第十話 いつもの景色
翌朝。
「朝倉、おはよう。」
「おはよう。」
教室へ入ると、佐々木が眠そうに机へ突っ伏していた。
「眠そうだな。」
「昨日ゲームやりすぎた。」
「またか。」
そんな他愛ない会話をしながら、自分の席へ向かう。
いつもの朝。
いつもの教室。
……のはずだった。
「あれ。」
窓際の席が空いている。
美月がまだ来ていない。
陽斗は何気なく時計を見る。
始業まであと十分。
遅刻する時間ではない。
「珍しいな。」
そう思っただけだった。
ホームルーム開始五分前。
まだ来ない。
先生が出席簿を開く。
「水瀬は?」
誰も答えない。
「風邪だそうです。」
学級委員が言った。
「お母さんから連絡がありました。」
風邪。
その二文字を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
(大丈夫かな。)
そう思う自分に、少し驚く。
授業は普通に進んだ。
数学。
英語。
現代文。
先生の声は聞こえている。
ノートも取っている。
でも、ふと窓際へ目が向いてしまう。
誰もいない席。
本も置かれていない机。
休み時間になっても、そこだけ時間が止まったようだった。
「朝倉。」
佐々木が不思議そうに言う。
「さっきから何回、水瀬の席見てる?」
「え?」
「気になってる?」
「いや。」
否定しようとして、言葉が止まる。
気になっている。
それは間違いなかった。
でも、どうしてなのかは分からない。
「心配なんだよ。」
そう言うと、佐々木はにやりと笑った。
「それを世間では――」
「違う。」
食い気味に否定する。
「そういうんじゃない。」
「はいはい。」
佐々木は笑いながら購買へ向かっていった。
放課後。
一人で帰る道は、昨日より少しだけ静かだった。
橋の上で足を止める。
夕焼けが川を赤く染めている。
「誰かと見る夕焼けは、もっと好き。」
美月の声が、不意によみがえった。
思わず隣を見る。
もちろん、誰もいない。
陽斗は小さく笑った。
「一人でも、きれいだけどな。」
そう言いながらも、昨日と同じ景色には見えなかった。
家へ帰ると、母が夕飯の支度をしていた。
「おかえり。」
「ただいま。」
「学校どうだった?」
「普通。」
そう答えて部屋へ向かう。
制服を脱ぎ、机へ座る。
何気なく本棚を見る。
そこには、美月に借りて読んだ『博士の愛した数式』が置いてあった。
返したあと、自分でも買った一冊。
読み返そうと思って買った。
でも、まだ開いていない。
本を手に取り、最初のページをめくる。
しおり代わりに、一枚の紙が挟まっていた。
昨日、本屋でもらった栞だった。
そこには、小さく印刷されていた。
『大切な人との時間は、読み返せない一ページ。』
陽斗はその言葉を何度も見つめる。
(早く元気になるといいな。)
そう願った。
それだけのこと。
……その時の陽斗は、本気でそう思っていた。
まだ、それが恋だとは気付いていなかったから。




