第二十一話 すれ違う放課後
九月。
夏の名残を残しながらも、夕方の風は少しだけ涼しくなっていた。
二学期が始まると、学校は急に忙しくなった。
図書委員会。
体育祭の準備。
クラスの係。
「放課後、図書室行ってくるね。」
昼休み、美月が申し訳なさそうに言った。
「委員会?」
「うん。」
「本の整理があるんだ。」
「そっか。」
陽斗は笑って頷く。
「頑張って。」
「ありがとう。」
それだけの会話だった。
その日の放課後。
陽斗は昇降口で靴を履き替えた。
いつもなら、美月を待ってから帰る。
でも今日は委員会がある。
(先に帰るか。)
そう思って校門を出る。
ふと振り返る。
誰もいない。
「また明日。」
小さくつぶやいて歩き出した。
図書室では、美月が本棚の整理をしていた。
「これ、新刊の棚へ。」
司書の先生が優しく声をかける。
「はい。」
本を運びながら、何度も時計を見てしまう。
もう、いつもの下校時間は過ぎていた。
(朝倉くん、帰っちゃったかな。)
当たり前だ。
待っていてなんて、一度も言っていない。
それでも。
少しだけ寂しかった。
翌日。
「昨日、ごめんね。」
朝、美月が席へ来た。
「え?」
「待たせちゃったかなって。」
陽斗は首を横に振る。
「待ってないよ。」
本当は少しだけ待った。
でも、そのことは言わなかった。
「委員会、大変だった?」
「うん。」
「でも、本がいっぱい届いて。」
少し嬉しそうに笑う。
「楽しかった。」
その笑顔を見ると、「寂しかった」とは言えなくなる。
「よかった。」
自然とそう言っていた。
そんな日が、少しずつ増えていく。
今日は美月が委員会。
明日は陽斗が体育祭の用具準備。
放課後の予定が、少しずつ重ならなくなる。
それでも朝は会える。
昼休みも話せる。
だから、大丈夫。
二人ともそう思っていた。
ある金曜日。
「今日、栞堂行く?」
美月が聞く。
「ごめん。」
陽斗は申し訳なさそうに笑う。
「今日は父さんの仕事、手伝う約束してて。」
「そっか。」
美月も笑った。
「じゃあ、また今度。」
「うん。」
たったそれだけ。
それだけなのに。
二人とも、少しだけ物足りない気持ちのまま帰った。
翌日、土曜日。
美月は一人で栞堂を訪れた。
「こんにちは。」
「今日は一人かい。」
店主が微笑む。
「はい。」
美月は少し照れたように笑った。
「朝倉くん、お父さんのお手伝いで。」
「そうか。」
店主はそれ以上聞かなかった。
美月はいつもの窓際の席へ座る。
向かい側の椅子が空いている。
何気なく見つめてしまう。
(一人だと、静かだな。)
前までは、一人で本を読む時間が好きだった。
なのに。
今は、その静けさが少しだけ広く感じる。
店主が湯気の立つ紅茶を置いた。
「ありがとう。」
「静かな日も悪くない。」
店主は窓の外を見ながら言う。
「でも。」
少し笑う。
「誰かと過ごした静けさを知ると、一人の静けさは少し違って聞こえる。」
美月は返事ができなかった。
その言葉が、胸の奥へゆっくりと染み込んでいく。
その日の夜。
美月は日記を開いた。
九月十日。
今日は一人で栞堂へ行った。
前だったら、一人でも平気だった。
むしろ、一人が好きだった。
でも今日は。
向かいの席が空いていることばかり気になった。
朝倉くんと話しながら飲む紅茶は、少しだけおいしかったんだ。
そんなことに、今さら気づいた。
私は少しずつ、贅沢になっているのかもしれない。
同じ夜。
陽斗は仕事を手伝い終え、自分の部屋で本を開いた。
ページの間から、一枚のしおりが落ちる。
文化祭の日に、美月と交換したしおりだった。
拾い上げると、小さく笑う。
「来週は行こう。」
誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。
その約束が、ちゃんと叶うと思っていた。
高校一年の秋は、まだ始まったばかりだった。




