第三十三話 すれ違う午後
六月。
梅雨の雨が、街の輪郭をぼんやりと滲ませていた。
大学のキャンパスは慌ただしく、講義とレポートと就職準備が重なっていく。
美月は教育実習の事前課題に追われていた。
陽斗は研究室の課題で、帰宅が遅くなっていた。
それでも。
どちらも同じことを思っていた。
(そろそろ、栞堂に行きたい)
同じ日の午後。
美月は講義を終えたあと、久しぶりに時間が空いた。
空模様は曇り。
でも、心は少し軽かった。
(今日なら行ける)
そう思った。
同じ頃。
陽斗もまた、午前中の実験が早く終わり、珍しく午後が空いていた。
(久しぶりに寄ってみるか)
そう思った。
二人は、同じ時間に、同じ商店街へ向かっていた。
しかし——
栞堂の扉は、静かに閉じていた。
「本日休業」
小さな札がかかっている。
美月は足を止めた。
「え……」
少しだけ、拍子抜けしたように息を吐く。
その数分後。
陽斗も同じ場所にたどり着いた。
そして同じように立ち止まる。
「休みか」
小さくつぶやく。
もし、あと五分早ければ。
もし、あと五分遅ければ。
もし。
そんな「もし」が、いくつも重なっていた。
でも、どれも現実にはならない。
二人は同じ日、同じ場所に来ていたのに——会わなかった。
美月はスマートフォンを取り出す。
『今日、栞堂休みだった』
送信。
すぐに既読がつく。
『俺も今着いた』
短い返事。
その一文だけで、状況が全部伝わる。
画面の向こう側で、同じ場所に立っている。
でも、目の前にはいない。
それが、少しだけ不思議だった。
「帰る?」
陽斗が送る。
『うん』
美月は少し迷ってから続けた。
『せっかくだし、少し歩こうかな』
『俺も』
同じような返事。
でも、二人はまだ合流しない。
それぞれ、別の道を歩き出す。
雨は止んでいたが、空はまだ重い。
商店街の音が、少し遠く感じる。
美月は一人で、昔よく二人で歩いた道を辿る。
陽斗もまた、同じような道を歩いていた。
でも、角を一つ違えただけで、交わらない。
『最近さ』
美月がメッセージを送る。
『会えてないね』
少し遅れて返事。
『忙しいもんな』
その通りだった。
間違っていない。
でも、それだけでもない気がした。
本当は。
今日、会えると思っていた。
どちらも。
でも、それを言葉にするほど子どもでもない。
美月は立ち止まる。
小さな橋の上。
川の水が、雨上がりの空を映している。
(昔なら)
(こういう日は、会えてたのに)
そう思ってしまう自分に気づく。
同じ頃。
陽斗も立ち止まっていた。
駅前の交差点。
人の流れが速い。
(栞堂、休みか)
(あいつも来てたんだろうな)
それだけで、少し笑ってしまう。
夜。
ようやく落ち着いた時間。
『また今度行こう』
陽斗が送る。
『うん』
美月が返す。
少しだけ間が空いて、続ける。
『今度は、ちゃんと会えるといいね』
既読はついたまま、少し止まる。
そして返事。
『会えるよ』
たった二文字。
でも、その言葉は不思議と軽くなかった。
その夜。
美月は机に向かいながら思う。
(会えなかっただけ)
(なのに、ちょっとだけ寂しいのはなんでだろう)
日記には書かない。
書くほどのことじゃない気がしたから。
同じ頃。
陽斗も机でレポートを書いていた。
ふと、手が止まる。
(今日、会えてたら何話してたんだろう)
そう考えて、少しだけ笑う。
答えは出ない。
でも、それでいい気がした。
会えなかった日。
何も起きなかった日。
それでも。
少しだけ、心に残る日だった。
そして二人はまだ気づかない。
こういう日が、これから少しずつ増えていくことを。
でも同時に。
それでもまた会おうとする関係が、まだ続いていることを。




