第十一話 たった一言
翌朝。
教室の窓から差し込む春の日差しが、机の上を明るく照らしていた。
陽斗は席に着くなり、無意識に窓際へ視線を向けた。
空いていた。
(まだか……。)
そう思って鞄を机へしまった、その時。
「おはよう。」
教室の入り口から聞き慣れた声がした。
陽斗は反射的に振り返る。
水瀬美月が立っていた。
「水瀬。」
思わず名前を呼んでいた。
美月は少し驚いたように目を丸くしたあと、小さく笑った。
「おはよう。」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥で張りつめていた何かが、ふっとほどけた。
よかった。
本当に、その一言しか浮かばなかった。
ホームルームが始まり、授業はいつも通り進んでいく。
けれど、休み時間になると陽斗は何度も立ち上がろうとしては座り直した。
(聞こうかな。)
(でも、迷惑かな。)
(いや、普通に聞けばいいだけだ。)
考えすぎて、結局動けない。
そんな様子を見ていた佐々木が、小さく笑う。
「朝倉。」
「ん?」
「心配だったんだろ。」
「……。」
図星だった。
「だったら聞けばいいじゃん。」
「なんて?」
「『もう大丈夫?』で終わりだろ。」
そんな簡単なことなのか。
陽斗は小さく息を吐いた。
昼休み。
美月は一人で窓際の席に座り、本を開いていた。
いつもの景色。
昨日はなかった、その景色。
陽斗は立ち上がる。
足が自然と窓際へ向かっていた。
「水瀬。」
本から顔を上げた美月が、ぱっと笑顔になる。
「朝倉くん。」
「その……。」
また言葉が出てこない。
心配だった。
会えてよかった。
無理しないでほしい。
いろいろ考えていたはずなのに。
口から出たのは、たった一言だった。
「もう、大丈夫?」
美月は少しだけ目を見開いた。
それから、ゆっくりとうなずく。
「うん。」
その返事が、どこか嬉しそうだった。
「昨日は熱が出ちゃって。」
「そうだったんだ。」
「もう平気。」
「よかった。」
短い会話。
それだけ。
でも、美月はその言葉を何度も心の中で繰り返していた。
『もう、大丈夫?』
たった五文字。
それだけなのに。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「心配してくれてたんだ。」
思わず小さな声が漏れた。
「え?」
「ううん。」
慌てて首を振る。
陽斗は少し照れくさそうに笑った。
「昨日、一人で夕焼け見た。」
「え?」
「やっぱり、一人でもきれいだった。」
美月はくすっと笑う。
「でも?」
「……。」
陽斗は少しだけ考えてから言った。
「昨日の方が、少しだけつまらなかった。」
その言葉に、美月の時間が止まる。
「それって……。」
胸の鼓動が少し速くなる。
けれど、陽斗は気付いていない。
「また一緒に帰ろう。」
何気なく言っただけだった。
「……うん。」
美月は笑った。
その笑顔は、昨日までより少しだけ柔らかかった。
放課後。
真由はそんな二人を遠くから見て、小さくため息をつく。
「もう付き合っちゃえばいいのに。」
誰に聞かせるでもない独り言。
もちろん。
当の本人たちには、その言葉は届かなかった。




