表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第十二章 終わりの始まり
98/101

七 長い夜

 水無月の日。

 その夜。


 右大臣邸の産屋。


 顕子に、陣痛が来た。


 夕刻、腹に鈍い痛みを感じた。

 最初は、我慢できる程度だった。


 しかし、時が経つにつれ、痛みは強くなっていく。


「中宮様!」


 次子が、顕子の様子に気づき、慌てた。


「大丈夫……」


 顕子は、耐えた。


 腹を押さえ、呼吸を整える。

 しかし、痛みは容赦なく襲ってくる。


縁菜(ふちな)殿を!」


 次子が、叫んだ。


「すぐに、縁菜殿を呼んで!」


 女房たちが、慌ただしく動く。


 産婆役の縁菜をはじめ、女房たちが駆けつけた。

 生まれる赤子の乳母、そして顕子自身の乳母。

 経験豊かな老女たちが、顕子の側に集まる。


「中宮様、大丈夫でございます」


 産婆役の縁菜が、優しく言った。


「ゆっくり、お呼吸(いき)を」


 顕子は、頷いた。

 しかし、痛みは増していく。


 長い夜が、始まった。



 夜が更けていく。


 顕子は、苦しんだ。


 陣痛が、波のように押し寄せる。

 痛みが引いたかと思うと、また襲ってくる。


 次子が、顕子の手を握った。


「中宮様、私がおります」

「合歓……」


 顕子は、次子の手を握り返した。


「ありがとう……」


 次子の手は温かい。

 それだけが、顕子の支えだった。


 縁菜たちが、顕子を励ます。


「もう少しです」

「頑張ってください」


 顕子は、歯を食いしばった。


 (この子を……)


 顕子は、思った。


(無事に、産まなければ……)

(この子を、守らなければ……)


 顕子は、必死だった。



 夜は、まだ明けない。

 しかし、陣痛は激しくなっていく。


「もうすぐです!」


 縁菜が、言った。


「中宮様、もう一息です!」


 顕子は、力を振り絞った。

 痛みに耐え、呼吸を整え、ただひたすらに耐える。


 次子が、顕子の額を拭った。


「中宮様、頑張ってください」


 次子の声が、震えていた。

 涙を浮かべている。


 顕子は、次子を見た。

 そして、微笑んだ。


「大丈夫……」


 顕子は、小さく言った。


「私、頑張る……」



 そして、ついに——。


 明け方。

 空が、わずかに白み始めた頃。


 産声が響いた。


 小さなか細い声。

 しかし、確かな命の叫び。


 顕子は、その声を聞いて、涙を流した。


(産まれた……)

(この子が、産まれた……)


 縁菜が、赤子を抱き上げた。

 そして、顕子に告げた。


「おめでとうございます」


 縁菜は、微笑んだ。


皇女(ひめみこ)でございます」


 何かを考えるより先に。

 顕子の眼からは涙が零れ落ちた。


女子(めのこ)……)

(やはり、女子だった)


 嬉しさと、不安と、恐怖と。

 すべてが、混ざり合っている。


 縁菜が、赤ん坊を顕子に渡した。

 顕子は、優しく赤子を抱いた。


 最初に感じたのは、熱。


 小さな、か弱い命。

 しかし、確かに力強く生きている。


 温かい。

 顕子の腕の中で、赤子が小さく動く。


 まだくしゃくしゃな顔だけれど。

 真っ赤で、小さくて、震えているけれど。


「……かわいい」


 顕子は、微笑んだ。


 赤子が、小さく泣いた。

 顕子は、優しく赤子を抱きしめた。


(この子を、守る)


 顕子は、強く思った。

 赤子が目を開く。


 真っ黒な、濡れた眸。


 そしてまたすぐに閉じられた。


(父上が、何と言おうと)

(男子でも、女子でも)

(私が、この子を守る)

(大切な、我が子なのだから)


 次子も、涙を流していた。


「中宮様……おめでとうございます」


 顕子は、次子を見て、微笑んだ。


「ありがとう、合歓」

「お疲れ様でございました」


 次子は、深く頭を下げた。

 長い夜が、終わった。


 新しい命が、この世に生を受けた。


 乳母の石蕗(つわぶき)の君が、皇女に乳を含ませる。

 皇女はふにゃふにゃと泣き、やがて元気に乳を吸い出した。


 産屋の中が、ぱっと明るくなったような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ