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結婚の儀、二つの王冠と一つの予言

 夏萌月の十七日目、朝六時。

 ヴェルデン皇宮、正面玄関の広場。

 夜明け前から、広場には民が集まり始めていた。──朝六時の時点で、既に約二万人。──そして広場の周辺の街路にも、約三万人。──合計五万人。──ヴェルデンの全人口の約十六分の一。──二百年の建国以来、最も大きな儀式のための集まり。

 広場の中央に、白い大理石の儀式の壇が、設置されていた。──壇の上に、二つの王冠。──ハーゲン帝国の双頭の鷲の王冠と、アウレリア王国の金の鷲と銀の剣の王冠。──二つの王冠が、初夏の朝の光の中で、静かに輝いていた。

 そして広場の周囲の四つの旗竿に、二つの旗が交互に掲げられていた。──ハーゲン帝国の双頭の鷲とアウレリア王国の金の鷲と銀の剣。──同じ高さで、同じ大きさの旗が、初夏の風に揺れていた。

 ブランは、広場の北側の高い建物の屋根の上に、立っていた。──黒い外套。──しかし腰に、剣を吊っていた。──過去十年の傭兵時代、初めて公的な警護の中心として立つ朝。

 ブランの目は、広場の群衆の中を鋭く見つめていた。──三人目の手の者──マルク・ヴィッセル四十二歳──の顔の特徴をヴィルヘルムから受け取っていた。──しかし五万人の中で、一人の男を見つけるのは、困難を極めた。

 (──マルク・ヴィッセル。──お前は、どこにいる)

 ブランは深く息を整えた。

 そして広場の南側の屋根の上を確認した。──そこにも、ブランの十年の傭兵時代の盟友が、警護として立っていた。──レオナルド、二十二歳。──二年半前、稜が地下牢で「駒から外した」若者。──そしてヴィルヘルム・トレスト、四十七歳。──ハイリエンから急遽駆け付けた、十年の戦友。

 三人の警護の網が、広場全体を覆っていた。

 そして朝七時の鐘の直前。──広場の北側の入口で、わずかな騒ぎが起きた。──ヴィルヘルムが屋根の上から鋭く合図を出した。──黒い外套の四十代の男が、群衆に紛れて広場の中央に近づこうとしていた。──マルク・ヴィッセル、四十二歳。

 ブランは、レオナルドと共に、群衆の中を素早く動いた。──マルクが広場の中央の壇上の前で、懐の小型の刃に手を伸ばしかけた瞬間。──ブランの右手が、マルクの右腕を後ろから掴んだ。──そしてレオナルドが、左から刃を取り上げた。

 マルクは抵抗しなかった。──二十年、マルガレーテの手の者として動いてきた男の目に、徐々に深い疲労の影が広がっていた。──主の地下牢、そしてエリカ議員の選択の話を、マルクもどこかで耳にしていたのかもしれない。

 ブランとレオナルドは、マルクを群衆の外側へ静かに連行した。──広場の本流の人々は、何が起きたか気付かなかった。──結婚の儀の壇上の準備が、平穏に続いていた。

 (──三人の手の者の最後の一人。──ここで、止まった)

 ブランは深く息を吐いた。──そして再び屋根の上の自分の警護位置に戻った。

            ─── ─── ───

 朝七時。──皇宮の中央広間に、九人の同志と、新たな同志たちが集まっていた。

 稜(43歳)、神崎(42歳)、ヴィスカルト(35歳)、セレネ(17歳)、クロヴィス(17歳)、ヘルマン(46歳)、エリカ(39歳)、マルセル(53歳)、エヴァルト(19歳)。──そしてアウリオンから来たレオン王(34歳)、ヴァルド宰相(42歳)、マテウス院長、アルデス公(39歳)、カイル・クルビット(30歳)、エミーリオ・フォン・ヴァランディン(73歳孫)、リオラ(23歳)、ロッテ(21歳)、ハインリヒ・トレスト(46歳)。

 十八人。

 ロッテとリオラが、大広間の隅で、最後の段取りを確認していた。──両国の女性研究者の四人の研究会の中核を担ってきた二人。──ロッテはアウレリア王国側、リオラはハーゲン帝国側の女性研究者の代表として、結婚の儀の式場の進行を任されていた。

 「ロッテ殿」

 リオラの声は、静かだった。

 「──二十年後、私たちの研究会は、両国の千年の歪みの書き直しの中で、女性研究者の最初の世代として記録される」

 ロッテは深く頷いた。

 「リオラ様。──二十年後、私たちが今朝のこの場面を後輩の女性研究者たちに伝える日が、必ず来る」

 そしてヴィスカルトとセレネの二人が、儀式の正装を最後の確認をしていた。

 ヴィスカルトの黒い儀式の上着。──胸に銀の翼のブローチ。──兄ヴァレンの形見。──二十三年前、十二歳のヴィスカルトが兄から受け継いだ品。──そして三十五歳の今朝、皇帝即位の正装の中央に、その小さなブローチが輝いていた。

 セレネの白絹の婚礼の衣装。──首に母エリナの真珠のネックレス。──そして頭に、簡素な白い花の冠。──結婚の儀の場面で正式な王冠を受け取る前の、最後の準備。

 「セレネ」

 ヴィスカルトの声は、静かだった。

 「──結婚の儀の刹那、私たちの誓いの言葉が、神器の起動の最初の鍵となる」

 セレネはわずかに微笑んだ。

 「ヴィス。──私たちの誓いは、千年前のアンナの予言の継承の鍵にもなります」

 ヴィスカルトは深く頷いた。──そしてセレネの右手を自分の左手で、軽く包んだ。

 「セレネ。──十六歳の貴女が、私の側で皇后ではなく、独立した女王として立つことを私は深く尊重する」

 セレネは静かに頷いた。

 「ヴィス。──私たちは、二つの王冠の下で、共に立ちます。──しかし二人それぞれが、独立した立場の存在として」

 ヴィスカルトの目に深い感慨が宿った。

 ──三十五歳の皇太子と、十七歳になったばかりの王女。──二人の年齢差。──しかし二人とも、それぞれの過去の重みを共に背負ってきた。──そして今朝、二人は新しい時代の中核として、五万人の民の前に立つ。

            ─── ─── ───

 朝七時半。──稜と神崎は、ヴィスカルトとセレネに、深く頭を下げた。

 「殿下、王女殿下」

 稜の声は、静かだった。

 「──結婚の儀の刹那、私と神崎は、地下深部に降ります。──神器の最終起動の場面で、二人の異邦人の役目を果たします」

 ヴィスカルトは無言で頷いた。

 「稜殿、神崎。──地下深部の警護は、私の私設警備隊が、最も信頼できる五名で担当いたします」

 セレネが静かに切り出した。

 「師。──そして私とヴィスは、結婚の儀の壇上で、お二人の地下深部の動きと完全に同期して、誓いの言葉を交わします」

 稜は一度頷いた。

 「殿下。──ありがとうございます」

 そしてエミーリオ・フォン・ヴァランディン七十三歳が、静かに進み出た。

 「皆様」

 エミーリオの声は、深かった。──彼の祖父──エミーリオ二世──から受け継いだ千年の口伝の継承者の声。

 「──千年前のアンナの予言の最終形が、本日の結婚の儀の刹那に、完成いたします。──私の家──ヴァランディン家──の千年の記憶を本日の儀式の場で、皆様と共に解放いたします」

 エミーリオは深く一礼した。──そしてリオラ二十三歳が、祖父の隣に立った。

 「稜殿、神崎閣下」

 リオラの声は、若く、しかし強かった。

 「──私は、本日の儀式の場で、千年の経済の歪みの数理的な分析の中間報告を五万人の民の前に、お伝えする予定です。──祖父の千年の口伝と、私の数理的な分析が、結婚の儀の場で、初めて一つに統合されます」

 稜は黙って頷いた。

 「リオラ殿。──素晴らしいご準備」

 リオラはわずかに微笑んだ。──そして祖父の隣で、一礼した。

            ─── ─── ───

 朝八時。──結婚の儀の開始。

 皇宮の正面玄関の広場の壇上に、ヴィスカルトとセレネがゆっくりと立った。──広場の五万人の民が、深く沈黙した。

 マテウス院長が、儀式の主祭司として壇上に上がった。──七十年代の老修道院長。──五十年の沈黙の解放を経て、二年半前から徐々に公的な活動を再開していた。──そして今朝、二百年の両国の歴史で初めての結婚の儀の主祭司として立っていた。

 「皆様」

 マテウスの声は、深かった。

 「──本日ヴィスカルト・フォン・ハーゲン皇太子殿下が、ハーゲン帝国の皇帝としてご即位される。──そしてセレネ・アウレリア王女殿下が、アウレリア王国の女王として、お兄様のレオン陛下とのご共同の王権の形でご即位される」

 マテウスは続けた。

 「──そして同時にお二人のご結婚の儀をここで執り行う。──二百年の両国の歴史で初めての、皇帝と女王の同等の立場でのご結婚」

 広場の五万人の民が、深く息を呑んだ。──二百年の歴史の重みが、この瞬間に、静かに揺らぎ始めていた。

 マテウスは、二つの王冠を壇上の中央の台に、丁寧に置いた。

 「──ヴィスカルト殿下。──ハーゲン帝国の双頭の鷲の王冠をお受け取りください」

 ヴィスカルトは深く頷いた。──そして壇上の中央に進んで、マテウスの前で跪いた。──マテウスが、双頭の鷲の王冠をヴィスカルトの頭に静かに乗せた。

 「──ハーゲン帝国第七十二代皇帝、ヴィスカルト・フォン・ハーゲン陛下のご即位をここに宣言いたします」

 広場の五万人の民が、腰を折った。

 マテウスは続けた。

 「──セレネ殿下。──アウレリア王国の金の鷲と銀の剣の王冠をお受け取りください」

 セレネはゆっくりと頷いた。──そして壇上の中央に進んで、マテウスの前で跪いた。──マテウスが、金の鷲と銀の剣の王冠をセレネの頭に静かに乗せた。

 「──アウレリア王国レオン陛下とのご共同の王権の女王、セレネ・アウレリア女王陛下のご即位をここに宣言いたします」

 広場の五万人の民が、再び丁寧に一礼した。

 そしてマテウスが、二人の前で深く一礼した。

 「──そして本日ヴィスカルト皇帝陛下とセレネ女王陛下のご結婚の儀を執り行います」

            ─── ─── ───

 同時刻、皇宮の地下深部、神器の墓室。

 稜と神崎は、墓室の中央の神器の前に立っていた。──水晶の球体。──しかし球体の表面が、二年半前と比べて、明確に違っていた。──青白い光が、球体の内部から強く流れ出ていた。

 「玲」

 稜の声は、低かった。

 「──神器が、起動の準備を完了している」

 神崎は深く頷いた。

 「稜。──地上のマテウス院長の声が、地下深部の壁伝いに、わずかに届く」

 二人は静かに地上の声を聞いていた。──壁の隙間から、マテウスの儀式の声が、徐々に深まる空気の中で、響いていた。

 墓室の周囲には、ヴィスカルトの私設警備隊の五名が、慎重に立っていた。──しかし神器の前の三歩内には、稜と神崎以外、誰も立っていなかった。

 稜は、革の手帳を壇の傍の石の台に置いた。──手帳の中の玄一郎先生の写真立てとカスパル宰相の白い紙が、神器の青白い光の中で、静かに眠っていた。

 そして稜と神崎は、神器の球体に、両手を伸ばし始めた。

 しかしまだ触れなかった。──地上のヴィスカルトとセレネの誓いの言葉を待っていた。

            ─── ─── ───

 地上、結婚の儀の壇上。

 マテウスは、ヴィスカルトとセレネを壇の中央に立たせた。──二人は、互いの目を深く見つめていた。

 「ヴィスカルト皇帝陛下」

 マテウスの声は、深かった。

 「──ご誓いをお願いいたします」

 ヴィスカルトは深く息を整えた。──そしてセレネの目をまっすぐ見た。

 「セレネ・アウレリア女王陛下」

 ヴィスカルトの声は、強かった。

 「──私、ヴィスカルト・フォン・ハーゲンは、貴女のお側で、貴女と共に立つことを誓います。──貴女を私の妻として、しかし同時に独立した一人の女王として、深く尊重し続けることを誓います」

 ヴィスカルトは、続けた。

 「──そして私たち二人で、千年の歪みの書き直しの最終段階を共に進めることを誓います」

 セレネの目にわずかに涙が滲んだ。──しかし顔の表情は、強かった。

 「ヴィスカルト皇帝陛下」

 セレネの声は、静かだった。──しかし広場の五万人の民の隅々まで、届いた。

 「──私、セレネ・アウレリアは、貴方のお側で、貴方と共に立つことを誓います。──貴方を私の夫として、しかし同時に独立した一人の皇帝として、深く尊重し続けることを誓います」

 セレネは、続けた。

 「──そして私たち二人で、母エリナと貴方の兄ヴァレンの遺志を共に継承することを誓います」

 マテウスは無言で頷いた。

 「──本日、夏萌月十七日目朝八時。──ヴィスカルト・フォン・ハーゲン皇帝陛下と、セレネ・アウレリア女王陛下のご結婚を、ここに宣言いたします」

 広場の五万人の民が、深く沈黙した。──そして数秒の沈黙の後、初めての歓声が、広場の隅から徐々に上がり始めた。──二百年の両国の歴史で初めての新しい時代の最初の朝の歓声。

            ─── ─── ───

 同時刻、地下深部、神器の墓室。

 地上のヴィスカルトとセレネの誓いの言葉が、墓室の壁伝いに、最も明確に届いた瞬間。

 稜と神崎の手が、同時に神器の球体に触れた。

 ──神器が、強く光った。

 青白い光が、墓室全体を満たした。──ヴィスカルトの私設警備隊の五名は、瞬時に目を閉じた。──光があまりに強かったため。

 稜と神崎の意識が、瞬時に別の場所に流入した。

 ──千年前の世界。

 最初は、断片的な映像だった。──緑の野原。──白い建物。──そして三人の姿。──アドレアン王、ザラフ、そしてアンナ。──三人が、夏萌月の温かい光の中で、立っていた。

 しかし映像は徐々に明確になっていった。──三人の声が、稜と神崎の意識の中に、徐々に届くようになった。

 (──二人の異邦人よ。──千年待った)

 アンナの声。──千年前の女性の、優しくしかし強い声。

 (──貴方たちは、私の魂の二度目の生まれ変わりとして、半分ずつ、私を宿しています。──そして本日結婚の儀の刹那、貴方たちが千年前の私への感謝を唱える瞬間、半分ずつの私が、再び一つの姿に戻ります)

 稜の意識の中で、千年前のアンナの姿が、徐々に明確になっていた。──三十代後半の女性。──栗色の髪。──緑の優しい目。──そして胸に、ヴァランディン家の千年の家紋。

 (──玄一郎先生、晋三郎先生。──貴方たちのお二人の祖父の若き日の友情の意味を本日貴方たちの孫の代で完成させます)

 稜の目から、涙が滲んだ。──そして同時に神崎の目からも、涙が滲んでいた。

 しかし神器の起動はまだ完了していなかった。

 ──三つ目の条件。──二人の異邦人が、それぞれの心の中で千年前のアンナへの感謝の言葉を唱える。

 稜は深く息を整えた。

 そして神器の球体の前で、目を閉じた。

結婚の儀。

五万人の民の集結。

ヴィスカルト皇帝とセレネ女王の同時即位。

二百年の歴史で初めての光景。

ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

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