第十六話 しおり
六月。
校庭の木々は鮮やかな緑に変わり、教室には扇風機が回り始めていた。
「文化祭の実行委員、決めるぞー。」
ホームルームで担任がそう言うと、教室が一斉にざわつく。
「俺は無理。」
「準備面倒だし。」
「誰かやってよ。」
そんな声が飛び交う中、担任は困ったように笑っていた。
「誰もいないなら推薦で――」
「先生。」
静かな声が教室に響く。
窓際の席から、美月が手を挙げていた。
「私、図書展示ならやってみたいです。」
「おお、助かる。」
担任はほっとした表情を見せる。
「もう一人必要なんだけど……。」
教室が静まり返る。
誰も目を合わせない。
その時だった。
「じゃあ、俺。」
気づけば、陽斗の手が挙がっていた。
教室中の視線が集まる。
「朝倉?」
担任も驚いている。
「本なんて読まないって言ってなかった?」
「……最近、少し読むようになったので。」
思わず美月の方を見る。
彼女も驚いたように目を丸くしていた。
それから、小さく笑う。
その笑顔だけで、「ありがとう」と伝わってきた。
放課後。
二人は図書室で、文化祭の打ち合わせをしていた。
「図書展示って、何をするの?」
陽斗が尋ねる。
「おすすめの本を紹介したり。」
美月はノートを広げながら答える。
「テーマごとに本を並べたり。」
「面白そう。」
「本当に?」
「うん。」
陽斗は頷く。
「俺でも手伝えることある?」
美月は少し考えたあと、笑顔で言った。
「じゃあ、しおりを作りませんか。」
「しおり?」
「来てくれた人に持って帰ってもらうの。」
「それならできそう。」
「手作りです。」
「え?」
「一枚ずつ。」
「そんなに?」
「きっと、喜んでもらえるから。」
その言葉を聞いて、陽斗は笑った。
「水瀬らしいな。」
「褒めてる?」
「もちろん。」
数日後。
放課後の図書室。
机いっぱいに色画用紙やリボンが広げられていた。
「これ、意外と難しい。」
陽斗は穴あけパンチを片手に苦戦している。
「ちょっと貸して。」
美月が隣へ来る。
「こうやって。」
指先が重なるくらいの距離。
リボンを通す手つきは慣れていて、とても器用だった。
「できた。」
「すごい。」
「小さい頃、よく作ってたから。」
「へえ。」
陽斗も真似してみる。
今度はうまくいった。
「できた!」
「うん、上手。」
その一言が、少し照れくさい。
気づけば二人で笑っていた。
図書室の窓から夕日が差し込み、机の上のしおりを黄金色に染めている。
一枚一枚、色も形も違う。
でも、どれも少しずつ完成していく。
「人みたいだね。」
美月がぽつりと言う。
「え?」
「同じ材料でも、作る人で違う。」
陽斗は、自分のしおりと美月のしおりを並べてみた。
たしかに違う。
不器用だけれど、どこか温かい自分のしおり。
丁寧で優しい、美月のしおり。
「じゃあ。」
陽斗は一本の栞を手に取る。
「交換しよう。」
「交換?」
「文化祭が終わっても。」
「思い出になるだろ。」
美月は少し驚いた顔をした。
そして、ゆっくりと微笑む。
「うん。」
「約束。」
「約束。」
二人は、それぞれ自分が作ったしおりを交換した。
誰にも見せることのない、小さな約束。
その夜。
美月は日記を開いた。
六月十七日。
今日、朝倉くんとしおりを交換した。
きっと朝倉くんにとっては、文化祭の思い出の一つなんだと思う。
でも、私は少し違う。
あのしおりを見るたびに、今日の夕日の色を思い出す気がする。
いつか、本を開いた時に、このしおりが挟まっていたら。
今日のことを、思い出せるだろうか。
……思い出せるといいな。
日記を閉じると、美月は交換したしおりを一冊の文庫本へそっと挟んだ。
その本の題名は、『博士の愛した数式』だった。




