第六章 それぞれの明日(8)
セレーナが先に出て行って、ちょっと気恥ずかしくて残っていて、でも、意を決して出ていこうとしたとき、浦野に呼び止められた。
「……どうした、浦野」
見ると、浦野は相変わらずうつむいたままで。
「あのさ、この後、セレーナさんと帰る前に、ちょっとだけ付き合ってほしいんだけど」
浦野がこんな風な頼みごとをするなんて珍しく、
「うん、わかった……プリンじゃないよね? 購買休みだぞ?」
「ぷっ、プリンじゃないから!」
と浦野はふくれっ面を見せた。
教室を出る踏ん切りがつかなかった僕にとって、浦野が連れ出してくれたことはとても助かった。
どこに行くつもりだろう、彼女は、僕の前に立って、無言で歩いていく。
玄関を出て、校庭を横切り、園芸スペースの前の小さな休憩所にまで、僕を連れて行った。
そして、その小さなベンチに座り、隣に座るように、僕に指示した。
「……ここに座るだけ?」
「あの、その、えーと、うん」
結局たどり着いたここで、ここに座るだけが、浦野の求めたことだったわけで。
何のことやらわからずに首をひねっていると、
「あっ、あのね、これ、その、セレーナさんが帰っちゃってから言うと卑怯になりそうだから、だから、先に言うんだけど!」
突然しゃべり始めた浦野の顔は、びっくりするくらい真っ赤になっている。
「セレーナと関係のあること?」
「そっ、そりゃ……ある……けど……」
と、ちょっとトーンダウン。
「なんだい、早く言ってみなよ」
僕が促すが、耳まで赤くした彼女はなかなか動かない。
やがて。
「あのさっ、前に誘拐されたときのこと、覚えてるかな?」
「二人で誘拐されたときのこと。もちろん覚えてるよ」
「あの時言ったこと、その、冗談だって言ったけど……あのね、あたしね、そのう……」
冗談って、何の話だったっけ?
「あのっ。あたしの好きな人は大崎君だって……」
あれか、あの、キスして事件か。
「あれ、冗談じゃなくって」
冗談じゃなくって。
えっ?
「あたし、ずっと……大崎君のこと、好きでした……」
僕のことが、好きでした。
えっ?
「その、プリンのことで出会ってから、それから、なんだか、いいなあ、って思ってて、それから、強くて優しいところいっぱい見せつけられちゃって……ほ、惚れるなって言う方が、無理よう」
感極まったか、ぽろぽろと涙を落とし始める。
「あ、あの、その、本当に僕のことを?」
「しつこいよう、何度も言わせるなよう……前から好きだったの! 文句ある!?」
「も……文句、ありません」
逆に僕が委縮してしまう。
「でっ、どうなのよう、大崎君。こんな美少女に想いを寄せられて!」
「びっ、美少女かどうかは置いといて……うれしいよ、ありがとう」
「うれしいかどうかじゃなくって! その……あたしと、恋人同士になる気は、あるの? 無いの?」
浦野と。
そんな関係に?
考えてもみなかったけれど。
でも。
僕が好きなのは。
あの気高き王女様で。
そりゃ、身分不相応で、釣り合いなんてとれたもんじゃないけれど。
それでも、宇宙中に叫びたいほど大好きで。
「ちょ、ちょっと考えたい……」
「考える? それは? あたしを傷つけずに断る方法を、でしょう!?」
浦野は、僕が答えを躊躇した理由をずばりと言い当てた。
「う、うん……」
「あたしは傷つかない。絶対傷つかない。分かってるもん、大崎君の答え。でも、今、聞かせて」
ついさっき流した涙はとうに止めて、浦野は、とても真剣な目で僕を見つめる。
だったら、僕も、嘘偽りのない気持ちを伝えるしかなくなってしまう。
「……ごめん。僕は……」
この想いを誰かの前で口にするのは、初めてだ。
「僕は、セレーナが好きだ。大好きだ。セレーナじゃなきゃいやなんだ。だから……ごめん」
僕が言うと、浦野は泣き崩れるでもなく、むしろ、笑顔を浮かべた。
「……ようやく、言ったねえ。分かってたわよう。だから、セレーナさんが行く前に、あたしの方のけりをつけとこうと思ってねえ」
「えっ?」
「鈍いねえ、大崎君の気持ちなんて、みーんな知ってるわよう」
ええ?
ど、どういうこと? つまり浦野……分かってて、わざと?
「ひどいな、僕をはめたのか」
「……まあね。でも、あたしが大崎君を好きっていうのは、本当。本当だけどさ、その、今すぐ告白して自分のものにしたい、って程の好きじゃなくて」
「そ、そうなんだ、でも、だったら、どうして……」
「これから一緒にいたら、きっと、そのくらいの好きになっちゃう、って思ったから。セレーナさんが行っちゃってから、あたしがそんな風になっちゃうの、卑怯だな、って思ったから。なんだかね、このくらいの気持ちのうちに、踏ん切りつけちゃおう、って思って」
「それは……僕が、セレーナのことを好きだって気づいていたから?」
「そりゃそうよう! このあたしに見抜けないとでも思ったか」
ジーニー・ルカの言った通りだった。
ちゃんと見ている人にはとっくにばれてたってわけだ。
ああ、今さらながら、恥ずかしくてどこかに隠れたくなる。
そして、自らの気持ちを知りながら、僕の気持ちを察して、僕の気持ちを優先してくれようとしてくれた優しい浦野。
「……ありがとう、浦野。その……浦野のことも、嫌いじゃないから」
「……でも、あんまりあたしに優しくするなよう? もう、踏ん切りつけるんだから」
あんまり優しくするな、って前にも言われたな。
そんなときから、浦野は、この瞬間のことを思っていたのだろうか。
なんのことだか分からずにきょとんとしていた当時の僕をぶん殴りたい。
「プリンをご馳走するくらいは、いいだろう?」
「そっ、――あの、どうしても、って言うなら、ご馳走させてあげる」
プリンの魅力にあっさりと屈服する浦野を見て、僕は笑った。ここに来て、初めて笑った。浦野も、つられて笑ってくれた。
「大崎君とセレーナさんとの冒険、楽しかったよ。一生忘れない。一生の宝物にする」
「僕だって楽しかった。それに、浦野にいてもらって、本当に良かった、って思ってる」
浦野は目頭を拭って、にっこりとうなずいた。
「あたし、自分のいろんな可能性をのぞき見させてもらって、本当に感謝してる。大崎君にも、セレーナさんにも。もし、あの時、マービン君ちのバルコニーで置いて行かれちゃってたら、きっとこんなことは経験できなかったな、って思って。あたしって、本当に運がいいの」
「運なんかじゃないさ。あれは君の勝利だよ。セレーナの唯一にして最大の弱点を効果的に突いた、君の勝利」
「えへへ、ちょっと自信はあったけど」
「そうさ、だから、君は、自分で自分の未来を切り拓いたんだ、セレーナと同じようにね」
「……うん、ありがとう」
浦野はちょっとうつむいて、恥ずかしそうにそう言った。
それからなんだか、しばらくそこに座っていた。
こんな時、いつ立ち上がればいいのか分からなくて。
校舎を見上げる。
校舎を照らす太陽の光が、黄色からオレンジに変わりつつある。
「……大崎君、そろそろ、行かなきゃ」
僕ははっとしてうなずいた。
「その、いつ行っていいのか分からなくて」
「……だろうと思ったわよう。でも、この時間だけは、あたしが大崎君独り占めできちゃった。やっぱりあたしは卑怯者ねえ、セレーナさん、待ってるのに」
彼女は、前屈姿勢になって、くふふっ、と小さく笑った。
それから、前かがみのまま、僕に顔を向けた。
その顔は、急に真剣な表情に変わっている。
「ね、大崎君、お願い」
「……何?」
「……分かってる、今から、セレーナさんに、告白するんでしょう?」
「えっ、いや、その」
「ぐずぐず言うな、ちゃんと告白してきなさい!」
「あ、はい」
僕が思わず答えると、
「よろしい、でね、お願い。セレーナさんとさ、ちゃんと恋人になって、またいつでもあたしたちと会えるセレーナさんとして、ずっと大崎君のそばにつなぎとめておいてほしいの」
僕が、セレーナをつなぎとめる。
そんな存在になれるだろうか。
そうなりたいと思うけれど。
「大崎君だけなの、セレーナさんをつなぎとめられるのは」
浦野は、僕を好きと言った以上に、実はセレーナのことが好きなんじゃないか。
いや、待て、本当にそうなんじゃないのか。
「……浦野、ちょっとおかしなこと聞くけど」
「な、なあに?」
「……僕に、そうさせるために、こんな告白をしたんじゃないだろうね」
「うえっ、え、違うわよう、あたし、本当に大崎君のこと好きだもん」
「じゃ、僕とセレーナだったらどっちが好きなんだよ」
「おっ、男と女を比べちゃだめよう!」
思わず笑みが漏れる。
浦野がセレーナを大好きな気持ちが伝わってきて。
そうか、見る人が見ればわかるって、そう言うことかな。
そういうことでもそうじゃなくても、どうでもいっか。
なぜなら、僕がセレーナを好きな気持ちは、結局変わらないのだから。
僕が、その気持ちを今から伝えようと思っていたことは本当のことだから。
だから、僕は、笑顔で浦野に笑いかけた。
「分かった。セレーナに、飛び切りの愛の告白をして、地球を去りたくないって思わせてみせるよ」
「……それでこそ大崎君!」
浦野は、ヒマワリのような笑顔を僕に見せた。




