降りる
俺は、縄を穴の縁に固定した。
石の突起に二重に回して、八の字に締める。
二十年、荷を縛ってきた結び方だ。
「マリ。順を決める」
「うん」
「俺が先。次に、あんた」
俺は、老人を見た。
「最後にマリだ」
◇
「――なぜ、私が真ん中ですか」
「落ちても、上と下で掴めるからだ」
俺は言った。
「あんたが一番落ちる」
「はっきりおっしゃる」
「七十二だろう」
◇
俺は、縄に手をかけた。
白い光が、下から上がってくる。
熱くはない。
だが、手を入れると、軽くなる感じがある。
――重さが変わってる。
◇
「マリ。手を入れてみろ」
「うん」
彼女は、光に手を差し入れた。
そして、動きを止めた。
「――かるい」
「そうだ」
「なんで」
「分からん」
俺は言った。
「だが、落ちる速さが変わるなら、計算が狂う」
◇
俺は、石を落とした。
数える。
一。二。三。
――遅い。
普通なら、三つ数える間に百尺落ちる。
この石は、十尺しか落ちていない。
◇
「マリ。書け」
「かいてる」
「石の落下、十分の一。……ここは、重さが十分の一だ」
「じゃあ」
「――落ちても、死なん」
俺は言った。
「たぶんな」
◇
俺は、縄を伝って降りた。
二十尺。
結び目を数える。
四十尺。
六十尺。
◇
八十尺で、足が止まった。
床がある。
いや――
床ではない。
柔らかい。
沈む。
◇
俺は、杆を突いた。
沈む。二寸。
それ以上は入らない。
「――支える」
俺は言った。
俺は、体重をかけた。
沈んだ。三寸で止まった。
◇
「降りていい」
俺は、上へ声を出した。
「足元は柔らかい。……三寸沈む」
「――分かりました」
老人の声が返った。
◇
三人とも降りきったのは、四半刻後だった。
老人は、途中で二度止まった。
俺は、下から支えた。
思ったより軽かった。
――重さが十分の一だからだ。
それだけではない気もした。
◇
俺たちは、白い場所に立っていた。
壁が見えない。
天井も見えない。
だが、暗くない。
全部が、光っている。
◇
「セレンが、いたら」
マリが言った。
「何て言うと思う」
「――『記録できません』」
俺は、少し笑った。
――そうだろうな。
書くものがない。
寸法も、方角も、基準もない。
◇
俺は、そこで足を止めた。
――基準がない。
二十年、俺は基準を置いてから測ってきた。
基準がなければ、何も測れない。
「マリ」
「うん」
「――基準を作る」
◇
俺は、荷から縄を出した。
二十尺ごとに結び目がある。
その一本を、床に置いた。
まっすぐに伸ばす。
◇
「これが、基準線だ」
俺は言った。
「向きは、俺が降りてきた方向。……ここを起点にする」
「なんで、そんなこと」
「基準がないと、迷う」
俺は言った。
「戻れなくなる」
◇
老人が、帳面を出した。
「――書きます」
「書け」
「起点。縄一本。……方角は」
「出せん」
俺は言った。
「星が見えん。磁石も効いてない」
◇
俺は、杆の先の硝子玉を外した。
真鍮の輪が三重に組まれ、中心に針が浮いている。
――回ってる。
止まらない。
ゆっくり、同じ速さで回り続けている。
◇
「マリ。見ろ」
「――まわってる」
「北がない」
俺は言った。
「二十年、この針は必ず北を指した。……ここでは指さん」
◇
俺は、その事実を野帳に書いた。
〈磁針、静止セズ。一定速度デ回転〉
書いて、俺はもう一つ気づいた。
――一定速度。
なら、それが時計になる。
◇
「マリ。針の一周を数えろ」
「うん」
彼女は、数え始めた。
俺も数えた。
一周に、十二だった。
◇
「――十二だ」
俺は言った。
「水と同じ。……穴の押し返しと同じ」
「ぜんぶ、じゅうに」
「そうだ」
俺は言った。
「ここの時間の単位が、十二だ」
◇
俺は、その十二を基準にした。
縄が空間の基準。
針の回転が時間の基準。
――これで測れる。
二十年やってきたことと、同じだ。
◇
「マリ」
「うん」
「――歩くぞ」
「どっち」
「縄と直角の方向だ」
俺は言った。
「戻るときは、直角に戻れば縄に当たる」
◇
俺たちは、歩いた。
俺が歩数を数える。
マリが針の回転を数える。
老人が、書く。
三十歩。
六十歩。
◇
九十歩で、俺は足を止めた。
前に、何かがある。
白い中で、少しだけ色が違う。
「マリ。灯りは要らんな」
「いらない」
「――近づく」
◇
百二十歩で、はっきり見えた。
立っている。
人の形だ。
背丈は、俺より低い。
動かない。
◇
俺は、十歩手前で止まった。
そこから、測った。
高さ、四尺八寸。
肩幅、一尺四寸。
――小さい。
子どもほどだ。
◇
そして、顔があった。
目が大きい。
覆うような、丸い目だ。
俺は、その形を知っている。
「マリ」
「――ハルト」
「これは」
◇
「じんがたひょう」
彼女が言った。
「じゅっぱなしの、あれ」
「そうだ」
俺は言った。
「十話で見た浮き彫りと、同じ形だ」
◇
俺は、その姿を見ていた。
浮き彫りではない。
実物だ。
立っている。
――防護の装いか。
目を覆うものをつけ、体を包むものを着ている。
◇
俺は、一歩近づいた。
そして、二年二月やってきたことをした。
床に手を当てた。
一度。
置いたまま、上げなかった。
◇
それは、動いた。
同じことをした。
床に、手を当てた。
一度。
置いたまま。
◇
「――オルソだ」
俺は言った。
◇
俺たちは、しばらく向き合っていた。
どちらも動かなかった。
二年二月、俺はこの相手と話してきた。
柱を通して。床を通して。壁の図を通して。
顔を見るのは、初めてだ。
◇
老人が、後ろで声を漏らした。
「――三百年」
彼は言った。
「三百年、我々が見たかったものが」
彼は、そこで言葉を切った。
「――子どもの背丈です」
◇
俺は、その言い方を聞いた。
――そうだ。
四尺八寸。
この国の、十二か十三の子どもと同じだ。
三百年、五十三人を突っ込もうとした相手が、これだ。
◇
オルソは、手を上げた。
こちらへ、掌を向ける。
空にして、見えるように。
――レイヴがやった形だ。
武器を持っていない、という合図。
人間と同じ意味かは、分からない。
◇
俺も、同じことをした。
両手を上げて、空にした。
マリも、続いた。
老人も、震える手を上げた。
◇
オルソが、床に何か描いた。
指で。
白い床に、線が残る。
円が二つ。接点。
――さっき壁で見た図だ。
◇
そして、接点に印を打った。
その印を、指した。
それから、自分を指した。
「――ここにいる、と言ってる」
俺は言った。
「繋ぎ目の上に」
◇
マリが、前に出た。
そして、同じ印を指した。
それから、自分を指した。
「わたしも」
彼女は言った。
通じるはずのない言葉で。




