第十五話 夢の話
「読み終わった?」
放課後の栞堂。
店に入るなり、美月が笑顔で尋ねた。
陽斗は手にしていた『明日へ続く坂道』を軽く持ち上げる。
「昨日の夜に。」
「早い。」
「続きが気になって。」
店主は奥で本の整理をしながら、何も言わず二人の様子を見守っていた。
窓から差し込む夕日が、本棚の背表紙をやわらかく照らしている。
「どうだった?」
「難しかった。」
陽斗は素直に答えた。
「でも、不思議だった。」
「不思議?」
「主人公が将来のことを考えてる場面があってさ。」
美月は頷く。
「あったね。」
「読んでたら、自分も考えちゃった。」
「何を?」
「これから先のこと。」
美月は少しだけ驚いたように目を丸くした。
「朝倉くんでも、そんなこと考えるんだ。」
「ひどいな。」
「ふふ、ごめん。」
笑いながら謝る姿に、陽斗もつられて笑う。
少し沈黙が流れたあと、美月が本を閉じた。
「私ね。」
静かな声だった。
「将来、本に関わる仕事がしたい。」
陽斗はその言葉を、ゆっくりと受け止めた。
「本屋さん?」
「それもいいなって思う。」
美月は店内を見回す。
「図書館でもいいし、出版社でもいい。」
「先生になって、子どもに本を紹介するのも楽しそう。」
話しているうちに、美月の目が少しずつ輝いていく。
「本ってね。」
一冊をそっと撫でる。
「悲しいときは慰めてくれるし、嬉しいときはもっと嬉しくしてくれる。」
「だから。」
少し照れながら笑う。
「誰かと、本をつなぐ仕事ができたらいいなって。」
陽斗はしばらく黙っていた。
そんなふうに夢を話す人を、初めて見た気がした。
「水瀬らしい。」
「そうかな?」
「うん。」
迷いなく言える。
その夢は、美月によく似合っていた。
「朝倉くんは?」
「俺?」
「将来、何したい?」
陽斗は少し考え込んだ。
答えが浮かばない。
「分からない。」
正直にそう言った。
「好きなことも、得意なこともあるけど。」
「仕事にしたいものは、まだない。」
美月は笑わなかった。
「それでもいいと思う。」
「え?」
「決まってない人の方が、多いよ。」
その言葉に、陽斗は少し肩の力が抜けた。
「ありがとう。」
「でも。」
美月はいたずらっぽく笑う。
「朝倉くんは、人と話す仕事が向いてそう。」
「俺が?」
「うん。」
「そんなことないよ。」
「あるよ。」
きっぱりと言う。
「朝倉くんって、話すのは得意じゃないけど。」
「……うん。」
「ちゃんと、人の話を聞いてくれる。」
陽斗は思わず視線を落とした。
そんなことを言われたのは初めてだった。
「私。」
美月は少し照れながら続ける。
「話を聞いてもらうと、安心するもん。」
その一言が、胸の奥へ静かに届く。
「ありがとう。」
また同じ言葉しか出てこない。
でも、それで十分だった。
店を出る頃には、空は茜色に染まり始めていた。
商店街を歩きながら、美月がふと空を見上げる。
「十年後って、どうなってるかな。」
「十年後?」
「うん。」
「お互い、夢を叶えてるかな。」
陽斗は少し考え、それから笑った。
「叶ってなくても。」
「え?」
「また本の話をしてそう。」
美月は一瞬きょとんとして、それから声を上げて笑った。
「それ、朝倉くんらしい。」
「そう?」
「うん。」
「夢が叶っても、叶わなくても。」
美月は夕焼けを見つめながら、小さく頷いた。
「また笑って会えたら、それでいいね。」
「うん。」
二人は、何気なくそう約束した。
その約束が、何年も先の未来で、本当に叶うことになるとは。
この時の二人は、まだ知らなかった。




