届かない声
三度目の音が、上から来た。
これまでで一番重い。
水が、部屋の入口まで押し寄せた。
階段の下三段が濡れた。
天井から、石が落ちた。
拳大のものが二つ。
◇
「マリ。壁際へ」
「うん」
俺は、天井を見上げた。
ひび割れは、まだない。
だが、砂が落ち続けている。
――三度目で、これだ。
四度目があれば、抜ける。
◇
俺は、その時、音を聞いた。
火薬の音ではない。
声だ。
遠い。
だが、確かに人の声だった。
◇
俺は、耳を澄ませた。
――唱えている。
節がある。
俺の句と、似ている。
似ているが、長い。
◇
「マリ。数えろ」
「うん」
俺たちは、その音を数えた。
音の数を。
俺の句は四音だ。
あれは――
◇
「じゅういち」
マリが言った。
「十一だ」
俺は言った。
「俺のは四つだ。……三倍近い」
◇
俺は、その意味を組んだ。
――三百年ぶんの飾りだ。
二年二月前、レイヴが言っていた。
分家の句は、三百年ぶんの飾りがついて崩れている、と。
四音が十一音になっている。
◇
声は、三度繰り返した。
三度とも、同じだった。
――規則的だ。
あの男も、規則は守っている。
三度唱えて、止まった。
◇
俺は、床の光を見た。
変わらない。
三つの弧が光ったままだ。
四つ目は、板を外したまま。
――応えていない。
◇
「マリ」
「うん」
「――何も起きてない」
「きこえてない、の?」
「聞こえてる」
俺は言った。
「聞こえてて、応えてない」
◇
俺は、そこで一つ確かめたくなった。
俺は、床の刻みに手を当てた。
そして、待った。
しばらくして、光が動いた。
三つの弧が、順に明滅した。
三度。
◇
――高、低、低。
「違う」だ。
俺は、その並びを二度確かめた。
同じだった。
「マリ」
「――ちがう、って」
「そうだ」
◇
俺は、その意味を考えた。
俺が何かを渡したわけではない。
なのに、「違う」が返った。
――上の声に対してだ。
あれは、当主の句を聞いて、「違う」と返している。
◇
「マリ」
「うん」
「――俺のときと同じだ」
俺は言った。
「二年二月前、俺が音を間違えると、これが返った」
俺は、床を見た。
「あの男の句は、間違ってる」
◇
「まちがってる、って」
「三百年、伝言してきたからだ」
俺は言った。
「人から人へ渡すたびに、少しずつ変わる。……四音が十一音になるまで変わった」
「なおせないの」
「――たぶん、直せる」
◇
俺は、その可能性を口に出した。
「俺の句は、正しい形を保ってる。……あの男に渡せば、直せる」
「わたす?」
「そうだ」
俺は言った。
「四音を教えれば、あの男の句は正しくなる」
◇
マリが、俺を見た。
「ハルト」
「なんだ」
「それ、わたして、いいの」
◇
俺は、答えなかった。
――渡せば、開く。
あの男は、開けたい。
開けて、何をするかは知らない。
だが、二千人を巻き添えにする覚悟がある男だ。
◇
「マリ」
「うん」
「――渡さん」
俺は言った。
「渡せば、あの男は正しい句で開ける。……そして、俺は止められなくなる」
「じゃあ、どうする」
「――止める」
◇
「どうやって」
「上へ行く」
俺は言った。
「四度目の前に、火薬を止める」
「あがるの」
「上がる」
◇
俺は、荷を担ぎ直した。
斜路を二百尺登る。
通路を八百歩戻る。
浅い家の蓋から出て、野原を横切って、石段の正面へ回る。
――半刻以上かかる。
四度目に、間に合わない。
◇
俺は、その計算を口に出した。
「マリ。間に合わん」
「うん」
「だが、他に手がない」
「――ある」
彼女は言った。
◇
俺は、顔を上げた。
「言え」
「ハルトの、こえ」
彼女は言った。
「あがらなくても、とどく」
「――どういう意味だ」
◇
「さっき、うえの、こえ、きこえた」
彼女は言った。
「きこえた、ってことは、こっちの、こえも、いくかも」
俺は、その理屈を検討した。
――音は、往復する。
二十年、坑でそれを使ってきた。
叩いて、返りを聞く。
◇
「マリ。俺の声じゃ届かん」
「なんで」
「上の連中は、四十二人だ」
俺は言った。
「火薬を運んで、壁を叩いてる。……人の声が一つ聞こえても、止まらん」
「じゃあ」
◇
俺は、そこで止まった。
――声ではない。
音だ。
二十年、俺が聞き分けてきた音がある。
この町の測量士なら、全員が知っている音がある。
◇
「マリ」
「うん」
「――杆を貸せ」
「じぶんの、あるでしょ」
「二本要る」
俺は言った。
「ここに、オルソの杆がある」
◇
俺は、二本の杆を持った。
同じ長さ。同じ太さ。同じ材。
千年前に、同じ日に作られた二本だ。
俺は、それを天井に向けた。
「マリ。耳を塞げ」
「うん」
◇
俺は、二本の石突きを打ち合わせた。
鉄と鉄だ。
高い音が鳴った。
狭い部屋に、跳ね返る。
◇
二度。
間を置いて、一度。
――ギルドの合図だ。
二十年、この町の測量士が使ってきた。
「崩れる。退け」という意味だ。
◇
俺は、それを繰り返した。
二度、一度。
二度、一度。
音が、天井を伝って上がっていく。
――届くか。
分からない。
◇
俺は、二十回打った。
腕が痺れてきた。
鉄の棒を打ち合わせるのは、思ったより力が要る。
「マリ。代われ」
「うん」
彼女が、二本を受け取った。
◇
彼女の打ち方は、俺より正確だった。
間隔が揃っている。
「――お前、うまいな」
「かぞえてる、から」
彼女は言った。
「ハルトは、うでで、うってる。わたしは、かずで、うってる」
◇
俺は、その違いを聞いた。
――数で打つ。
二年二月、この娘が下と話すときに使ってきた方法だ。
規則的に入れる。
そうすれば、向こうは規則だと認識する。
「マリ」
「なに」
「――そのまま続けろ」
◇
俺は、その間に別のことをした。
床の穴に、もう一度杆を入れた。
八十尺。
押し返してくる場所まで。
そして、そこで叩いた。
二度、一度。
◇
――上と、下の両方に出す。
上には、退けと伝える。
下には、何かが起きていると伝える。
二年二月、俺は下に「今、何が起きているか」を渡す形を持っていない。
だが、規則的な音なら、伝わる。
◇
杆が、押し返してきた。
いつもの十二の間隔ではない。
速い。
二度、一度。
――同じ形だ。
◇
「マリ。止まれ」
彼女が、手を止めた。
「――ハルト」
「返ってきた」
俺は言った。
「下から、同じ音が返った。二度、一度だ」
◇
俺は、その意味を組んだ。
――真似ただけかもしれない。
二年二月、あれは何度も俺の音を返してきた。
意味を理解したのではなく、形を返しただけかもしれない。
だが、今は速さが違った。
いつもの十二を、あれは崩した。
◇
だが、届く相手が一人だけいる。
二十年、俺と同じ現場を歩いてきた人間ではない。
石段の外に立っている男だ。
二年二月前、十日間そこに立っていた男だ。
――レイヴ。
あの男なら、この音を知っている。




