第三十七話 開かない扉
雨は、昨日から続いていた。
細かく、静かに、街の色を薄くしていくような雨だった。
美月は、栞堂の前に立っていた。
昨日受け取った箱の中のしおりを、まだ鞄の中に入れたまま。
取り出す勇気がなかった。
『屋根裏には、上がれます』
その言葉だけが、頭の中で何度も繰り返されている。
一方、陽斗も同じだった。
昨日から何度も迷っていた。
行くべきか。
行かないべきか。
結局、答えは一つだった。
“行かない理由がない”。
午前。
美月は傘を差して栞堂へ向かう。
いつもの道。
でも、足取りは少しだけ遅い。
同じ頃。
陽斗も同じ通りに入る。
傘を握る手に、少しだけ力が入っている。
商店街の空気は静かだった。
雨の日特有の、人の少なさ。
栞堂の前。
美月は立ち止まる。
「……来てると思ったのに」
小さく呟く。
その少し後ろ。
陽斗は曲がり角を見ていた。
そこにいるはずの影がない。
二人は、あと数十メートルの距離にいた。
でも、まだ交わらない。
扉の前。
美月はメモを見上げる。
『屋根裏には、上がれます』
深く息を吸う。
そして、鍵の場所へ手を伸ばす。
同じ頃。
陽斗も裏口へ回っていた。
そこにも、小さな札。
『開いています』
偶然なのか、必然なのか。
同じ日に、同じことをしている。
カギは、すでに開いていた。
屋根裏へ続く階段。
ギシ、と音が鳴る。
美月が一段目を踏む。
同じ頃、陽斗も別の入り口から階段を上がっていた。
二人はまだ会わない。
でも、同じ場所へ向かっている。
屋根裏。
扉を開けた瞬間、美月は息を止めた。
空気が違う。
少し乾いた、紙と木の匂い。
「……ここ」
声が漏れる。
本棚。
古い木箱。
窓から差し込む、薄い光。
何も変わっていない。
でも、誰もいない。
その時だった。
別の階段から、足音が聞こえる。
ギシ、ギシ、と木が鳴る。
美月が振り向く。
同じ瞬間。
陽斗も扉を開けていた。
一歩。
もう一歩。
でも、まだ見えない。
本棚が、二人の間にある。
「誰か……?」
美月の声。
「いるのか?」
陽斗の声。
重なる。
でも、まだ届かない。
風が一度だけ、窓を揺らした。
本棚の隙間。
光が揺れる。
そして。
二人の影が、ほんのわずかに重なりかける。
その瞬間。
階下から、古い時計の音が鳴った。
カン、と。
その音で、二人は同時に立ち止まる。
「……今の」
「……誰かいる」
でも、まだ顔は見えない。
屋根裏は、静まり返る。
ただ一つだけ確かなのは、
同じ空間に、二人がいるということ。
そして、
もうすぐ“再会”が起きるということ。
その夜。
屋根裏の灯りは、しばらく消えなかった。




