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測量士と転移者  作者: ごま


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111/120

両側から

 俺は、床の刻みの前に立った。


 訊くことを、決めた。


 ――「行って、戻れるか」。


 この形を、俺は持っていない。


 二年二月で渡したのは「行く」と「戻る」だ。


 二つを繋ぐ形を、まだ作っていない。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――『行って、戻る』を、どう渡す」


 彼女は、少し考えた。


 上を見て、それから言った。


「じゅんばん」


    ◇


「順番」


「うん」


 彼女は言った。


「『いく』のあと、『もどる』を、つづけていう」


「それだけか」


「たりないなら、にかい、いう」


    ◇


 俺は、その案を検討した。


 ――繰り返す。


 行く、戻る。行く、戻る。


 二度言えば、それが一つの単位だと伝わるかもしれない。


 二年二月、規則的な入力にしか、あれは応えなかった。


    ◇


 俺は、床を叩いた。


 「行く」の形。


 それから、「戻る」の形。


 間を置いて、また「行く」「戻る」。


 二度。


    ◇


 床の刻みが、光った。


 四つの弧が、順に。


 そして、壁に線が出た。


 二つの円。接点。


 その接点を、点が一つ通った。


    ◇


 点は、向こうの円へ入った。


 入って、止まった。


 止まったまま、動かない。


 俺は、待った。


 三十を数えた。六十を数えた。


    ◇


 点は、戻らなかった。


「――マリ」


「みてる」


「戻ってない」


「うん」


    ◇


 俺たちは、その点を見ていた。


 百を数えた。


 二百を数えた。


 点は、向こうの円の中で光ったままだ。


    ◇


 老人が、口を開いた。


「――戻れない、という意味でしょうか」


「分からん」


 俺は言った。


「『戻らなかった』としか出てない。……『戻れない』とは言ってない」


    ◇


「同じでは」


「違う」


 俺は言った。


「二年二月、俺は『違う』を三十回もらった。……あれは、間違いには必ず『違う』と返す」


 俺は、壁を見た。


「今、『違う』は出てない」


    ◇


「では、何ですか」


「――知らない、だ」


 俺は言った。


「あれは、答えを持ってない。……だから、事実だけ描いた」


    ◇


 俺は、そこでもう一つ試した。


 床を叩く。


 「行く」「戻る」。


 そのあとに、順を変えて。


 ――「なぜ」の形だ。


    ◇


 壁に、文字が出た。


 古い綴りだ。


 老人が読んだ。


「――〈タメシタコトガナイ〉」


 彼は言った。


「〈ダレモ モドッテイナイ〉」


    ◇


 俺は、その二行を受け取った。


 ――誰も戻っていない。


 十七人が入って、十七人戻らなかった。


 その十七人は、こちらの人間だ。


 だが、この線は違う。


 二十三年前、こちらから向こうへ行った線だ。


    ◇


「待て」


 俺は言った。


「二十三年前、向こうへ行ったのは言葉だけだろう」


 俺は、床を叩いた。


 「行く」の形と、「言葉」の形。


 二年二月で、俺は「言葉」を渡してある。


    ◇


 壁の図が、変わった。


 点が、二つになった。


 一つは、向こうの円の中。


 もう一つは、接点の上。


 ――止まっている。


    ◇


「マリ。これは」


「――ふたつ、ある」


 彼女は言った。


「ひとつは、むこう。ひとつは、まんなか」


    ◇


 俺は、その「真ん中」を見た。


 接点の上に、点が止まっている。


 行ってもいない。戻ってもいない。


 ――途中だ。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――これは、お前じゃないか」


    ◇


 彼女は、動きを止めた。


「わたし」


「二十三年前に言葉が向こうへ行った」


 俺は言った。


「そのあと、お前がこっちへ来た。……行きっぱなしでも、戻ったわけでもない」


 俺は、その点を見た。


「繋ぎ目の上に、いる」


    ◇


 マリは、その点を長く見ていた。


 それから、こう言った。


「ハルト」


「なんだ」


「――これ、いい、しらせ?」


    ◇


「――分からん」


 俺は正直に言った。


「だが、一つ言える」


「なに」


「お前は、まだどっちにも着いてない」


 俺は言った。


「着いてないなら、選べる」


    ◇


 彼女は、頷いた。


 頷いてから、こう訊いた。


「ハルト」


「なんだ」


「――ハルトは、どっちが、いい」


    ◇


 俺は、その問いに手を止めた。


 二年二月、この娘は一度もこれを訊かなかった。


 訊けば、俺が答える。


 答えれば、この娘はそちらに引きずられる。


 それを分かっていて、訊かなかった。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――なぜ、今訊いた」


「もう、きめてるから」


 彼女は言った。


「きいても、かわらない」


    ◇


 俺は、その言い方を聞いた。


 ――決めている。


 なら、答えていい。


「――残ってほしい」


 俺は言った。


    ◇


 言ってから、少し黙った。


「それは、俺の都合だ」


 俺は言った。


「二年二月、言わなかったのは、言えば選択を歪めるからだ」


「うん」


「今も、歪める」


 俺は言った。


「だから、これは数えるな」


    ◇


 彼女は、少し笑った。


「かぞえる」


 彼女は言った。


「いちばん、おおきい、かず」


    ◇


 俺は、その返事に何も言えなかった。


 二十年、俺は数字で生きてきた。


 数字は嘘をつかないし、こちらの素性も訊いてこない。


 その数字に、今、俺の言葉が入った。


    ◇


 床が、また震えた。


 長い。


 壁の図の接点が、円と同じ太さになった。


 ――繋がった。


    ◇


 そして、部屋の中央の床が沈んだ。


 三尺四方。


 三度目だ。


 沈んで、横へ滑る。


 その下から、光が上がってきた。


    ◇


 白い。


 これまでの青ではない。


 俺は、その穴を覗いた。


 ――底が見えない。


 だが、光っている。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――ここだ」


 俺は言った。


「二年二月、俺たちが探してきた場所だ」


    ◇


 老人が、帳面を握りしめて立っていた。


 震えている。


「ハルトさん」


「なんだ」


「――見てもよろしいですか」


    ◇


「見ろ」


 俺は言った。


「触るな」


「触りません」


 彼は言った。


 そして、穴の縁まで歩いて、覗き込んだ。


    ◇


 彼は、長いこと覗いていた。


 やがて、こう言った。


「――何も、見えません」


「光だけか」


「光だけです」


 彼は言った。


「三百年、我々が奪おうとしていたのは……光だけです」


    ◇


 俺は、その穴の縁に立った。


 まず、測った。


 三尺四方。深さ、不明。


 石を落とす。


 ――音が返らない。


    ◇


 二年二月前、俺は同じことをした。


 禁域の暗がりで、石を投げて音が返らなかった。


 あの時、俺は「入らない」と言った。


 広さが分からん場所に入るのは、素人だ、と。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――今も、素人だ」


 俺は言った。


「二年二月経ったが、測れんことは測れん」


「うん」


「入るのは、間違ってる」


    ◇


「じゃあ、はいらない?」


 俺は、その問いに答えなかった。


 ――入らないほうが、正しい。


 二十年、俺はそれで生き延びてきた。


 だが、今夜を逃せば、次は百三十二年後だ。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――俺は、正しいほうを選ばん」


 俺は言った。


「二十年で、初めてだ」


    ◇


 彼女は、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「ハルト」


「なんだ」


「それ、いっちゃ、だめ」


    ◇


「――なぜだ」


「ハルトが、まちがったこと、するなら」


 彼女は言った。


「わたしが、とめる、やくめ」


 彼女は、俺を見た。


「にねんにかげつまえ、そうきめた」

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