第三十八話 再会
雨は、いつの間にか止んでいた。
屋根裏の空気だけが、まだ少し湿っている。
「……誰か、いるのか?」
陽斗の声が、静かに響いた。
その声を聞いた瞬間。
美月の呼吸が止まる。
(この声)
(知ってる)
「……朝倉くん?」
小さく、でも確かに届く声。
一瞬の沈黙。
そのあと。
「……水瀬?」
名前が、屋根裏に落ちる。
それだけで、空気が変わった。
本棚の向こう。
二人は、ようやく同じ方向を見る。
そして。
数年ぶりに、視線が重なった。
時間が一度だけ止まる。
美月は、言葉が出なかった。
陽斗も同じだった。
「……本当に、いるんだな」
陽斗がようやく言う。
少し笑っているのに、声が震えている。
「うん……いる」
美月も小さく頷く。
それだけで精一杯だった。
屋根裏の光は、静かに二人を包んでいた。
しばらく、何も言えなかった。
ただ、お互いを見ていた。
「来てたんだな」
陽斗が言う。
「うん」
「朝倉くんも?」
「今日、なんとなく」
その“なんとなく”が、同じだったことに気づいて、少しだけ笑いがこぼれる。
でも、その笑いの奥に、いろんな時間が重なっている。
会わなかった日。
すれ違った日。
メッセージだけの日。
思い出せないくらいの時間。
「……久しぶりだね」
美月が言う。
「久しぶりだな」
陽斗が返す。
それ以上の言葉が、なかなか出てこない。
でも、不思議と気まずくはなかった。
むしろ、落ち着いていた。
まるで、
“ずっと前から、ここで待っていたみたいに”。
そのとき、陽斗の目が机の上に止まる。
小さな箱。
その横に、二つのしおり。
「これ……」
美月も気づく。
「店主さんの……」
同時に手を伸ばす。
同じしおり。
同じ重さ。
触れた瞬間、少しだけ確信が生まれる。
(あの人は、全部分かってたんだ)
「……ここ、変わらないね」
美月が言う。
「変わってないのに、変わったな」
陽斗が答える。
その言葉に、美月は少しだけ目を細める。
「うん。私たちが変わったんだね」
沈黙。
でも、嫌な沈黙ではない。
むしろ、やっと言葉を選べる沈黙だった。
陽斗は本棚を見上げる。
「昔さ」
「ここで、よく本読んでたよな」
「うん」
「隣で」
その“隣で”が、少しだけ重い。
でも、美月は笑った。
「今も隣にいるけどね」
陽斗は一瞬だけ驚いて、それから笑った。
「そうだな」
外から風が入る。
屋根裏の光が揺れる。
そのとき、美月が小さく言う。
「ねえ、朝倉くん」
「ん?」
少しだけ間を置いて。
「私たちさ」
言葉を探すように、続ける。
「離れてたんじゃなくて」
「ずっと、違う場所で同じ方向見てただけなのかな」
陽斗はすぐには答えない。
でも、少しだけ笑う。
「たぶん、そうだな」
それ以上の説明はなかった。
それで十分だった。
屋根裏の静けさが、少しだけ優しくなる。
そのとき。
階下の時計が鳴る。
カン。
その音で、二人は現実に戻る。
「……店主さん」
美月がつぶやく。
「全部、見てたのかな」
陽斗はしおりを見つめる。
「見てたっていうより」
少し考えて。
「たぶん、待ってたんだろ」
美月は小さく頷く。
窓の外。
雨上がりの空が、少しだけ明るい。
「ねえ」
美月が言う。
「うん」
「また来てもいいのかな」
陽斗は、迷わず答える。
「来ればいいだろ」
その言葉に、美月は笑う。
昔と同じ笑い方だった。
でも、少しだけ違う。
それはもう、
“戻った笑い”ではなく
“続いていく笑い”だった。
その日。
二人は長い時間、屋根裏にいた。
でも、それは“久しぶりの再会”ではなく
“途中の続き”だった。
栞堂は、静かに息をしている。
誰もいないはずの場所で、
確かに物語が続いていた。




