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第9話

 エドガーさまはこのことで宰相のリュミエールを恨んだりはしませんでした。将来的に彼のことをなんとか失脚に追いこんでやろうとも考えませんでしたし、ただ彼にラプンツェラを王家の墓に――彼女の双子の姉のカミーユ王女の隣に埋葬してはもらえまいかと頼んだだけでした。本当なら、リュミエールはそんなことを決して許しはしなかったでしょうが、自分の心にも罪の負い目があるために、王にそのことを承認したのでした。

 セシリア王太后は決してよい顔をなさいませんでしたが、それよりも家系図では彼女の息子であるはずの王が真実を知ったことのほうに強い怖れを抱き、摂政の位を下りてからは離宮から滅多に外へは姿を見せなくなったのでした。

 エドガーさまはその後間もなく、セシリア王太后の母国、セイラムネイト王国から妃を娶りました。セシリアさまの姪であるエルシア王女は、高慢な顔つきをしてはいましたが大変お美しい方で、エドガーさまはほとんどセシリアさまの言うなりになるような形でご結婚なさったのでした。

 ところで、ラプンツェラに長年仕えたルネですが、彼女は王城の開かずの扉に監禁されるという生活をその後八年送ったあと――肺病にかかって四十二歳という若さで亡くなっています。実はルネはエドガーさまの隠れた愛妾でした。王がラプンツェラを失った悲しみを共有できるのは唖のルネだけでしたし、何かと虚栄心の強いエルシア王妃に嫌気が差すようになると、王は従順で素直なルネのことを愛しはじめるようになったのでした。

 エドガーさまが最初にルネのことをお求めになったのは、彼が結婚を間近に控えた時のことでした。その時エドガーさまは本当にルネのことが欲しかったというわけではなかったのですが――高慢ちきで気位の高いエルシア王女に初夜の床で笑われたくないという虚栄心から、ルネのことをいわば実験台のような形で利用したのでした。

 ルネはルネで、王はラプンツェラさまをお失いになったばかりでお寂しいのだろうと思っていましたし、彼女は他の男たちにも似たような扱いを受けたことがありましたので、エドガーさまのことを軽蔑するでもなく、ただ彼という存在のすべてを受け容れたのでした。

 エドガーさまが毎日のようにおつけになっていた日記を読みますと、エルシアさまについては<お飾りの王妃>という辛辣な表現が頻繁に使われていますが、エルシアさま御自身は――実をいうとエドガーさまのことを本当に心から愛していたのでした。ただ、本人がそのことに気づいていなかったというのは、気の毒なことだったかもしれません。彼女は一国の王女としてのたしなみと慎み深さから、ベッドの中では常に感じていない振りをなさっていました。それはもちろん、寝室に控えてくだらぬ記録をとっている役人の姿が気になったせいでもあるでしょう。エドガーさまはルネを相手に性的な支配欲と万能感を充足される術を心得ておられましたから、彼は役人の目など気にせず堂々と、エルシアさまのことを王妃としてではなく自分の妻として扱ったのですが――彼女はベッドの中でも常に王妃であることに拘り続けました。

 また、エドガーさまの日記にはエルシア王妃について<冷たい氷の女王>という表現がたびたび用いられているのが目につきますが、それは彼女にしてみればただ表面だけのことにしか過ぎませんでした。確かにエルシアさまは御自身の容貌に自惚れていらっしゃいましたし、虚栄心の強い方であったというのも事実です。でもそうした生まれ持った御自身の性質にエルシアさまが誰より一番苦しまれたのでした。エルシアさまは王の愛撫に感じていない振りをなさっていながらも、本当は感じていらっしゃいましたし、時々エドガーさまにはしたなくも「もっと、もっと」とせがみたい衝動に駆られたことが一体何度あったことでしょう。でも彼女のその衝動を押し留めたもの――それは王城のどこかにある開かずの間に、王が密かに愛人を囲っているらしいという噂でした。

 エルシアさまは嫉妬のあまり、秘密探偵を雇い入れて王の愛妾がどんな女性なのか探りを入れようとしたのですが、能なしの密偵はふたりとも死体となって戻ってきましたし、虚栄心の強い彼女としては(わたしよりも美人なのかしら?)と、そのことが気になっていつも頭から離れないくらいでした。そこでエルシアさまはほんのささやかばかりの夫への復讐として――夜のねやでは決して自分から体も心も開かないことを堅く決心したのでした。

 果たしてエルシアさまが、王の愛妾が自分とは比較にもならないほど不器量な、やぶ睨みの唖であることを知ったとしたら、どうお思いになったことでしょう。おそらくそう素直に「勝ったわ!」と言って喜ぶことはできなかったのではないでしょうか。そして自分にしているのと同じ破廉恥な行為の数々を彼女と見張りもなしに楽しんでいることを想像しては――嫉妬という名の狂気にとり憑かれてしまっていたかもしれません。

 一方、王のエドガーさまにとってルネの存在は自分の心の唯一の癒しのようなものでした。王御自身は気づいていらっしゃらなかったようですが、彼にとってルネというのは人間の女の姿をした愛玩動物――つまりペットのようなものでした。ルネは王城の開かずの間に閉じこめられて、日の光を見ることさえ許されませんでしたので、唯一エドガーさまがきてくださることだけが心の楽しみだったのです。

 ルネは最初の頃、王さまが一日やってきてくださらないだけでもとても心配で、彼がもう二度と自分に会いにきてくれなかったらどうしようと、そのことばかりを考えて暮らしておりました。そしてエドガーさまがやってくるたびに、ルネが哀願する犬のような眼差しで駆け寄ってくるのを見て――王はエルシア王妃にはないルネの素直で従順な心を喜んだのでした。

 エドガーさまは耳の聞こえないルネを相手に、政治の愚痴やら王妃への不満やらをぶちまけ、酒に酔って気持ちがよくなったところでいつも、ルネを相手に倒錯的な性の遊戯をお楽しみになりました。彼女の体を紐で縛ったり、時には鞭でぶったり……普段は口を開かないルネが時折もらすあえぎ声を聞きたいがためにエドガーさまは、次第にそうした性行為をエスカレートさせていったのでした。

 ルネが肺病を患って亡くなった時、エドガーさまは彼女への愛情から、もう二度とエルシアさまとはベッドをともになさいませんでした。その頃には王妃はふたりの王子を出産なさっていましたし、彼はもう自分は王として王妃に対しては十分その職務を果たしたと考えていたのでした。けれどもエルシアさまにしてみれば、邪魔な妾も死んだことだし、うまく宰相のリュミエールに働きかけて、王の寝室の記録係も追い払い、さあこれからと思っていた時でした。それなのに王にそのような冷たい仕打ちを受けてひどく傷ついたエルシアさまは、結局愛人をつくることで自分の心の寂しさを紛らわすしかなかったのでした。

 王は晩年、自分の生涯を振り返って一冊の本をしたためましたが、そこにはラプンツェラとルネというふたりの女性についての赤裸々な<真実>が告白されています。彼の生涯において本当に愛したといえるのはこのふたりの唖の女性だけだったということも。王はこの本の中で自分の奥方であるエルシアさまのことをあまりよく書いていらっしゃいませんが――本当の女心というものを知るのは、たとえ王さまといえども難しかったということなのでしょう。

 エドガーさまはラプンツェラがあの石の塔から身を投げた時、誰のことをも恨みはしませんでした。自分がリュミエールの立場であったとすれば、やはり彼と同じことをしたかもしれませんし、母上のセシリアさまのことも、気の毒だと感じただけでした。何よりラプンツェラ自身がそんなことを望みはしないだろうと思いましたし、エドガーさまは彼女の遺言どおり立派な王さまになることを志して、実際宰相のリュミエールとともによい政治を行った善王として歴史にその名を留めています。でもそうしたこととは別に王の心は――ラプンツェラがあの石の塔から身を投げたその瞬間に、同じようにある部分石化してしまったのでした。そしてエドガーさまの魂もまた石造りの塔の住人となり、そこに囚われたまま生涯を終えられたのかもしれません。



 終わり




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