二 恐怖の残滓
真薫と定明が、萩野の局を出ると、定明が立ち止まった。
「真薫殿」
「どうした?」
定明は、真剣な顔で言った。
「あの呪詛……」
「あの夜の、呪詛か」
「はい」
定明は、眉をひそめた。
「あれは呪詛としては、浅い部類です」
「浅い……というと、雑な作りに見えただけではない、ということか?」
「ええ。多少の効果はあったとしても、あの夜だけでしょう」
定明は、真薫を見た。
「萩野殿が長く眠っていたのは、呪詛のせいではありません」
「では、定明殿は何が原因なのか、わかっておられるのか」
定明は、静かに頷いた。
「萩野殿は、恐怖に縛られていたのでしょう」
真薫は、息を呑んだ。
「恐怖が……」
「はい」
定明は頷き、続ける。
「呪詛は、恐ろしい道具です。ですが、道具に過ぎません。本当に恐ろしいのは、人の心に植え付けられた恐怖です」
定明はそっと言葉を足した。
「それは、呪詛が終わっても、残り続ける」
真薫は、萩野の青白い顔を思い出した。
倒れたのは身体だが、縛られていたのは心だったのだ。
呪詛が終わっても、恐怖は終わらない。
それは、火種のように人の内側で燻り続ける。
真薫は、理解した。
(道顕様はそこまで計算していたのか)
(呪詛そのものではなく、恐怖を植え付けることが目的だった……)
真薫は戦慄した。
定明は、さらに続けた。
「真薫殿、あの几帳の裏にあった呪詛の紙片を、覚えていますか」
「ああ」
「あれは……」
定明は、言葉を選んだ。
「文言が、雑でした。本業の陰陽師の仕業ではない。かといって、市井の法師陰陽師のものとも思えません」
「では、誰が……?」
「わかりません」
定明は首を振った。
「しかし、呪詛"らしく"見せた痕跡があります」
「つまり......」
真薫は、言葉を継いだ。
「あれは呪詛を装った、"脅迫"だった、ということか」
「ええ。おそらくは」
定明は頷いた。
「そして、それは成功しました。萩野殿は恐怖し、倒れた。左大臣派は警戒し、潔子様を孤立させた」
それにより得をした人物など、考えるまでもなく、一人しかいない。
「すべて、道顕様の、計算通りだったと……」
真薫は、拳を握りしめた。
(道顕様は......)
(どこまで、冷酷なのか)




