七 真薫の葛藤
夜。
屋敷は、ひっそりと静まり返っていた。
真薫は、一人、文机の前に座り、手箱を開けている。
中には、十二冊の裏帳簿。
過去の事件。
歪められた真実。
封じられた死。
すべてが、ここにある。
(これだけあれば……)
一瞬、そう思う。
だが、すぐに否定する。
(いや、足りない)
真薫は、帳簿の背に指を滑らせた。
(過去だけでは、道顕様は倒れない)
十八年前から続く罪。
それは重い。
だが、権力の中枢にいる者を引きずり下ろすには、決定打にならない。
(必要なのは、今だ)
現在進行形の罪。
否定の余地のない犠牲。
そこまで考えて、真薫は息を詰めた。
(それは……)
誰かが傷つくのを、待つということだ。
誰かが壊れるのを、見過ごすということだ。
(それでいいのか)
拳を握る。
爪が、掌に食い込む。
(正義のためなら、犠牲は必要だと――?)
かつて、自分が最も嫌悪した理屈だ。
そしてその時は。
この記録を誰に差し出すかを決めなくてはならない。
右大臣――もしかしたら近々摂政になるかもしれない人物を、糾弾する裏帳簿。
差し出すなら帝しかない。
だが、兼遠も真薫も、帝に謁見できるほど高い位にはついていない。
殿上間など、遠い天の上のことだ。
その時、ふと一人の顔が浮かんだ。
藤原顕実。
道顕の嫡子。
帝の信任も厚い、若き五位蔵人。
(……友人、か)
自嘲が漏れる。
(顕実殿は、私をそう呼ばないだろう)
それでも――。
(私は、顕実殿を友と思っている)
胸の奥が、重くなる。
(その友に、――君の父を告発してくれと言うのか)
それは、政治ではない。
ただの残酷だ。
真薫は、目を閉じた。
(それでも……)
逃げるわけにはいかない。
記録してきた者として。
拳をほどくことなく、真薫はただ座り続けた。
裏帳簿を閉じたあとも、手の感触が残っていた。
まるで、まだ誰かの重みを抱えているかのように。




