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結ばれなかった恋にも、幸せな結末はある。 ~それでも僕たちは、何度でも出会い直す~  作者: なごやかたろう


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第三十四話 静かな準備

九月。

夏の熱が完全に抜けきらないまま、街には少しだけ涼しい風が混ざり始めていた。

その日、栞堂の扉はいつもより少し重く感じられた。

カラン、と鈴が鳴る。


「いらっしゃい」


声はいつも通りだった。

けれど、カウンターの向こうに立つ店主の姿は、ほんの少しだけ違って見えた。


「こんにちは」


美月が笑顔で挨拶する。

陽斗も軽く頭を下げる。

しかし店主は、すぐに奥へ入ろうとせず、二人をじっと見た。


「少し、いいかい」


珍しい言い方だった。



カウンター席に並んで座る。

コーヒーの湯気がゆっくりと立ちのぼる。


「実はね」


店主はカップを置いてから、静かに言った。


「少しだけ、体を休めることにしたんだ」


一瞬、時間が止まったように感じられた。

美月が小さく息をのむ。


「……休む、ですか?」

「そう」


店主は穏やかに笑った。


「大げさな話じゃないよ。年もあるしね」


その言い方は、いつも通り軽かった。

だからこそ、逆に重く感じる。



陽斗は言葉を探した。


「お店は……」

「閉めないよ」


店主はすぐに首を振った。


「ただ少し、誰かに手伝ってもらうことになるかもしれない」

「誰かに?」


美月が聞き返す。

店主は本棚の方を見た。


「まだ決まってはいないけどね」

「本を好きな人に、少しずつ引き継いでいく」


その言葉は、まるで別れではなかった。

けれど、確実に「変化」を含んでいた。



しばらく沈黙が落ちる。

その沈黙を破ったのは、店主だった。


「君たちは、変わったね」

「え?」


陽斗が顔を上げる。


「高校生の頃とは、少し違う」


優しい目だった。


「でも、それでいい」

「人は変わるものだからね」



美月はカップを見つめたまま、小さく言った。


「ここ、ずっとあると思ってました」

「あるよ」


店主は即答した。


「場所はね」


少しだけ間を置く。


「でも、人は変わる」


その言葉は、優しくて、逃げ場がなかった。



帰り際。

店主はカウンターから一枚の紙袋を取り出した。


「これを」

「二人に」


中には、小さなしおりが二つ入っていた。

以前渡した革のしおりより、少しだけ軽いもの。

紙ではない、布に近い質感だった。

裏には同じ言葉。

『本は、読み終えても終わらない。人との出会いも、同じだ』



「これは?」


美月が聞く。


「予備だよ」


店主は少し笑った。


「君たちがまた来たときに、使えるように」


冗談のようで、本気のようでもあった。



店を出ると、外はすっかり夕方になっていた。

空が少しだけ赤い。


「店主さん、大丈夫かな」


美月がつぶやく。


「大丈夫だろ」


陽斗はそう答えたが、少し間があった。



「でもさ」


美月が続ける。


「少しだけ、違う感じした」

「うん」


陽斗も頷く。


「終わるって感じじゃないけど」

「変わる感じ」


その言葉が一番近かった。



駅までの道。

二人は並んで歩く。

距離は高校の頃と同じくらい近い。

でも、時間の重さが違う。



「また行くよね」


美月が言う。


「もちろん」


陽斗はすぐに答えた。

少し間を置いて続ける。


「店主がいるうちは」


その言葉に、美月は少しだけ笑った。


「いなくなったら?」


陽斗は答えない。

答えられなかったのではなく、答えたくなかった。



その夜。

栞堂では、店主が一人で本棚を整理していた。

いつもより静かに。

いつもよりゆっくりと。

一冊一冊、背表紙をなぞるように確認する。


「まだ、もう少しだけだな」


誰にでもなく呟く。

それは、店を閉める言葉ではなかった。

ただの確認だった。



カウンターの上には、小さなメモが置かれている。

そこには短く書かれていた。


「次の春も、葉書を出す」


店主はそれを見て、小さく笑った。


「まだ、終わりじゃない」


そう言って、電気を消した。

栞堂は暗闇の中で、静かに次の季節を待っていた。

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