別の一派
「名は」
俺は言った。
「――申し上げられません」
「ゼルが死んだ」
俺は言った。
「情報屋だ。東の路地で刺された。……二年二月前だ」
◇
老人は、目を伏せた。
「存じています」
「あんたの指示か」
「違います」
「なら、名を言え」
◇
彼は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「――申し上げられない理由は、二つあります」
「言え」
「一つ。私が言えば、あなたは殺しに行きます」
◇
「行かん」
「行きます」
彼は言った。
「二年二月前、あなたは遺跡を潰そうとしました。……人を殺すより、そちらのほうが大きい」
俺は、答えなかった。
――知っている。
この男は、俺の二年前を知っている。
◇
「もう一つは」
「私が死んだ後、その者が私の席に座ります」
彼は言った。
「座らせないためには、私が生きている間に処理する必要があります」
彼は、俺を見た。
「私の仕事です」
◇
「年内だろう」
「年内です」
彼は言った。
「間に合わせます」
◇
俺は、その男を見ていた。
――信用できるか。
できない。
四十年、この男は使えるものを壊さずに使ってきた。
俺も、その一つだ。
◇
「一つ言っておく」
俺は言った。
「あんたが処理しなければ、俺がやる」
「殺しますか」
「殺さん」
俺は言った。
「測る」
◇
老人が、顔を上げた。
「――測る」
「そうだ」
俺は言った。
「そいつが何をしたか、いつ、どこで、誰と。……全部数えて、書いて、公にする」
俺は、野帳を叩いた。
「二十年、俺はそれで飯を食ってる」
◇
彼は、少し黙った。
それから、こう言った。
「――そのほうが、効きます」
「効く」
「はい」
彼は言った。
「我々の組織は、記録で動いています。……記録に残れば、席に座れません」
◇
その時、床が震えた。
小さい。
だが、はっきり分かる揺れだった。
「マリ。壁際へ」
「うん」
◇
揺れは、三度続いた。
三度とも、同じ強さだった。
――規則的だ。
落石ではない。
俺は、床に手を当てた。
◇
温かい。
さっきより、温かい。
「マリ。触れ」
「――あつい」
「熱いか」
「さっきより」
◇
俺は、壁を見た。
図が変わっていた。
二つの円。
その接点が――
太くなっている。
◇
「――広がってる」
俺は言った。
「細くなってた繋ぎ目が、太くなってる」
「なぜです」
老人が訊いた。
「――分からん」
◇
俺は、その変化を測ろうとした。
図の上で、接点の幅を目測する。
さっきの倍だ。
いや――
俺が見ている間にも、太くなっている。
◇
「マリ。数えろ」
「うん」
「幅がどう変わるか。……一定か、加速か」
「うん」
◇
彼女は、数え始めた。
俺も数えた。
三十を数える間に、幅は三倍になった。
次の三十で、五倍。
――加速してる。
◇
「マリ。星は」
「うえ」
彼女は言った。
「いま、まうえ、たぶん」
俺は、時刻を計算した。
夜半だ。
十六の星が、全部同じ方向に寄る時刻。
◇
「――重なりだ」
俺は言った。
「重なると、繋ぎ目が太くなる」
俺は、その事実を野帳に書いた。
「百三十二年に一度、この門は自分から開く」
◇
老人が、帳面を握りしめていた。
「三百年」
彼は言った。
「我々は、こじ開けようとしていました」
彼は、壁を見た。
「――待っていれば、開いたのですか」
◇
「開いた」
俺は言った。
「ただし、百三十二年に一度だ」
俺は、彼を見た。
「三百年で、二回。……その二回とも、あんたらは扉を叩いてた」
◇
老人は、その場に座り込んだ。
膝から、崩れるように。
「――二回」
彼は言った。
「二回、目の前を通り過ぎていました」
◇
俺は、その男を見ていた。
――四十年。
三百年。
全部、間に合っていた。
叩いていたから、気づかなかった。
◇
「マリ」
「うん」
「――俺たちも、危なかった」
「なんで」
「二年二月前だ」
俺は言った。
「あの時、俺は潰そうとしてた。……潰してたら、今夜は来なかった」
◇
彼女は、頷いた。
「うん」
「お前が止めた」
「うん」
彼女は言った。
「ハルトが、とまった」
◇
床が、また震えた。
今度は、長い。
俺は、壁の図を見た。
接点が、円と同じ太さになりかけている。
――二つが、繋がる。
◇
「マリ」
「うん」
「――今だ」
俺は言った。
「帰るなら、今夜だ」
◇
彼女は、その図を見た。
長いこと見ていた。
それから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「ひとつ、たしかめたい」
◇
「言え」
「いききが、できるか」
彼女は言った。
「できないなら、わたし、かえらない」
◇
俺は、その言葉を受け取った。
「――確かめる方法がない」
俺は言った。
「行ってみないと分からん。……行って、戻れなかったら、それが答えだ」
「うん」
彼女は言った。
「だから、たしかめる」
◇
「どうやって」
「オルソに、きく」
彼女は言った。
「せんねん、ここにいる。……いちばん、しってる」
◇
俺は、その通りだと思った。
だが、一つ引っかかった。
「マリ」
「うん」
「――あれは、行き来したことがない」
俺は言った。
「千年、一人でここにいた。……行って戻った経験がない」
◇
彼女は、少し黙った。
それから、こう言った。
「じゃあ、いっしょに、しらべる」
◇
「――どういう意味だ」
「オルソも、しらない」
彼女は言った。
「わたしも、しらない。ハルトも、しらない」
彼女は、床の刻みを見た。
「みんな、しらないなら、はかるしか、ない」
◇
俺は、その一言に手を止めた。
――測るしかない。
二年二月、俺がこの娘に教えたことだ。
いや、教えていない。
横で見ていて、盗んだと言っていた。
◇
「マリ」
「うん」
「――何を測る」
「いくときに、なにが、おきるか」
彼女は言った。
「かず、はかる。……いって、もどるまで」
◇
「戻れなかったら、測れんぞ」
「ハルトが、はかる」
彼女は言った。
「こっちがわで」
彼女は、俺を見た。
「わたしが、あっちで、はかる」
◇
俺は、その方法を検討した。
――両側から測る。
二十年、坑でやってきたことだ。
片側からでは出ない距離を、両側から測って突き合わせる。
「マリ」
「うん」
「――基準を合わせる必要がある」
◇
「うん」
「向こうとこっちで、時間の進み方が違うかもしれん」
俺は言った。
「二十三年前に来たはずのお前が、十九だった。……合ってない」
「うん」
彼女は言った。
「だから、はかる」
◇
俺は、野帳を出した。
新しい頁を開く。
そして、書いた。
〈基準:星ノ重ナリ〉
◇
「マリ。これだ」
「ほし」
「そうだ」
俺は言った。
「星は、両側から見える。……お前の空とこっちの空は、星が一つも同じじゃない」
「でも」
「同じ夜に、重なる」
◇
「――それが、ものさし?」
「それしかない」
俺は言った。
「百三十二年に一度だ。……粗い物差しだが、両側で使える唯一のものだ」




