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測量士と転移者  作者: ごま


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105/120

書き残さなかった者

「――書き残していない」


 俺は、その言葉を繰り返した。


「はい」


 老人は言った。


「三百年分の記録を、私は全部読みました。目的が書かれた頁は、一枚もありません」


    ◇


 俺は、円の広間を見回した。


 十五人が、動きを止めてこちらを見ている。


 火薬の樽が十二。


 その真ん中で、七十の男が「分かりません」と言った。


    ◇


「一つ訊く」


 俺は言った。


「あんたは、それをいつ知った」


「四十年前です」


「――四十年」


「はい」


 彼は言った。


「三十のとき、記録を任されました。読み終えて、目的がないと分かりました」


    ◇


「それで、どうした」


「続けました」


 彼は言った。


「他に、やり方を知らなかったので」


    ◇


 俺は、その答えを聞いた。


 ――やり方を知らなかった。


 二年前、ダウムが同じことを言った。


 やめる理由もない、と。


 四十年やってきた男の本当だ、と。


    ◇


「あんた」


 俺は言った。


「ギルド長に似てる」


「――どなたです」


「メルシアの測量士ギルドの長だ」


 俺は言った。


「四十年やってる。……なぜやってるか答えられんと、本人が言った」


    ◇


 老人は、少し黙った。


「その方は、人を巻き込んでおられますか」


「――巻き込んでない」


「では、似ていません」


 彼は言った。


    ◇


 俺は、その線引きを聞いた。


 ――自分で引いてる。


 この男は、自分が何をしているかを分かっている。


 分かった上で、やっている。


 その方が、厄介だ。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――樽を数えろ」


「じゅうに」


 彼女は言った。


「ぜんぶ、おなじ、おおきさ」


「一つ、二貫弱だ」


 俺は言った。


「十二で、二十貫を少し切る」


    ◇


 俺は、その配置を見た。


 樽は、広間の中央に固めてある。


 ――おかしい。


 火薬を使うなら、使う場所の近くに置く。


 中央に固めるのは、運びやすさのためだ。


 まだ、置き場所を決めていない。


    ◇


「一つ訊く」


 俺は言った。


「あんた、どこを撃つつもりだ」


「――踊り場です」


「踊り場は、もう三度撃った」


「四度目で抜けます」


「抜けん」


    ◇


「なぜ、そう言い切れます」


「三度の結果を見たからだ」


 俺は言った。


「一度目で砂が落ちた。二度目で石が二つ落ちた。三度目で亀裂が三本入った」


 俺は、彼を見た。


「壁は、一分も欠けてない」


    ◇


 老人の顔が、初めて動いた。


「――亀裂を、見たのですか」


「測った」


 俺は、野帳を見せた。


「四尺。三尺八寸。二尺二寸。……粉が出てた。まだ動いてる」


    ◇


 彼は、その野帳を見た。


 長く見ていた。


「これは、どこで」


「踊り場の真下だ」


 俺は言った。


「あんたらが叩いてた場所の、六十尺下を通ってきた」


    ◇


「――そんな道がありますか」


「ある」


 俺は言った。


「三百年前の図面に描いてある。……あんたらの記録室にあったやつだ」


 老人が、動きを止めた。


    ◇


「記録官が」


「持ち出した」


「二年前ですね」


「二年前だ」


 俺は言った。


「あんたは、それを知ってて泳がせた」


    ◇


「知っていました」


 彼は言った。


「読めないと思っていました」


 彼は、少し目を伏せた。


「基準線のない図面です。三百年、誰にも読めませんでした」


    ◇


「読めた」


 俺は言った。


「通路の幅が四尺五寸で描いてある。……それを物差しにすれば読める」


 俺は、野帳を閉じた。


「基準線がないんじゃない。基準が、絵の中にあった」


    ◇


 老人は、しばらく何も言わなかった。


 それから、こう言った。


「――三百年、誰も気づきませんでした」


「気づかんだろうな」


 俺は言った。


「毎日その数字を書いてる人間じゃなきゃ、思いつかん」


    ◇


 俺は、そこで一つ言うことにした。


 言うつもりはなかった。


 だが、この男は「分かりません」と正直に答えた。


 なら、こっちも一つ渡す。


「あんたの句は、間違ってる」


    ◇


 老人の目が、動いた。


「――どこがです」


「長い」


 俺は言った。


「あんたのは十一音だ。俺のは四音だ」


「三百年で、増えたと」


「増えた」


    ◇


「削ればよろしいのですか」


「削っても駄目だ」


 俺は言った。


「どこが増えた部分かを、あんたは知らん。……知らずに削ったら、残るのは別の言葉だ」


    ◇


「あなたは、ご存じなのですか」


「三分の二は知ってる」


 俺は言った。


「二年かかった。……毎日一つずつ渡して、返してもらった」


    ◇


「渡した」


「そうだ」


 俺は言った。


「奪ってない」


    ◇


 老人は、その言葉を受け取った。


 受け取って、しばらく立っていた。


「ハルトさん」


「なんだ」


「――私に、二年ください」


    ◇


 俺は、その要求を聞いた。


「あんた、七十だろう」


「七十二です」


「二年経てば、七十四だ」


「はい」


 彼は言った。


「重なりは、過ぎています」


    ◇


「なら、意味がない」


「あります」


 彼は言った。


「私が生きているうちに開かなくても、開け方が残ります」


 彼は、樽を見た。


「三百年、我々が残せなかったものです」


    ◇


 俺は、その言い方を検討した。


 ――目的を書き残さなかった連中だ。


 その最後の一人が、初めて「残したい」と言っている。


 嘘かもしれない。


 時間を稼ぐための方便かもしれない。


    ◇


 俺は、マリを見た。


 彼女は、樽を見ていた。


「マリ」


「うん」


「――どう思う」


「わかんない」


 彼女は言った。


「でも、ひとつ、きになる」


    ◇


「言え」


「そのひと、いま、たるのそばに、いる」


 彼女は言った。


 俺は、老人を見た。


 樽から、三歩の位置に立っている。


 ――さっきより、近い。


    ◇


 俺は、その距離を測った。


 話している間に、二歩詰めている。


 気づかなかった。


 ――こっちを見ながら、動いていた。


「マリ。下がれ」


「うん」


    ◇


 老人は、動きを止めた。


 止めて、少し笑った。


 初めて笑った。


「――お嬢さんは、よく見ておられる」


「二年、俺の横で数えてた」


 俺は言った。


「あんたの歩数も、数えてたんだろう」


    ◇


「ろっぽ」


 マリが言った。


「はなしはじめてから、ろっぽ、ちかづいた」


 老人は、頷いた。


「――六歩です」


 彼は言った。


「正確です」


    ◇


 俺は、その笑い方が気に入らなかった。


 ――褒めた。


 この男は、こちらの正確さを褒める。


 二年前もそうだった。俺の測量を褒め、図面を見せてほしいと言った。


 褒めながら、六歩詰めていた。


    ◇


「一つ言っておく」


 俺は言った。


「あんたが樽に触っても、俺は動かん」


「――ほう」


「火はどこだ」


 俺は言った。


「あんた、火を持ってない」


    ◇


 老人は、動きを止めた。


「灯りは、そこの三人が持ってる」


 俺は言った。


「あんたの手は空だ。……樽に触っても、火が来るまでに二歩ある」


 俺は、彼を見た。


「二歩なら、間に合う」


    ◇


「――測っておられましたか」


「測ってる」


 俺は言った。


「あんたが六歩詰める間に、俺は灯りの位置を三度確かめた」


    ◇


 老人は、その場に立ったまま、しばらく黙っていた。


 それから、両手を上げた。


 空にして、見えるように。


「――失礼しました」


 彼は言った。


「癖です。話しながら、間合いを詰める癖があります」


    ◇


「癖じゃないだろう」


「癖です」


 彼は言った。


「四十年、交渉でそうしてきました。……今は、必要ありませんでした」


 彼は、三歩下がった。


 樽から、九歩の位置に。


    ◇


「ハルトさん」


「なんだ」


「先ほどの願いは、取り下げます」


 彼は言った。


「二年ください、と申し上げました。……あれは、時間稼ぎです」


    ◇


 俺は、その自白を聞いた。


「――なぜ、言う」


「見抜かれたからです」


 彼は言った。


「見抜かれた嘘を続けると、次の言葉も嘘だと思われます」


 彼は、俺を見た。


「これから、本当のことを申し上げるので」

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