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二 里下がり
皐月の終わり。
弘徽殿中宮顕子が、実家である右大臣邸へ里下がりした。
出産のためである。
平安の習わしとして、后妃は実家で出産する。
宮中は神聖な場所。
出産という穢れを、持ち込むわけにはいかない。
顕子は、大江次子——合歓の君を伴って、右大臣邸に移った。
他にも多くの女房が付き従う。
輿に揺られながら、顕子は弘徽殿を振り返った。
(また、戻ってこられるだろうか)
不安が、胸をよぎる。
(この子が、男子なら東宮に――次代の帝になる)
顕子は、腹に手を当てた。
(そうなれば、わが藤原氏は安泰。家は盤石となる)
(だが、女子なら……)
顕子は、目を閉じた。
それ以上は考えたくなかった。
輿が右大臣邸に到着した。
顕子は、邸内の一角に、仰々しく迎え入れられた。
そこには、既に豪奢な産屋が設えられていた。




