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測量士と転移者  作者: ごま


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109/120

誘った側

「誰が、誰を誘った」


 俺は、壁に向かって言った。


 通じるはずがない。この国の言葉だ。


 だが、二年二月、俺はこの言い方で三語を渡してきた。


    ◇


 壁の文字が、消えた。


 代わりに、点が並んだ。


 俺は、数えた。


 千八百八十六。


 ――残った側の数だ。


    ◇


 点が、動いた。


 一つずつ、消えていく。


 速い。


 俺は、消える速さを数えた。


 一定ではない。


 最初は遅く、後になるほど速い。


    ◇


 全部消えて、一つだけ残った。


 ――オルソだ。


 その一つが、光を強めた。


 そして、壁に線を引いた。


    ◇


 線は、二つの円を描いた。


 接点がある。


 その接点から、線が伸びた。


 向こう側の円へ。


 ――呼びかけの形だ。


    ◇


「――こっちから、向こうへ」


 俺は言った。


「誘ったのは、こっち側だ」


「なぜ、そう読めます」


 老人が訊いた。


「線の出所だ」


 俺は言った。


「こっちの円から出て、向こうへ入ってる」


    ◇


 俺は、その線を目で追った。


 線は、向こうの円に入って、そこで一点になった。


 その一点が、光った。


 ――マリだ。


 二十三年前。


    ◇


「マリ」


「――みてる」


「これは、お前だ」


「うん」


 彼女は言った。


「わかる」


    ◇


 俺は、そこで一つ訊きたくなった。


 訊く形を、俺は持っている。


 二年二月かけて渡した「なぜ」の形だ。


 順を変えて訊く。


 俺は、床を叩いた。


    ◇


 一。二。三。四。


 それから、順を変えて。


 二。一。四。三。


 ――「なぜ」だ。


    ◇


 壁の線が、消えた。


 代わりに、また文字が出た。


 古い綴りだ。


 俺は、老人を見た。


「読め」


「――はい」


    ◇


 彼は、灯りを近づけた。


 そして、しばらく黙った。


「――一語です」


 彼は言った。


「短い」


「読め」


「〈ヒトリ〉」


    ◇


 俺は、その一語を受け取った。


 ――一人。


 なぜ誘ったか。


 答えは、一人だから。


    ◇


 部屋が、静かになった。


 誰も、何も言わなかった。


 千年前、千八百八十六いた。


 千年かけて、一人になった。


 その一人が、二十三年前に「帰ろう」と言った。


    ◇


「――誰に言った」


 俺は言った。


「誰かに向けて言ったはずだ」


 俺は、床を叩いた。


 もう一度、順を変えて。


    ◇


 壁に、また文字が出た。


 今度は、長い。


 六語ある。


 老人が、読んだ。


    ◇


「〈ダレデモ〉」


 彼は言った。


「〈キコエル モノ ガ イレバ〉」


 彼は、そこで手を止めた。


    ◇


「――誰でも」


 俺は言った。


「聞こえる者がいれば」


 俺は、その意味を組んだ。


 ――宛先がない。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――向こうに、誰かいると思って言ったんじゃない」


 俺は言った。


「いるかどうか分からないまま、言った」


    ◇


 マリは、壁を見ていた。


「――それ」


 彼女は言った。


「さびしい」


    ◇


 俺は、その一言に打たれた。


 ――そうだ。


 千年、一人だった。


 誰もいない場所で、繋ぎ目を保ち続けた。


 そして、二十三年前に一度だけ、宛先のない言葉を出した。


 「帰ろう」と。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――お前が拾った」


「うん」


「拾って、こっちへ来た」


 俺は言った。


「そして二年二月、毎日ここへ通った」


    ◇


 俺は、そこで気づいた。


 ――届いてる。


 二十三年前の「帰ろう」は、宛先がなかった。


 だが、二十三年後に、その言葉を拾った娘が、この部屋に立っている。


 毎日、ここへ来ていた。


    ◇


「マリ」


「なに」


「――お前は、返事をしに来てた」


    ◇


 彼女は、俺を見た。


 目が、大きく開いていた。


「わたし」


「二年二月、毎日だ」


 俺は言った。


「お前が灯りを持って、俺が数えた。……お前は一日も休まなかった」


    ◇


 彼女は、口を押さえた。


 そして、床に膝をついた。


 泣いてはいなかった。


 ただ、動けなくなっていた。


    ◇


 俺は、その横に立っていた。


 声をかけなかった。


 ――かける言葉が、思いつかない。


 二年二月、俺はこの娘に言うべきことを言わずに来た。


 言わなくても伝わると思って。


    ◇


 俺は、膝をついた。


 彼女と同じ高さになった。


「マリ」


「――うん」


「一つ言う」


    ◇


「うん」


「――お前がいなかったら、俺はここに来てない」


 俺は言った。


「二年二月前、俺は潰しに来た。……止めたのは、お前だ」


    ◇


「わたし、なにも」


「『もどる』と言った」


 俺は言った。


「あと三十歩で柱に触れる場所で、お前が言った。……俺は従った」


 俺は、彼女を見た。


「あそこで従わなかったら、俺は潰してた」


    ◇


 彼女は、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「ハルト」


「なんだ」


「――それ、はじめて、いった」


「言った」


 俺は言った。


「二年、遅れた」


    ◇


 老人が、後ろで帳面を書いていた。


 書きながら、こう言った。


「――失礼します」


「なんだ」


「一つ、確認したいことがあります」


    ◇


「言え」


「二十三年前です」


 彼は言った。


「その年、私は本家の代替わりの記録を切り取りました」


 俺は、顔を上げた。


    ◇


「――あんたか」


「私です」


 彼は言った。


「三十一年前の、四日の揺れの記録です」


「なぜ切った」


「――隠すためです」


    ◇


「誰から」


「私自身からです」


 彼は言った。


「本家に、句を継いだ子がいる。……それを知ってしまうと、私は手を出します」


 彼は、俺を見た。


「三十一年前、あなたは十一でした」


    ◇


 俺は、その言葉を受け取った。


 三十一年前、俺は十一だった。


 師匠に引き取られて、句を唱え始めた年だ。


 地が四日揺れた。


 この男は、それを読んで、記録を切った。


    ◇


「――手を出す、とは」


「殺します」


 彼は、あっさり言った。


「本家に継ぐ者がいれば、我々の側の正統性が失われます。……三百年、そういう理屈でやってきました」


    ◇


「二十三年前、俺の親が死んだ」


「それは、私ではありません」


 彼は言った。


「私は当時、記録係でした。……動かせる立場にありません」


「なら、誰だ」


「先代です」


    ◇


「先代は」


「二十二年前に死にました」


 彼は言った。


「私が継ぎました。……継いで、最初にやったのが、あの頁を切ることです」


    ◇


 俺は、その順を頭に入れた。


 ――親を殺したのは、先代。


 この男は、その次だ。


 そして継いだ直後に、俺の存在を隠した。


「なぜ、隠した」


「同じことをしたくなかったからです」


    ◇


「――四十年、隠し続けたのか」


「隠し続けました」


 彼は言った。


「二年前まで」


「二年前に、何があった」


「病が見つかりました」


    ◇


 俺は、その因果を組んだ。


 ――余命を知って、動き出した。


 四十年守った線を、自分で越えた。


「あんた」


 俺は言った。


「四十年、俺を生かした男が、二年前から殺しに来たのか」


    ◇


「殺していません」


 彼は言った。


「家を焼いたのは、私の指示ではありません」


「じゃあ、誰だ」


「――内部の別の一派です」


 彼は言った。


「私が動き出したのを見て、先を越そうとした者がいます」

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