第四十話 栞の在処
春。
屋根裏の光は、以前より少しだけ柔らかくなっていた。
あれから数日。
美月と陽斗は、また何度か栞堂を訪れていた。
「たまに来る」
それは、いつの間にか習慣のようになり始めていた。
その日も、特別な理由はなかった。
ただ、二人は同じ時間にそこへ向かった。
扉を開けると、いつも通りの静けさがあった。
でも、今日は違った。
カウンターの奥に、店主が座っていた。
「来たか」
いつもより少しだけ声が軽い。
美月と陽斗は自然に並んで座る。
「最近、よく来るね」
店主が言う。
「なんとなくです」
陽斗が答える。
「なんとなく、ね」
店主は少し笑った。
その笑いには、どこか満足したような響きがあった。
しばらく、何も言わない時間が流れる。
そのあと、店主がゆっくり立ち上がる。
「少し、話しておきたいことがある」
空気が変わる。
二人は自然と姿勢を正した。
店主はカウンターの奥から、一冊のノートを取り出した。
「これは、この店の記録だ」
美月が少し身を乗り出す。
「記録……?」
「うん」
店主は頷く。
「誰が来て、何を読んで、何を話していたか」
陽斗は驚いたように言う。
「そんなの残してたんですか」
店主は少しだけ笑った。
「全部じゃないよ」
「でも、覚えておきたいことだけはね」
そして、ノートをめくる。
そこには、見覚えのある名前があった。
水瀬美月
朝倉陽斗
ページには短いメモが続いていた。
『高校生の二人、毎週のように来る』
『同じ本を読んでいる』
『会話は少ないが、空気が良い』
美月は息をのむ。
「これ……」
「見てたんですか」
陽斗が言う。
店主は静かに頷いた。
「見てたというより」
少し間を置く。
「見守ってた、かな」
その言葉は軽く言われたのに、重く残った。
店主はページを閉じる。
「この店はね」
「本を売る場所じゃない」
「“人と本が出会う場所”だ」
「でもね」
少しだけ声が柔らかくなる。
「本当は違う」
二人は黙る。
店主は続ける。
「ここは」
「人と人が、ちゃんと出会い直す場所なんだよ」
その言葉に、美月はゆっくり息を吐いた。
「出会い直す……」
店主は頷く。
「最初は偶然でもいい」
「でもね」
「続けるかどうかは、自分で決めるものだ」
陽斗は静かに言う。
「だから、あの手紙だったんですね」
『春の本が入りました』
店主は少し笑う。
「うん」
「来る理由が必要な人には、それで十分だろう?」
少しの沈黙。
美月が小さく笑う。
「ずるいですね」
店主も笑う。
「よく言われる」
そして、最後のページを開く。
そこには一行だけ書かれていた。
『栞は、本を閉じても、物語を止めないためにある』
店主はノートを閉じる。
「この店も同じだ」
「終わるためじゃなくて」
「続くためにある」
その言葉のあと、しばらく誰も話さなかった。
でも、不思議と静かではなかった。
“納得”のある沈黙だった。
帰り際。
店主がぽつりと言う。
「もう、十分かな」
美月が振り向く。
「十分、って?」
店主は少しだけ笑う。
「この場所は、もう君たちが作ってる」
外に出る。
春の風。
「終わらないんですね」
陽斗が言う。
店主は頷く。
「終わらせる必要もないだろう?」
その言葉を最後に、扉が閉まる。
カラン。
外には、いつもの通りがある。
でも、少しだけ違って見えた。
「なんかさ」
美月が言う。
「全部、最初から繋がってたんだね」
陽斗は少し考えてから言う。
「繋げたんだろ」
二人は歩き出す。
どこへ向かうでもなく。
でも、離れていくわけでもなく。
栞堂はその背中を見送る。
そして静かに、次の誰かを待つ。
それだけが、この場所の役割だった。




