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カスパルの最後の謎、四十一年の意志

 春芽月の二十日目、夜九時。

 ヴェルデン宰相公邸、神崎の書斎。

 稜と神崎は、机の前に並んで座っていた。──過去三日、ハイリエンからのブランの密書を受け取り、稜の暗殺の準備の動きへの対応を二人で進めていた。──しかし今夜もう一つの重みが、机の上に静かに置かれていた。

 ──カスパル宰相が遺した、白い紙。

 しかし三週間前──春芽月二日目──の朝に最初の文字が浮かび上がった瞬間から、紙の文字は徐々に増えつつあった。──そして今夜、紙の表面の中央に長い文章が、ようやく完全に浮かび上がっていた。

 稜は、紙を机の上に静かに広げた。──そして書斎のランプの炎を紙の方向に近づけた。

 紙の上に、薄い、しかし明確な文字が並んでいた。

 「私カスパル・グラドール、四十一年前、宰相就任の朝に先王ミケランジュ陛下から、ご託されし秘密」

 「結城晋三郎、村瀬玄一郎。──二人の名は、千年前のヴァランディン家の予言の継承者の名」

 「結城晋三郎の孫、結城玲。──村瀬玄一郎の孫、高木稜(村瀬の血を母方に継ぐ)。──二人の異邦人として、千年後のこの世界に到来する」

 「私の四十一年の宰相職は、二人の到来を待ち、二人を支える土台を築くためのもの」

 稜は長くその文字を見つめた。

 そして神崎は一度息を吐いた。

 「稜」

 神崎の声は、震えていた。

 「──カスパル殿は、四十一年の宰相職の全てを俺たち二人の到来のために、捧げてこられた」

 稜は深く頷いた。──そして紙を慎重に裏返した。

 紙の裏面にも、文字が浮かびつつあった。──しかしまだ文字の輪郭が薄かった。──稜は、紙を机の上のランプの炎にもう少し近づけた。

 徐々に裏面の文字が読めるようになった。

 「──結婚の儀の刹那、神器の最終起動の場面を二人で必ず成就させよ」

 「──千年前のアンナの魂が、二人の中で再会する瞬間。──二人の参謀の関係の最終的な意味が、ここで完成する」

 「──私カスパル・グラドール、四十一年の中継ぎの役目を稜・神崎の二人にお渡しする」

 「──四十一年前の春の朝、私が三十二歳でこの紙を書き始めたその日から今日のこの紙が二人の前で完全に開かれる日までを私は一日も欠かさず数え続けた」

 「──四十一年。──十五千日と二十五日。──この時間のすべてが、二人の到来のためのものだった」

 紙の文字が、静かに完成した。──ランプの炎が、紙の上で長く揺れていた。

 稜の目から、涙が一筋頬を伝った。

 「玲」

 稜の声は、震えていた。

 「──カスパル殿が、四十一年。──十五千日と二十五日」

 神崎の目にも、涙が滲んでいた。

 「稜。──四十一年の中継ぎ。──カスパル殿の人生の全てが、この紙の中に刻まれている」

            ─── ─── ───

 書斎の中で長い沈黙が流れた。

 春芽月二十日目の夜の風が、宰相公邸の窓辺の樫の若葉を撫でていた。──そして遠くで、ヴェルデンの中央広場の十時の鐘が、街全体に響いていた。

 「玲」

 稜は静かに切り出した。

 「──四十一年前の春の朝。──カスパル殿は三十二歳だった。──そして同じ年に、ミケランジュ陛下が、千年前のヴァランディン家の予言の継承者から、この秘密を伝えられた」

 神崎はゆっくりと頷いた。

 「稜。──ミケランジュ陛下は、その三年後にご逝去された。──そしてその後、カスパル殿が、四十一年抱え続けた」

 稜は、書斎の窓辺を見た。

 「玲。──カスパル殿がご逝去の前夜、俺の手帳に密かに紙を挟まれた瞬間。──四十一年の重みが、俺たちに渡された」

 神崎の目に深い感慨が宿った。

 「稜。──そして紙の文字が、徐々に浮かび上がる仕掛け。──四十一年前の予言の継承者が、特殊な化学的な処理で書いた紙だ。──時間の経過と、ランプの熱で、徐々に文字が現れる」

 稜は、紙を再び指先で軽く撫でた。

 「玲。──四十一年の沈黙の後、四十一年の終わりに、文字が現れる仕掛け。──千年前のアンナの予言の継承者の深い知恵」

 神崎は深く頷いた。

 「稜。──そしてこの紙の最後の意志──『結婚の儀の刹那、神器の最終起動を二人で必ず成就させよ』──は、俺たち二人への、カスパル殿の四十一年の遺言」

            ─── ─── ───

 夜十一時。──稜と神崎は、書斎を一度離れて、宰相公邸の中庭に出た。

 春芽月二十日目の夜空。──月は満月に近く、銀色の光が、中庭の若葉に降っていた。──遠くで、夜の鳥が一度だけ鳴いた。──そして二人の前のベンチに、稜の革の手帳が静かに置かれていた。──手帳の中には、二つの重みが今夜から並んで挟まれていた。──玄一郎先生の写真立てと、カスパル宰相の白い紙。

 「玲」

 稜の声は、深かった。

 「──結婚の儀まで、あと一ヶ月足らず。──そして神器の最終起動までも、同じ時間」

 神崎は静かに頷いた。

 「稜。──そして俺たちの周りで、最後の動きが密かに進んでいる。──マルガレーテの手の者三人。──そしてハイリエンでヨハン議員を奪った後、北街道での稜の暗殺の準備」

 稜は静かに頷いた。

 「玲。──ブラン殿がハイリエンで動き始めている。──ヴィルヘルム殿の協力で、三人の手の者の特定と捕捉が進む」

 稜は深く息を吸った。

 「玲。──そしてヴィルヘルム殿の件。──ブランの密書では、ヴィルヘルム殿をハイリエンの代表として推挙する案だ。──十年、漁師として民の生活を最も深く知る男。──そしてヨハン議員の活動を三年支えてきた人物」

 神崎は静かに頷いた。

 「稜。──ヴィルヘルム殿の代表案、俺も同意する。──結婚の儀の警護のため一度ヴェルデンに駆け付けていただき、警護完了後、ハイリエンへ戻って広場の代表として立っていただく」

 稜は深く頷いた。

 「玲。──二人で承認した。──ブランに密書で返信する」

 しかしその時、稜の頭の中で、別の懸念が動いた。

 「玲」

 稜は静かに告げた。

 「──最後の一ヶ月でもう一つ、進めなければならない準備がある」

 神崎の目が、稜を見た。

 「──何だ」

 稜は深く息を吐いた。

 「玲。──千年前のアンナの予言の継承者──ヴァランディン家──と、俺たち二人の最後の対面だ」

 神崎の目が、わずかに動いた。

 「稜。──エミーリオ・フォン・ヴァランディン様、八十一歳。──南方ロンディオにまだ滞在しておられる」

 稜は黙って頷いた。

 「玲。──エミーリオ様にお会いして、結婚の儀の刹那の神器の最終起動の場面で、千年前のアンナの予言の最終的な発動の手順をもう一度確認する必要がある」

 神崎は深く息を吐いた。

 「稜。──しかし結婚の儀までの時間で、ロンディオまでの往復は、極めて困難だ。──北街道とは別の、南の街道。──往復で十二日かかる」

 稜は深く考えた。

 「玲。──十二日か。──結婚の儀まで、二十六日。──もし俺が今すぐロンディオに向かえば、十二日で戻ってきて、残り十四日で結婚の儀の準備を進める」

 神崎は無言で頷いた。

 「稜。──しかしそのロンディオへの旅の道中で、マルガレーテの手の者の襲撃の可能性がある。──ブラン殿はハイリエンで動いているが、お前の警護は、誰が」

 稜は深く息を吸った。

 「玲。──クロヴィスを連れていく」

 神崎の目が、わずかに動いた。

 「──クロヴィスを」

 稜は深く頷いた。

 「玲。──十七歳になった書記官。──過去一年で、彼の能力と判断力は、明確に成熟している。──そして彼の祖父ルクレティウスは、千年前のヴァランディン家の予言の継承者の一人。──エミーリオ様との対面の場面で、クロヴィスの存在は深い意味を持つ」

            ─── ─── ───

 夜十二時。──稜は、書斎に戻った。──机の上で、革の手帳の最後の頁の裏に新しい一枚を書き加えた。

 「春芽月二十日目。──カスパル殿の四十一年の遺言を確認した。──結婚の儀の刹那の神器の最終起動を二人で成就させる」

 「──明朝、クロヴィスと共にロンディオへ出発。──エミーリオ様との最終確認」

 稜は、インクを乾かした。

 そして革の手帳の最初の頁の裏──玄一郎先生の写真立て──をもう一度静かに見つめた。

 (──玄一郎先生。──貴方が大学院時代に若き日の結城晋三郎先生と並んで写ったその瞬間から、千年前のアンナの予言が、二人の祖父の中で、徐々に動き始めていた)

 稜は、写真立てを再び手帳の中に静かに収めた。

 書斎の窓の外で、満月に近い春芽月の月が、中庭の若葉に銀色の光を降らせていた。──そして遠くで、ヴェルデンの中央広場の零時の鐘が、街全体に響いた。

 しかし稜の胸の中で、別の重みも動いていた。──四十一年。──そして千年。──二つの時間の終わりが、徐々に近づきつつあった。──そして残り二十六日の中で、稜と神崎は、千年の歪みの書き直しの最終形に向かって、最後の一歩を踏み出すことになる。

 稜は、書斎の蝋燭の炎を長く見つめた。──カスパル宰相の四十一年の意志が、白い紙の上で初めて形を持って動き始めていた。──結城晋三郎、村瀬玄一郎。──二人の祖父の名前が、千年の予言の中で、新しい意味を持ち始めていた。

カスパル宰相の白い紙の最終文字、ようやく解明できました。

「結城晋三郎、村瀬玄一郎。二人の名は、千年前のヴァランディン家の予言の継承者の名」

四十一年の宰相職の意味が、この一行で完全に開きます。

書きながら、自分もカスパルさんと並んで立つ気持ちでした。

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