数え直す
俺は、今日の分を数え直した。
野帳を開いて、朝から順に書き出す。
――浅い家の蓋。一度目。
――この部屋の刻み。二度目。
二度だ。
三度目を使うことになる。
◇
「マリ」
「うん」
「三百年前の門番は、『日に一度』と書いた」
「うん」
「俺は、二年二月それを守った」
俺は言った。
「今日、二度使った。……もう破ってる」
◇
「じゃあ」
「――何も起きてない」
俺は言った。
「二度使っても、光は返った。『違う』と教えてくれた」
俺は、床を見た。
「怒ってるようには、見えん」
◇
俺は、そこで一つ考え直した。
――「日に一度」は、何のための規則だ。
二年二月、俺はそれを「向こうが減るから」だと思ってきた。
使えば減るものがある、と。
だが、根拠はない。
三百年前の誰かが、そう書いただけだ。
◇
「マリ」
「うん」
「三百年前の門番は、なぜ『日に一度』と書いたと思う」
彼女は、考えた。
上を見て、それから言った。
「――しらないから?」
「――どういう意味だ」
◇
「しらないと、こわい」
彼女は言った。
「こわいと、すくなくする」
彼女は、床を指した。
「わたし、こっちきたとき、いちにちに、ひとことしか、いわなかった」
「――そうだったな」
「まちがえるのが、こわかったから」
◇
俺は、その説明を受け取った。
――知らないから、減らす。
三百年前の門番は、意味を知らずにこれを使っていた。
知らないから、日に一度に抑えた。
それが安全だと信じて、書き残した。
規則ではない。用心だ。
◇
「マリ」
「うん」
「――用心を、規則だと思って二年守ってた」
俺は言った。
「損したかもしれん」
「そんはしてない」
彼女は言った。
「まいにち、いっこずつ、わたした。……だから、せんにひゃく、いった」
◇
俺は、その言い分を認めた。
――そうだ。
一日一語に絞ったから、渡し方が上手くなった。
制限が、手順を鍛えた。
当主は三百年で四十一語だった。
俺は二年で千二百語だ。
◇
「マリ」
「うん」
「――三度目を使う」
「うん」
「ただし、訊き方を変える」
俺は言った。
「許可は訊かん。……訊く形を、まだ渡してない」
◇
俺は、床の四つ目の弧を指した。
冷たい方だ。
「代わりに、これを渡す」
俺は、杆の石突きで四つ目の弧を叩いた。
一度。
それから、自分を指した。
それから、開く仕草をした。
両手を、外へ広げる。
◇
――「四つ目を、俺が開ける」。
許可ではない。宣言だ。
二年二月、俺は許可を訊いたことがない。
いつも、やることを先に言ってきた。
それが、この相手に通じる形だった。
◇
俺は、句を唱えた。
三度目だ。
――シャルカディ・オム・ネイア。
床が、光った。
三つの弧が、また光った。
そして――
◇
四つ目が、動いた。
光ったのではない。
浮き上がった。
床から、一分ほど。
◇
「――マリ。下がれ」
「うん」
彼女は、二歩下がった。
三歩は下がらなかった。
灯りの位置を、保っている。
◇
四つ目の弧は、浮いたまま止まった。
俺は、その隙間を覗いた。
――薄い。
板だ。
厚み、二分。
弧の形をした板が、床に嵌め込んである。
◇
俺は、その板の縁に指をかけた。
軽い。
外れた。
俺は、それを持ち上げた。
板の下に、穴があった。
◇
小さい。
直径、三寸。
人は通らない。手も入らない。
俺は、灯りを近づけた。
――下が見える。
深い。底が光っている。
◇
「マリ。これは、門じゃない」
「――じゃあ、なに」
「覗き穴だ」
俺は言った。
「あるいは――」
俺は、その形をもう一度見た。
三寸の丸い穴。深さは分からない。底が光っている。
◇
俺は、二十年の現場でこの形を知っている。
「――ボーリング孔だ」
俺は言った。
「地質を調べるために、細く深く掘る穴だ。……坑を掘る前に、必ずやる」
◇
「なにをしらべるの」
「下に何があるかだ」
俺は言った。
「石か、土か、水か。……掘っていい場所かどうかを、先に確かめる」
俺は、その穴を見た。
「これは、そのための穴だ」
◇
俺は、そこで一つ気づいた。
――四つ目は、門ではない。
三つが門で、四つ目だけが違う。
だから寸法が四分の三で、冷たくて、光らない。
紋章の四つ目は、最初から別のものだった。
◇
「マリ」
「うん」
「――紋章の意味が、変わった」
俺は言った。
「同心円は深さの層。三本の線は主要通路。……ここまでは合ってる」
「よっつのもんは」
「三つの門と、一つの穴だ」
◇
俺は、その穴に杆の先を入れた。
三寸の穴に、杆の石突きが入る。
入れて、下ろした。
二十尺、下ろしても底に当たらない。
俺は、縄を継いだ。
◇
四十尺。
六十尺。
八十尺で、当たった。
いや――
当たったのではない。
止まった。
◇
抵抗が、変だった。
石でも土でもない。
――押し返してくる。
俺は、杆を少し引いた。
引いた分だけ、押し戻された。
◇
「マリ」
「――なに」
「下に、何かいる」
俺は言った。
「杆を、押し返してきた」
◇
俺は、その手応えを確かめた。
規則的だ。
押して、戻す。押して、戻す。
間隔は――
俺は、数えた。
十二。
◇
水が動く間隔と、同じだった。
「マリ」
「かぞえてた」
彼女は言った。
「じゅうに。……みずと、おなじ」
俺は、頷いた。
「――同じものだ」
俺は言った。
「水を動かしてるのも、これだ」
◇
俺は、杆を引き上げた。
石突きを灯りにかざす。
濡れていない。
八十尺下ろして、水に触れていない。
――水面より下なのに、乾いてる。
この部屋と同じだ。
◇
「マリ。この石突きを触れ」
「――あったかい」
「そうだ」
俺は言った。
「四つ目の弧は冷たかった。……穴の底は、温かい」
俺は、その差を野帳に書いた。
「境目を挟んで、温度が逆になってる」
◇
俺は、そこでしばらく考えた。
――繋ぎ目。
カドの意味だ。二つのものが接する場所。
温度が違うということは、別のものが接しているということだ。
冷たい側と、温かい側。
◇
「マリ」
「うん」
「――地球は、今どっちだ」
彼女は、少し黙った。
「……あったかいほう?」
「根拠は」
「ない」
彼女は言った。
「でも、あっちのほうが、ひとが、おおい」
◇
俺は、その答えを検討した。
――人が多い方が温かい。
根拠はない。だが、外れてもいない。
千八百八十六が一人になった側と、そうでない側。
どちらが冷えているかは、明らかだ。
◇
俺は、その穴の縁に手を当てた。
三寸の丸い穴。
千年前、誰かがここを掘った。
掘って、下に何があるかを確かめた。
――確かめて、それから何をした。




