十一 記録する者
真薫は、屋敷に戻った。
手箱を開けた。
中には、九つの裏帳簿。
藤原維時の事件。
藤原行斉邸の事件。
賀茂光保の事件。
道顕の自作自演。
賀茂保規の口封じ。
道顕の監視。
兼遠との同盟。
萩野の卒倒。
潔子の入内。
真薫は、新しい紙を取り出した。
そして、筆を執った。
——霜月、萩野、目覚める。
潔子、喜ぶが宮中にいるため会えず。
帝、潔子に会いたいと要望。
しかし潔子、恐怖のあまり拒否。
衾を被って引き籠もる。
左大臣派、困惑。
源基隆、自分の失策に気付く。
道顕の思い通りか。
しかしながら、中宮顕子、麗景殿を訪問。
潔子を慰め、励ます。
潔子、決意。帝に会うことを承諾。
顕子と潔子、友情を築く。
顕子と潔子、共に帝に謁見す。
次子からの文に書かれていた内容と、自身で見聞きした内容をすり合わせ、まとめる。
真薫は、細く息を吐き、筆を置いた。
十個目の裏帳簿。
真薫は、裏帳簿を手箱に仕舞った。
そして蓋を閉じた。
そろそろ手箱もいっぱいになる。
新しい容れ物が必要だ。
真薫は、庭を見た。
月は冴え冴えと光っている。
霜月の夜を冷たい風が、吹き抜けている。
真薫は、呟いた。
「顕子様が、動いた。潔子様を、救おうとしている」
真薫は簀子縁に歩み出る。
息をすると、鼻の奥が痛くなる冷たさだ。
だが、頭は冴え渡る。
「――道顕様への、小さな反抗かもしれない」
そこに、ほのかな希望を感じた。
(少しずつ、変わっている)
(顕子様は、父、道顕様の言いなりではない)
(潔子様も、恐怖を乗り越えようとしている)
真薫は、拳を握りしめた。
「いつか……」
真薫は、静かに誓った。
自分自身に言い聞かせるように、口にする。
「いつか、この記録が、道顕様を追い詰める。そして、多くの人が、救われる」
真薫は、茵に座り、目を閉じた。
静まり返るような夜の中、鵺が鳴く声が響く。
(――糸が、絡まっている)
真薫は、思った。
(道顕様の策略)
(左大臣派の警戒)
(潔子様の恐怖)
(顕子様の苦悩)
(すべてが、絡まり合っている)
(しかし……)
真薫は、目を開けた。
(顕子様と潔子様の友情)
(それは、新しい糸だ)
(道顕様の計算にはない、関係だ)
真薫は、微笑んだ。
(いつか、その糸が、道顕様の策略を断ち切るかもしれない)
真薫は、希望を持った。
と同時に、この情報は、兄ならどう扱うだろうかと、一瞬思う。
真薫は、文台に向かい、筆を執った。
今回は報告書ではなく、日記だ。
——源潔子、帝に謁見。
中宮顕子、同席。
特に問題なし。
簡潔な日記。
真相は、裏帳簿にある。
潔子の恐怖。
顕子の優しさ。
道顕の計算。
すべてが、そこに記録されている。
真薫は、日記を置き、ふ、と息を吹きかけた。
墨が乾いていく。
そっと指先でなぞり、滲まないことを確認してから日記を閉じた。
そして、手箱の上に手を置く。
「いつか――」
真薫は、呟いた。
月の光が、真薫を照らしていた。
静かな夜だった。
冬の訪れを感じさせる、冷たい夜。
時折、鵺が鳴く声が響く。
皆が恐れる声だけれど、本当は虎鶫の声だと、真薫は知っている。
真薫の心には、小さな希望があった。
顕子と潔子の友情。
それは、道顕の計算を超えた、人間の絆だった。
真薫は、それを信じたいと思った。
だが同時に懸念も湧いた。
帝が「中宮が同席したこと」を好意的に受け取ることによって、道顕の影響力が一層強まる“可能性”が、ある。
霜月の風が、吹き込んできた。
身を切るような、冷たい風だった。
しかし、真薫はその風を感じながら、静かに筆を執り続けた。
記録を続ける。
真実を残す。
それが、真薫にできる唯一のことだった。
顕子と潔子。
競い合うべき立場の、二人の女性の友情。
それは、道顕の策略を超える力を持つかもしれない。
それが、どれほど脆い糸であろうとも。
真薫は、そう信じた。




