第四十七話「静かな世界」
【動画共有サイト 最終キャッシュ】
動画番号:quiet_room_127
タイトル:「これで、本当に静かになれました」
投稿日時:7月26日 03:17
投稿者:@quiet_room
解析状況:投稿後、世界中で同時ミラーを確認。元データは現在も削除不能。
◇◇◇
山梨県某所。
放棄された登山道。
午前五時四十三分。
監視カメラが、一人の男を捉えていた。
それは、レンだった。
服は泥だらけだった。
髭も伸びている。
頬は痩せこけ、何日も眠っていない目だけが異様に赤かった。
彼はゆっくり歩いていた。
逃げるようには見えない。
追われているようにも見えない。
ただ、何かを探しているようだった。
「……どこなんだ? 静かな場所って、本当にあるのか?」
風が吹く。
木々が擦れる。
鳥の声。
そのどれもが、少しずつ遠ざかっていく。
ふいに、レンは立ち止まる。
「……静かだ」
それは、山奥だからではない。
耳鳴りすら消えていた。
自分の鼓動も、呼吸も。風も。
全部、少しずつ遠くなっていく。
霧の向こうに誰かが立っている。
小柄な少女。
ダークグリーンの長い髪。
前髪に隠れた目。
白いワンピース。
彼女は何も言わない。
レンも何も言わない。
二人の間には、恐怖も敵意もなかった。
長い沈黙。
やがて、少女が微笑む。
「お疲れさま」
それだけだった。
レンは、思わず笑ってしまった。
「……これで、終わりか?」
少女は小さく首を振る。
「終わりじゃないよ。休むだけ」
レンは空を見上げた。
灰色の雲。
冷たい風。
今までなら、恐ろしく感じた景色。
なのに、不思議と胸の奥の重さだけが、少しずつ消えていく。
「俺、疲れてた」
少女はうなずく。
「ええ、知ってる。ずっと、見てたから」
レンは苦笑した。
「最初からか?」
「うん」
「じゃあ、何で俺なんかを……」
少女は、少しだけ考えてから答えた。
「あなたも、静かになりたかったから」
レンは否定しようとした。
しかし、言葉が出なかった。
思い返せば、半グレになる前も──。
誰かに怒鳴られ、誰かを殴り、借金を返し、金を追い、眠れない夜ばかりだった。
静かな場所。
そんなもの、一度も知らなかった。
だから、あの動画を笑った。
だから、利用した。
本当は、一番あの動画を見てほしかった人間は、自分だったのかもしれない。
少女は手を差し出した。
細く、白い手だった。
「さあ、帰ろう」
レンは黙って、その手を見つめる。
逃げる理由は、もう思いつかなかった。
ゆっくりと、その手を握る。
温かかった。
霧が濃くなる。
二人の姿が、少しずつ白の中へ溶けていく。
◇◇◇
【最後の動画】
少女が画面中央へ現れる。
彼女は、今までで一番柔らかく笑っていた。
「みなさん、ありがとうございました。これで、本当にみんな、静かになれました」
画面が切り替わる。
白い霧。
遠くに、五つの影が並んでいる。
久世透。
篠崎ミナ。
ナオキ。
ケンタ。
そして、レン。
誰も喋らない。
誰も争わない。
ただ、霧の向こうへ歩いていく。
少女の声が響く。
「ここでは誰も、あなたを責めない」
「急がせない」
「期待しない」
「だから」
「安心して、休んでね」
長い沈黙のあと、画面が暗転し──。
最後に、以下の文字が表示される。
『静かな方が、楽なのだ』




