最終話 春は、何度でも
春。
それは、何度目の春なのかもう分からなかった。
美月は、駅のホームに立っていた。
手には小さな鞄。
仕事帰りでもなく、特別な用事でもない。
ただ、少しだけ時間が空いただけの午後だった。
電車を待つ人の流れは、いつも通り静かだった。
その中に、見覚えのある背中があった。
朝倉陽斗。
一瞬で分かるのに、声をかけるまでに少し時間がかかる。
「……陽斗くん」
その声に、彼が振り向く。
驚きは、もうなかった。
ただ「やっぱりいたか」という顔だった。
「久しぶりだな」
陽斗が言う。
「うん」
美月は小さく笑う。
それだけで会話は一度止まる。
ホームのアナウンスが遠くで流れる。
人の流れは、二人の間をすり抜けていく。
「また会ったね」
美月が言う。
「“また”って感じだな」
陽斗も笑う。
その言葉は軽いのに、少しだけ重かった。
「最近、どうしてた?」
陽斗が聞く。
美月は少し考えてから答える。
「普通だよ」
「仕事して、帰って、寝て」
「それだけ」
陽斗も頷く。
「俺も似たようなもんだ」
昔のように、何かを確かめる会話ではなかった。
ただ、今の位置を確認するだけの言葉だった。
アナウンスが鳴る。
電車が来る。
「行くのか?」
陽斗が言う。
「うん」
美月は頷く。
でも、どちらもすぐには動かない。
「ねえ」
美月が言う。
「うん」
「また、会うと思う?」
その問いは、昔なら冗談になったかもしれない。
でも今は違った。
陽斗は少しだけ笑う。
「どうだろうな」
「会うかもしれないし」
「会わないかもしれない」
その曖昧さが、なぜか安心だった。
美月も笑う。
「だよね」
電車がホームに入る。
風が少しだけ二人の間を通り抜ける。
「じゃあな」
陽斗が言う。
「うん」
美月も返す。
その瞬間、ほんの一秒だけ沈黙がある。
でも、何も言わない。
言わなくてもいいことが、もう分かっているから。
美月は電車に乗る。
ドアが閉まる。
ガラス越しに、陽斗の姿が見える。
彼は手を振らない。
ただ、少しだけ頷く。
それで十分だった。
電車が動き出す。
景色が流れていく。
美月は窓の外を見ながら思う。
(たぶん、また会う)
(でも、いつかは分からない)
駅に残った陽斗も同じことを思っていた。
(また会う気がする)
(でも、次はいつか分からない)
それでいい、とも思っていた。
春の風が、駅のホームを抜けていく。
その風の中で、
二人はまた少しだけ違う方向へ歩き出す。
すれ違うことは、もう怖くなかった。
それが当たり前になっていたからだ。
栞堂は、もうどこかの街にある。
あるいは、もう存在しないのかもしれない。
でも二人にとっては、今もどこかで続いている。
出会うことも、離れることも、
もう特別な出来事ではなかった。
ただ、人生の中にある“流れ”のひとつだった。
そして春は、
また何度でもやってくる。
これで完結です。
お読みいただきありがとうございました。




