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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第十一章 春の訪れ
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二 萩野、参内す

 萩野(はぎの)が初めて内裏に足を踏み入れたのは、雪解けの兆しが見え始めた頃だった。


 長きに渡り臥せっていたが、表向きには回復したことになっている。

 だが、歩くたびに、まだどこか自分の身体ではないような感覚が残っていた。


 女御装束の重みが、以前よりも強く感じられる。

 人を一人、背負って歩いているようだ。

 心情としては、もっと重い。


 一歩踏み出すたび、床の感触を確かめるように足裏に意識が向く。

 倒れはしない。だが、確信もない。


 それでも、歩かねばならない。


 源潔子の――麗景殿女御の女房として参内する。

 宮中とは、後宮とはどのようなところなのだろう。

 萩野にとって、物語の中でしか知らない、遠い世界だ。


 だが、その世界に大切な主は身を置いている。

 動けるようになった今、参じないという選択肢はなかった。


 麗景殿へ向かう回廊は、華やかに賑わっていた。


 ——顕子様のご懐妊。


 女房たちの間で、いや、殿上人(てんじょうびと)たちの間で。

 それが語られない日はない。

 弘徽殿(こきでん)中宮顕子の生む子の性別如何(いかん)で、次の帝が決まるのだ。


 盤面が大きく動く。


 萩野は、自然と歩調を整えた。

 息を乱すわけにはいかない。


「……萩野」


 足元に集中し過ぎていた萩野は、目指す場所に辿り着いていたことにようやく気付いた。

 声をかけられ、足を止める。


 艶やかな紫村濃(むらさきむらご)(かさね)に身を包み、潔子がそこに座していた。

 麗景殿の主として。凛と背筋を伸ばして。


 穏やかな面差しは以前と変わらない。

 だが、その奥に、以前よりも強い緊張が宿っている。


「元気になって……本当に、よかった」


 その一言に、萩野は胸が熱くなるのを感じた。

 平伏し、額づく。


「はい。お側に戻ることができ、何よりでございます」


 形式的な言葉。

 だが、そこに偽りはなかった。


 潔子は、萩野をじっと見つめた。


「無理は、していない?」


「……少しだけ」


 正直に答えると、潔子は小さく笑った。


「いつものことね。でも、し過ぎないように」


 その言葉に、萩野は救われる。


 潔子は、以前よりも静かだった。

 笑顔はあるが、芯が強くなった。


 ——寵愛を受けている。


 それは祝福であると同時に、重荷でもある。


 麗景殿女御として、潔子はしっかりと立っている。

 ならば萩野はそれを支えるだけだ。


 格子の、あるいは御簾の向こうで、時間が止まっていたような気がした。

 けれど、それは萩野だけの錯覚だったのだと、思い知らされる。


 参内は、果たされた。

 だが、平穏が戻ったわけではない。


 萩野は、はっきりと感じていた。

 この内裏は、すでに次の嵐を孕んでいる。


 そして、自分はその渦中に、足を踏み入れてしまったのだ。



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