
順を変えて。
◇
オルソは、しばらく動かなかった。
それから、また描いた。
円が二つ。
両方に、点が並んでいる。
こちら側にも、向こう側にも。
◇
そして、接点を指した。
接点の上で、両側の点が繋がる線を描いた。
――行き来だ。
「マリ」
「――みてる」
「これは」
◇
「いきき」
彼女は言った。
彼女は、その絵の前に膝をついた。
「オルソ」
彼女は言った。
「――それ、わたしも、おなじ」
◇
オルソは、動きを止めた。
そして、マリを見た。
目が大きい。表情は読めない。
だが、動きが止まったことは分かった。
◇
マリは、床に描いた。
絵は下手だ。
だが、意味は分かる。
円が二つ。接点。
その上を、点が往復している。
行って、戻って、また行く。
◇
オルソは、その絵を長く見ていた。
それから、手を伸ばした。
マリの描いた点に、触れた。
触れて、動かなくなった。
◇
俺は、その様子を見ていた。
――千年だ。
この相手は、千年、片道しか知らない。
行った者は戻らない。
十七人も、戻らなかった。
◇
老人が、帳面に書きながら言った。
「ハルトさん」
「なんだ」
「――一つ、思い当たることがあります」
「言え」
◇
「三百年前、十七人が入りました」
彼は言った。
「その十七人は、戻ろうとしたのでしょうか」
俺は、顔を上げた。
◇
「――どういう意味だ」
「奪いに来た者は、戻る気がありません」
彼は言った。
「取って帰る、とは言いますが。……本気で帰れると思って入る者は、いません」
彼は、俺を見た。
「私も、そうでした」
◇
俺は、その言葉を受け取った。
――帰る気がなかった。
だから、帰れなかった。
言葉が「帰ろう」なら。
帰る気のない者が唱えても、意味が通らない。
◇
「マリ」
「うん」
「――俺は、二十年これを唱えてた」
「うん」
「毎朝、遺跡に降りる前に」
俺は言った。
「そして、二十年、帰ってきた」
◇
俺は、その事実を口に出してから、背中が冷えた。
――たまたまじゃない。
俺は、毎回「帰ろう」と言ってから降りていた。
意味を知らずに、帰る意思を宣言していた。
だから、帰ってこられた。
◇
「マリ」
「なに」
「――親父も、その親父も、同じだ」
俺は言った。
「百年分の綴りがある。……全員、この句を唱えてから降りて、全員帰ってきた」
◇
「ひとりだけ、かえってない」
マリが言った。
俺は、動きを止めた。
「――一年、抜けてる」
俺は言った。
「親父が死んだ年だ」
◇
俺は、そこで初めて、その一年の意味を考えた。
――親父は、帰らなかった。
いや、違う。
あの年、親父は逃がすほうを選んだ。
俺を逃がして、自分は残った。
◇
俺は、オルソを見た。
そして、床に描いた。
俺の絵も、下手だった。
点が一つ。
その隣に、小さい点。
大きい方が消えて、小さい方が残る。
◇
オルソは、その絵を見た。
そして、同じ絵を描いた。
点が千八百八十六。
消えて、一つ残る。
――同じだ、と言っている。
◇
俺は、その意味を受け取った。
残される、という一点だけで、この相手と俺は同じだった。
千年と、二十三年。
規模は違う。
だが、形は同じだ。
◇
俺は、そこで一つ訊きたくなった。
二年二月、訊けなかったことだ。
「マリ」
「うん」
「――『さびしい』を、渡せるか」
◇
彼女は、少し考えた。
「ことばじゃ、むり」
彼女は言った。
「でも」
彼女は、床に描いた。
点が一つ。
その周りに、何もない。
円を描いて、その中に点を一つだけ置いた。
◇
それから、別の絵を描いた。
同じ円の中に、点を四つ。
俺と、マリと、老人と、オルソだ。
二つを並べた。
◇
オルソは、その二つを見比べた。
長いこと見ていた。
それから、手を伸ばした。
四つの点の絵に触れた。
◇
触れて、そのまま置いた。
上げなかった。
――二年二月、俺が四百二十六の光にやったことだ。
同じ動きが、返ってきた。
◇
俺は、その手を見ていた。
小さい手だ。
包むものを着ているので、指の形は見えない。
だが、置き方は分かる。
「マリ」
「うん」
「――伝わった」
◇
その時、床が震えた。
白い床が、波打った。
俺は、体勢を崩しかけた。
「マリ。掴まれ」
「うん」
◇
オルソが、立ち上がった。
初めて、素早く動いた。
上を見ている。
俺たちが降りてきた方向だ。
◇
「――何か来る」
俺は言った。
「上からだ」
老人が、帳面を閉じた。
「私の部下は、全員上げました」
彼は言った。
「石段は落ちました。……来られる者はいません」
◇
「別の一派は」
俺は言った。
老人が、動きを止めた。
「――カラン村です」
彼は言った。
「あちらの二十二人は、掘らないはずでした」




