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潮時を読むだけの女はいらないと言われましたが王都の婚礼水門は開けません  作者: むむさん


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第2話 閉じた封鉛札

閉門通達は、鐘より先に走らせなければならない。


水門暦係の朱線は帳面の中だけでは意味がない。門番小屋へ、橋鐘守へ、下町の水使い番へ、同じ時刻を同じ言葉で届けて初めて、水は人の都合に合わせてくれる。


ミレーナは潮見塔の控え机で、薄い青紙を三枚並べた。閉門通達に使う紙は、雨に濡れても字が流れにくい。母は「恋文より高い紙よ」とよく笑っていた。恋文をもらったことがない娘に言う冗談としては、少し雑だ。


「第四門、予備封鉛札確認まで閉門。中央婚礼水路、正午開門不可」


声に出しながら書く。声に出すのは、文字を急がせないためだ。急いだ字は、自分に都合のいい線を勝手に足す。ミレーナはその怖さを知っている。


トマが机の横で足踏みしていた。


「カルヴァ係、本当にロゼル様の船を止めるんですか」


「ロゼル様の船だから止めるんじゃないわ。今日の潮だから止めるの」


「でも、婚約……」


トマは言いかけて口を閉じた。十三歳の少年に気を遣わせるくらいなら、婚約破棄などもっと目立たない場所でしてほしかった。


「仕事中よ」


「すみません」


「謝ることではないわ。心配なら、走る足に使って」


ミレーナは一枚目を折り、赤糸で結んだ。


「第一門番長へ。控えをもらって戻って」


「はい」


「途中でロゼル家の者に止められたら、通達を胸に入れなさい。取られそうになったら大声で泣いて」


「泣くんですか」


「あなたが泣けば、周りの大人が見る。見られたくない人は手を引くわ」


トマはひどく真面目な顔で頷き、紙を服の内側へしまって走った。


残り二枚を書き終えたところで、エリオ・ランベールが控え室に入ってきた。彼は濡れた外套を扉の外で払ってから、敷居をまたいだ。そういう小さな作法は、下町の家で育った人か、現場で叱られたことのある人のものだ。


「今、質問しても」


「通達を書き終えた後なら」


「待ちます」


彼は本当に待った。ジュリアンなら、待つと言いながら机に指を置き、紙の上の文字を急かしただろう。ミレーナは余計な比較を頭から追い出し、二枚目に橋鐘守マルタの名、三枚目に下町水使い番の名を書いた。


「お待たせしました」


「昨夜の試し鐘について、あなたはいつ異常に気づきましたか」


「今朝、潮見塔の石段と橋鐘の数で。第三橋が鳴らず、第四橋が一つ遅れて鳴りました」


「音を聞いたのではなく、朝に数えた」


「はい。夜の当番はマルタさんです。私は朝番でした」


エリオは小さな帳面を開いた。そこに書きつける字は、角ばっているが読みやすい。人に見せる前提の字だ。


「第四封鉛札の欠けは」


「今朝、門番見習いのトマから確認しました」


「欠け方を見ましたか」


「爪で削れたものではありません。細い刃を差し込んで、ねじった痕です」


エリオの目が少しだけ鋭くなった。


「断定できますか」


「母の頃から、封鉛札の欠けは私が磨いていました。落として欠けた鉛は縁が丸くつぶれます。今回の欠けは、片側だけ持ち上がっていました」


言いながら、ミレーナは自分の声が冷たすぎないか気になった。婚約者に捨てられた朝に、鉛の欠け方を説明している女は、ずいぶん可愛げがない。


けれどエリオは、可愛げを探す顔をしなかった。


「では、欠けた破片がどこかに残っている可能性がありますね」


「あります」


「探す場所に心当たりは」


「手動軸の根元。あるいは、持ち去った人の飾り」


「飾り?」


「鉛片は小さいですが、ロゼル家の婚礼船なら水鳥の房飾りに混ぜても目立ちません。封鉛札と同じ色の飾り紐をよく使いますから」


エリオはそこで初めて、ミレーナの顔を見た。


「よくご存じですね」


「三年間、婚約者でしたから」


声にひびが入るかと思ったが、入らなかった。自分で驚くほど平らだった。エリオは何も言わず、ただ一行書き足した。慰めないことが、今はありがたかった。


外から足音が戻ってきた。トマかと思ったが、違う。靴音が重く、石段を自分のもののように踏む。


ジュリアンが入ってきた。


「ミレーナ。馬鹿な通達を出したそうだな」


「職務上の通達です」


「僕の使いを第一門で止めた。門番どもが、君の紙がないと開けられないと言う」


「正しい対応です」


「正しい?」


彼は笑った。さっきより声が荒い。予定通りに進まないものを前にしたとき、人は本来の音を出す。


「君はロゼル家に恥をかかせたいのか」


「下町を沈めたくないだけです」


「また下町か。洗濯女や染物屋の桶が、婚礼船より大事か」


ミレーナは息を吸った。すぐに答えると、怒りが先に出る。


「はい」


控え室が静かになった。


「水門暦係にとっては、どちらも同じ水路上の荷です。婚礼船だけ特別に軽くはなりません」


ジュリアンの頬が赤くなった。怒りだけではない。彼は今、自分が下町を軽く見ていると第三者の前で言われたことを恥じている。エリオの存在を、ようやく思い出したのだ。


「ランベール監査官。これは家の問題です」


「水門が関わる時点で、治水監査局の問題です」


「婚約者同士の些細な行き違いに、監査官が口を出すのですか」


「婚約は既に白紙と伺いました。でしたらカルヴァ係への私的命令権はありません」


ジュリアンの目がミレーナへ向いた。なぜ外へ話した、と責める目だった。言ったのは彼だ。潮見塔の前で、門番見習いも聞いていた。


「君は本当に、後悔するぞ」


「水門を開けてから後悔するよりはましです」


「セリーヌは君ほど頑固ではない。彼女なら、王都のために笑って船に乗る」


ミレーナは指先を握った。セリーヌの名前を出されるたび、胸のどこかが小さく擦れる。恋の痛みか、仕事を飾りに使われる怒りか、まだ分からない。


「船に乗る方が笑うかどうかと、水門を開けるかどうかは別です」


「なら別の門から通す」


「七門は連動しています」


「門番に言えば済む」


「封鉛札が揃わなければ門番は動きません」


「札など作り直せばいい」


エリオの筆が止まった。


言った。


ジュリアンも自分で気づいたらしい。唇を引き結び、手袋をはめ直す。


「言葉の綾だ」


「監査記録には、そのまま残します」


「好きにしろ」


彼は乱暴に扉を開けた。潮風が紙をめくる。ミレーナはとっさに通達を押さえた。エリオも同時に手を伸ばしたが、紙に触れる直前で止めた。


「押さえても?」


「お願いします」


二人の指先が、同じ青紙の端を押さえた。触れたわけではない。けれど、その近さにミレーナは一拍遅れて気づき、指を引っ込めそうになった。


引っ込めなかった。


紙はまだ乾いていない。今は自分の動揺より、文字を守る方が先だ。


トマが戻ってきたのは、その直後だった。帽子はさらに斜めで、目元が赤い。どうやら本当に泣いたらしい。


「第一門、控えもらいました。だけど、第四門の予備札が」


「どうしたの」


「箱の中、空です」


ミレーナは立ち上がった。


封鉛札は正札と予備札、二つ揃って初めて門の安全が確認できる。正札が欠け、予備札が消えた。偶然ではない。


エリオが帳面を閉じた。


「第四門へ行きましょう」


「はい」


ミレーナは赤鉛筆を胸ポケットへ差した。指輪の跡がまだ薬指に残っている。そこが少しだけ白い。


けれど、空いた指で封鉛札を持つには、ちょうどよかった。


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