三人で降りる
俺たちは、柱の広間へ降りた。
二百四十段の下だ。
老人は、三十段ごとに止まった。
息が上がっている。
俺は、待った。急かさなかった。
◇
降りきると、柱があった。
二十歩の太さ。
一万四百二十七の刻みが、薄く光っている。
老人は、その前で立ち止まった。
動かなかった。
◇
長い時間、動かなかった。
「――失礼」
やがて、彼は言った。
「少し、座らせてください」
彼は、石の床に座った。
座って、柱を見上げた。
◇
「三百年」
彼は言った。
「我々は、この上で叩いていました」
「そうだ」
「――ここに、あったのですか」
「あった」
俺は言った。
「二百四十段、降りるだけだった」
◇
彼は、しばらく黙っていた。
それから、懐から帳面を出した。
小さい。手のひらほどだ。
「書いてよろしいですか」
「書け」
俺は言った。
「それが条件だ」
◇
彼は、書き始めた。
手が震えている。年のせいか、他のせいかは分からない。
俺は、その間にマリと灯りの位置を決めた。
斜め後ろ、少し高く。
二年二月、一度もずれていない位置に。
◇
「マリ」
「うん」
「――今日は、五度目になる」
「うん」
「規則は、もう守ってない」
「うん」
彼女は言った。
「きょうは、いいひ」
◇
俺は、その言い方を聞いた。
――いい日。
二年二月、この娘は一度もそういう言い方をしなかった。
「なぜだ」
「ほしが、ぜんぶ、そろってる」
彼女は言った。
「いちど、しか、ない」
◇
俺は、柱の前に立った。
息を吸う。
――五度目だ。
二十年と二年。
七百二十九回目。
◇
俺は、唱えた。
――シャルカディ・オム・ネイア。
柱が、光った。
これまでで一番強い。
一万四百二十七の刻みが、下から上まで一度に。
◇
そして、床が沈んだ。
三尺四方。
二年二月前と、同じ場所だ。
あの時、俺は「今日は降りん」と言った。
今日は、降りる。
◇
「マリ」
「うん」
「――行くぞ」
「うん」
老人が、立ち上がった。
帳面を懐に入れる。
「私も」
「来い」
◇
三十段、降りた。
着いた先は、九尺かける十二尺の部屋だ。
二年二月前に、三人で来た場所。
あの時は、俺とマリとセレンだった。
今日は、セレンの代わりに、この老人がいる。
◇
部屋の中央に、床の刻みがある。
同心円と、枝分かれする線。
四つの弧。
俺は、その四つを見た。
――全部、光っている。
◇
「マリ」
「――よっつ、ぜんぶ」
「そうだ」
俺は言った。
「下で板を外した。……それが効いてる」
俺は、その刻みの前に膝をついた。
◇
老人が、後ろで息を呑んだ。
「――紋章が」
「知ってるか」
「知っています」
彼は言った。
「三百年、我々が持ち歩いてきた絵です」
◇
「あんたらのは、四つ目が小さいだろう」
「――なぜ、それを」
「実物を見た」
俺は言った。
「二百尺下だ。四つ目は門じゃない。……穴だ」
◇
「穴」
「地質を調べるための、細く深い穴だ」
俺は言った。
「三寸。深さ八十尺。……その底に、何かいる」
老人は、帳面を出した。
書き始めた。
◇
俺は、床に手を当てた。
温かい。
二年二月前は、四つ目だけが冷たかった。
今は、四つとも同じ温度だ。
――繋がった。
◇
その時、部屋の壁が変わった。
線が現れた。
二年二月前に見た断面図と、同じ描き方だ。
だが、今度は違うものが描かれていた。
◇
円だ。
大きな円が二つ。
並んでいる。
二つの円は、一点で接している。
その接点に、印がある。
◇
「――繋ぎ目だ」
俺は言った。
「二つの世界が、一点で接してる」
俺は、その接点を指した。
「ここが、サルカドだ」
◇
老人が、書く手を止めた。
「二つ、ですか」
「二つだ」
俺は言った。
「片方がこっち。片方が、この娘の来た方だ」
◇
壁の図が、動いた。
二つの円が、少しずつ離れていく。
接点が、細くなる。
細くなって、糸のようになった。
だが、切れなかった。
◇
俺は、その動きを見ていた。
「――離れてる」
俺は言った。
「千年かけて、二つが離れていってる」
「切れますか」
老人が訊いた。
「――切れる」
◇
俺は、その図を見た。
糸は、まだ繋がっている。
だが、細い。
四つ目の弧が四分の三だった理由が、これだ。
――閉まりかけている。
千年かけて。
◇
「マリ」
「うん」
「――お前が来られたのは」
「うん」
「切れる前だったからだ」
俺は言った。
◇
彼女は、その図を見ていた。
長いこと見ていた。
「ハルト」
「なんだ」
「あと、どのくらい」
◇
俺は、その図を測った。
千年で、これだけ細くなった。
同じ速さなら――
俺は、計算した。
計算して、手を止めた。
◇
「――出ない」
俺は言った。
「速さが一定なら出る。……だが、この図は等速じゃない」
俺は、線の曲がり方を指した。
「後半のほうが、速い」
◇
「では」
「加速してる」
俺は言った。
「千年で半分になったんじゃない。……最後の百年で、半分になってる」
◇
俺は、その意味を口に出した。
「――もう、いくらもない」
◇
部屋が、静かになった。
老人が、帳面を閉じた。
「ハルトさん」
「なんだ」
「――今夜が最後という意味では、私と同じですね」
◇
「あんたとは違う」
俺は言った。
「あんたは、年内だ。これは、いつか分からん」
「同じです」
彼は言った。
「終わりが見えている、という点では」
◇
俺は、その言い方に反発した。
――違う。
だが、どこが違うのかを、俺は言葉にできなかった。
言葉にできないなら、それは俺の負けだ。
二年、俺はそういう決まりでやってきた。
◇
マリが、口を開いた。
「ちがう」
彼女は言った。
老人が、彼女を見た。
「――どこが違いますか、お嬢さん」
「おわりが、みえてるの、いっしょ」
彼女は言った。
「でも、なにを、するかが、ちがう」
◇
「何をするか」
「あなたは、みる」
彼女は言った。
「ハルトは、はかる」
◇
「同じことでは」
「ちがう」
彼女は言った。
「みるのは、じぶんのため。……はかるのは、つぎのひとの、ため」
◇
老人は、その言葉を受け取った。
しばらく、何も言わなかった。
それから、帳面を開き直した。
そして、書いた。
書いてから、こう言った。
「――今の言葉を、書き残します」
◇
俺は、その様子を見ていた。
――四十年、この男は目的を探していた。
三百年分の記録に、それがなかった。
いま、十九で異世界に落ちた娘が、それを一言で言った。
測るのは、次の人間のためだ。




