止まった音
四度目の音は、来なかった。
俺たちは、四半刻待った。
鶴嘴の音も止まっている。
上が、静かになった。
「マリ。手を止めろ」
「うん」
◇
部屋が、静かになった。
水滴の音だけがある。
俺は、天井を見上げた。
――止まった。
理由は、三つ考えられる。
◇
一つ。合図が届いて、退いた。
二つ。壁が抜けて、次の作業に移った。
三つ。何かが起きて、動けなくなった。
俺は、その三つを野帳に書いた。
書いて、二つ目に線を引いた。
◇
「マリ。二つ目は消せる」
「なんで」
「壁が抜けたなら、瓦礫を落とす音がする」
俺は言った。
「抜いた後は、必ず片付ける。……その音がない」
◇
残りは、二つだ。
退いたか、動けないか。
どちらかは、上がらないと分からない。
「マリ」
「うん」
「――上がる」
◇
俺たちは、部屋を出た。
出る前に、俺は一つやった。
オルソの杆を、元の隅に戻した。
「もっていかないの」
「持っていかん」
俺は言った。
「これは、ここの道具だ。……俺のじゃない」
◇
階段を上がり、点検口を抜けて、水に出た。
水位が上がっていた。
胸まであった場所が、肩まで来ている。
――押し寄せた分だ。
「マリ。経路を言え」
「まえじゅうに、みぎよん、うしろじゅうはち、ひだりろく」
逆順だ。間違っていない。
◇
俺たちは、斜路の下に戻った。
二百尺を登る。
三寸勾配だ。降りるより、登るほうが楽だ。
だが、水を吸った服が重い。
◇
百尺の地点で、俺は足を止めた。
壁の大きな模様のところだ。
五尺八寸の同心円。
――光ってる。
降りるときは、暗かった。
◇
「マリ。これ、光ってたか」
「ひかってなかった」
彼女は言った。
「したりるとき、くらかった」
俺は、その模様に手を当てた。
温かい。
◇
俺は、四つの弧を確かめた。
三つが光っている。
四つ目は――
俺は、灯りを近づけた。
光っていた。
◇
「マリ」
「――ひかってる」
「四つ目もだ」
俺は言った。
「下で、板を外した。……それが効いてる」
◇
俺は、その意味を組んだ。
四つ目は、門ではなかった。ボーリング孔だった。
塞いであった板を、俺が外した。
外したら、上の紋章の四つ目も光り始めた。
――繋がってる。
この二つは、同じものを表示している。
◇
「マリ」
「うん」
「――これは、地図じゃない」
俺は言った。
「二年二月前、俺は『紋章は地図だ』と思った。……違う」
「じゃあ、なに」
「――計器だ」
◇
「けいき」
「今の状態を示す盤だ」
俺は言った。
「船の羅針盤みたいなものだ。……三つの門が開いてれば三つ光る。穴が塞がってれば四つ目は消える」
◇
俺は、その考えを口に出してから、二十年分の記憶を辿った。
――同じ模様が、十一か所にある。
サルカドの壁。狐の背。カラン村の床。ヌイ村の基礎。観星卿団の絵。
そして、この斜路の壁。
◇
全部、同じ状態を映しているのか。
もしそうなら――
「マリ」
「うん」
「――狐を出せ」
◇
彼女は、布包みを開いた。
狐を灯りにかざす。
背中の模様が、光っていた。
同心円の内側だけではない。
全体が、淡く。
◇
俺は、その背中の四つの弧を見た。
三つが明るい。
四つ目が――
俺は、目を近づけた。
光っている。
◇
「マリ」
「――ハルト」
「同じだ」
俺は言った。
「壁と、狐が、同じことを表示してる」
俺は、その狐を見た。
「二十年、俺はこいつを直しては仕舞ってた」
◇
俺は、その事実に少し打たれた。
――計器だった。
俺は二十年、計器を仕舞い込んでいた。
動かない置物だと思って。
「マリ。これは、いつから光ってた」
「わかんない」
彼女は言った。
「みずのなかで、ひかって、そのあと、きえた」
◇
「そのあと、見てないか」
「みてない」
彼女は言った。
「ふくろに、いれた」
俺は、頷いた。
「――なら、いつからかは分からんな」
◇
俺たちは、登り続けた。
百五十尺。
百八十尺。
二百尺で、斜路の上に着いた。
通路に出る。
◇
通路は、暗かった。
だが、俺は違和感に気づいた。
――空気が動いてる。
降りるときは、動いていなかった。
「マリ。灯りを寝かせろ」
「うん」
◇
炎が、傾いた。
風が来ている。
通路の先から。
――上の方だ。
俺たちが来た方向とは、逆だ。
◇
「マリ」
「うん」
「――どこかが開いた」
俺は言った。
「風が通るということは、二か所以上開いてるということだ」
◇
俺は、その意味を考えた。
浅い家の蓋は、俺が開けたままだ。
それが一つ目。
二つ目は――
上で、壁が抜けたか。
あるいは、崩れたか。
◇
「マリ」
「うん」
「――急ぐぞ」
「うん」
俺たちは、八百歩を走った。
途中で、俺は一度だけ足を止めた。
◇
石段の下を横切る地点だ。
天井を見上げる。
――割れてる。
髪の毛ほどの亀裂が、三本走っていた。
降りるときには、なかった。
◇
俺は、その亀裂を測った。
長さ、四尺。三尺八寸。二尺二寸。
幅は、どれも髪の毛ほど。
――まだ、動いていない。
亀裂は、入っただけでは落ちない。
落ちるのは、幅が広がってからだ。
◇
「マリ。灯りを近づけろ」
「うん」
俺は、亀裂の縁を見た。
粉が出ている。
新しい。
――今も動いてる。
◇
「マリ。ここは走るな」
「――なんで」
「振動だ」
俺は言った。
「走ると、足が地面を叩く。……その分だけ、亀裂が進む」
「じゃあ、どうする」
「歩く」
俺は言った。
「速く、静かに」
◇
俺たちは、歩いた。
足を、置くように運ぶ。
二十年、崩落しかけた坑を抜けるときにやってきた歩き方だ。
若い頃、師匠に叩き込まれた。
――走る奴から先に埋まる。
◇
三十歩進んだところで、後ろで音がした。
小さい。
砂が落ちる音だ。
振り返らなかった。
振り返れば、足が止まる。
止まれば、重心が変わる。
◇
「マリ。振り返るな」
「うん」
「前だけ見ろ」
「うん」
彼女の声は、落ち着いていた。
――二年で、この娘は現場の人間になった。
◇
亀裂の区間を抜けたところで、俺は足を止めた。
振り返る。
通路の天井から、細い砂が糸のように落ちていた。
三本。
亀裂の位置と、同じだ。
◇
「マリ」
「うん」
「――あそこは、もう通れん」
俺は言った。
「帰りは、この道を使えない」
「じゃあ」
「石段から出る」
俺は言った。
「四十二人の、真ん中を通ってな」




