自分の意思で
浅い家の蓋から出たとき、空が変わっていた。
星が、集まっている。
〈環〉と〈天秤〉と〈杯〉が、同じ方向に寄っていた。
その周りに、明るい星が並んでいる。
俺は、数えた。
十六。
◇
全部が、同じ方向を向いていた。
「マリ」
「――みてる」
「時刻は」
「よるはんの、いちこくまえ」
彼女は言った。
「ハルトが、そらで、はかった」
◇
俺たちは、野原を横切った。
石段の方角に、灯りが集まっている。
数が減っていた。
三十四あった灯りが、十二になっている。
――退いてる。
◇
近づくと、人がいた。
入口の外に、十人ほど。
荷を担いでいる。逃げる支度だ。
その真ん中に、レイヴが立っていた。
◇
「レイヴ」
彼が、振り返った。
「ハルトさん。――生きておられましたか」
「聞こえたか」
「聞こえました」
彼は言った。
「二度、一度。……三十回以上、続けて」
◇
「どうした」
「町の人間が、先に動きました」
彼は言った。
「南区で雇われた九人です。あの合図を知っていました」
俺は、その事実を受け取った。
――知っていた。
二十年、ギルドが使ってきた合図だ。
南区の人間なら、知っている。
◇
「九人が、道具を置いて上がりました」
レイヴは言った。
「上がって、『崩れる』と言いました。……それで、半分が退きました」
「残りは」
「中です」
◇
俺は、石段の入口を見た。
暗い。
灯りが見えない。
「レイヴ。何人だ」
「二十二人です」
彼は言った。
「当主を含めて」
◇
「火薬は」
「三度使いました」
彼は言った。
「残りは二十貫です。……四度目の準備をしています」
「止めたか」
「止めました」
彼は言った。
「聞きませんでした」
◇
俺は、その男を見た。
顔に、殴られた跡があった。
「――やったのか」
「やりました」
彼は言った。
「二十年で、初めて上官を殴りました」
彼は、少し笑った。
「効きませんでした」
◇
俺は、荷を下ろした。
「レイヴ」
「はい」
「――甥は」
「上がりました」
彼は言った。
「九人のうちの一人です」
◇
俺は、その一言に少し止まった。
「カラン村じゃなかったのか」
「先月、こちらに回されました」
彼は言った。
「私が外されたので、身内も外されました」
彼は、荷を担いだ十人の方を見た。
「その中に、います」
◇
俺は、その方を見た。
若い男が一人、こちらを見ていた。
十八だ。
俺と目が合って、頭を下げた。
◇
「レイヴ」
「はい」
「あんたは、これからどうする」
「町へ走ります」
彼は言った。
「あなたが二年前に言った通りに。……六百軒です」
◇
「――待つのはやめたか」
「甥は上がりました」
彼は言った。
「待つ理由が、なくなりました」
彼は、俺を見た。
「ですが、あなたが言ったのは、そういう意味ではないと思っています」
◇
「どういう意味だと思う」
「――どちらを選ぶかは、自分で決めろ、と」
彼は言った。
「二年、考えました」
彼は、荷を担ぎ直した。
「決めました」
◇
彼は、走り出した。
十人が、その後を追った。
俺は、その背中を見送った。
――間に合うか。
メルシアまで、半日と少しだ。
走れば、四刻。
◇
俺は、石段の前に立った。
中に、二十二人いる。
当主がいる。
「マリ」
「うん」
「――入る」
◇
「うん」
「危ないぞ」
「しってる」
彼女は言った。
それから、こう続けた。
「ハルト」
「なんだ」
「わたし、いまから、いう」
◇
俺は、彼女を見た。
「――何をだ」
「きめたこと」
彼女は言った。
「にねんにかげつまえ、『そのひに、きめる』って、いった」
彼女は、空を見た。
「きょうが、そのひ」
◇
俺は、待った。
急かさなかった。
「わたし、かえる」
彼女は言った。
「かえりたい」
◇
俺は、その言葉を受け取った。
――そうか。
二年二月、この娘は一度もぶれていない。
「かえりたいから、ここにいる」と、九十一話も前に言った。
変わっていない。
「――分かった」
俺は言った。
◇
「ハルト」
「なんだ」
「まだ、つづきが、ある」
彼女は言った。
「かえる。……でも、いっかいだけじゃ、ない」
◇
「――どういう意味だ」
「いきき、したい」
彼女は言った。
「かえって、また、くる。……そういうの、できないかな」
◇
俺は、その言葉に手を止めた。
――行き来。
二年二月、俺はこの娘の選択肢を二つだと思っていた。
帰るか、残るか。
三つ目を、考えていなかった。
◇
「マリ」
「うん」
「――なぜ、それを今言った」
「ハルトが、うごきかたを、かえるから」
彼女は言った。
「かえる、だけだと、ハルトは、わたしを、かえすことだけ、かんがえる」
彼女は、俺を見た。
「いききなら、ちがう」
◇
「――何が違う」
「もんを、こわさない」
彼女は言った。
「あけたままに、する」
◇
俺は、その一言に打たれた。
――開けたままにする。
二年二月前、俺は潰そうとした。
当主は、こじ開けようとしている。
どちらも、一度きりの話だ。
この娘は、続く形を選んだ。
◇
俺は、しばらく答えなかった。
――行き来。
できるかどうかは、分からない。
二年二月、俺は千二百語を渡した。
その中に「また来る」を伝える形は、まだ作っていない。
「マリ」
「うん」
「――できるとは、言えん」
◇
「うん」
「できないとも、言えん」
俺は言った。
「試したことがないからだ」
「じゅうぶん」
彼女は言った。
「できないって、いわれてないなら、じゅうぶん」
◇
俺は、その言い方を聞いた。
――可能性はゼロではない。
当主が使った理屈と、同じ形だ。
だが、中身が違う。
あの男は、それで五十三人を突っ込む。
この娘は、それで自分の帰り道を選んでいる。
◇
「マリ」
「なに」
「――一つ言っておく」
「うん」
「行き来ができるようになるまで、何年かかるか分からん」
俺は言った。
「十年かもしれん。……その間、お前はどうする」
◇
彼女は、少し笑った。
「はかる」
彼女は言った。
「わたし、みならい。……いっぱんに、なりたい」
「その次は」
「じゅくれん」
「その次は」
「――とっきゅう」
◇
「特級は、この町に二人しかいない」
俺は言った。
「一人は八十過ぎで、もう潜ってない」
「じゃあ、あとひとり」
彼女は言った。
「ハルトが、そのひとり」
「そうだ」
◇
「なら、みっつめに、なる」
彼女は言った。
俺は、その言い方に少し口の端が動いた。
「――二十年かかるぞ」
「にじゅうねん、いれば、いい」
彼女は言った。
「いききしながら」
◇
俺は、石段の一段目に足をかけた。
右寄りの窪みだ。
百年ぶんの誰かが、ここで足を止めた場所。
俺は、そこに立った。
◇
今日、俺は三度唱えた。
四度目になる。
――日に一度。
三百年前の用心だ。
俺は、それをもう守らない。
◇
俺は、息を吸った。
二十年、俺はこれを「危ない場所に入る前のまじない」として唱えてきた。
意味を知らずに。
二年、意味を追いかけた。
今夜、初めて――
◇
――言うために、唱える。
誰かに聞かせるために。
開けるためでも、守るためでもなく。
俺は、唱えた。
――シャルカディ・オム・ネイア。
◇
サルの繋ぎ目へ、帰る。
二十年、俺は毎朝そう言ってから、遺跡に降りていた。
降りて、帰ってきた。
二十年、一度も欠かさずに。
◇
石段が、光った。
二百四十段が、下まで一度に。
俺は、その光の中に立っていた。
中にいる二十二人にも、見えているはずだ。




