八 顕実との対話
如月。
空気はまだ冷たいが、日差しの中にわずかな柔らかさが混じり始めていた。
藤原顕実が真薫の屋敷を訪れたのは、昼も少し過ぎた頃だった。
「真薫」
門を叩くでもなく、顕実はずかずかと中へ入ってくる。
昔から変わらないやり方だ。
ちょうどそのとき、真薫は簀子縁に腰を下ろし、庭の桜を眺めていた。
まだ芽吹きの気配もない枝。
冬の名残を抱えたまま、黙って空に伸びている。
「……顕実殿」
名を呼ばれ、真薫はゆっくりと立ち上がった。
顕実は、真薫の顔を一瞥し、すぐに眉をひそめた。
「お前、最近おかしいぞ」
前置きもない。
「怪異雑掌は、暇だろう。最近は犬猫を追いかけ回しているという話も聞かん」
顕実は、半ば皮肉のように言った。
「なのに、その顔だ。――何を悩んでいる」
真薫は、答えなかった。
顕実は一歩近づき、真薫の様子を改めて見る。
痩せたわけではない。
だが、どこか張りが失われている。
「別に、心配しているわけじゃない」
顕実は、ふいと顔を逸らした。
「ただな」
少し間を置く。
「お前が弱っているのを見るのは、気分が悪い」
ぶっきらぼうな言い方だったが、声は低く、抑えられていた。
「犬のように走り回っているのが、お前には似合いだと思っているだけだ」
真薫は、思わず微笑んだ。
「ありがとうございます、顕実殿」
「罵倒に礼を言うとは……」
顕実は、呆れたように言った。
「ますますもって、おかしくなったな」
そう言いながらも、視線は真薫から外れない。
その目には、確かな気遣いがあった。
「何かあったら、言え」
一瞬、言葉を切る。
「――別に、助けるとは言わないがな」
真薫は、ゆっくりと頷いた。
「わかりました」
それ以上、何も言えなかった。
(顕実殿……)
胸の奥で、名を呼ぶ。
(いつか、あなたに酷いことを頼むことになるかもしれない)
顕実は、何も知らない。
だから、今はこうして向き合ってくれている。
(その時は……)
真薫は、拳をぎゅっと握りしめた。
(もう、こうして正面から顔を合わせることも、なくなるだろう)
顕実は、その仕草を見逃さなかった。
だが、顕実は、それ以上踏み込まなかった。
踏み込めば、何かが壊れると本能で理解していた。
「……無理をするなよ」
珍しく、声が少し柔らぐ。
「お前が倒れたら、つまらない」
それは、本心だった。
「では、行くぞ」
顕実は踵を返し、そのまま屋敷を出ていった。
振り返らないのも、いつも通りだ。
真薫は、一人残された。
庭の桜は、まだ固いままだ。
(顕実殿……)
真薫は、小さく息を吐き、微笑んだ。
(ありがとう)
その感謝は、声にはならなかった。




