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『俺を嵌めた相棒が、異世界で敵国の宰相になっていた ─ 戦略コンサルタント、銀貨五枚で王国を買う』  作者: MU
【第三部】【第三章】五家・商人・若き異邦人、トレスト家の終焉
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エヴァルトの帰還、三人の若き異邦人

 紅葉月の四日目、深夜十一時。

 ヴェルデンの東地区、貧民街の最も狭い路地。

 ブランは石壁に背を預けて、息を細く吐いていた。──過去三日、ブランはこの路地を歩き続けていた。──ヘルマン副宰相と、エミーリオ・フォン・ヴァランディン七十二歳から得た情報。──「エヴァルト・トレスト18歳が、過去三年、ヴェルデンの貧民街で身を隠している」。

 ブランは黒い外套を纏っていた。──傭兵時代の装い。──貧民街の住人の中に紛れる服装。

 右手に剣はなかった。──貧民街では剣を持っていると逆に目立つ。──代わりに左の腰に短い刃物を一本だけ忍ばせていた。

 深夜の路地は静かだった。──壁の隙間から古い酒場の弱い橙色の光が漏れていた。──遠くで犬の吠える声が一度だけ響いた。

 (──三日目。──今夜が最後だ)

 ブランは、貧民街の路地の角を一つ曲がった。──その角から見える、二階建ての古い旅館。──階上の窓に、小さな蝋燭の光が灯っていた。──過去三日のブランの観察で、若い男が一人で生活している部屋。

 ブランは、旅館の入口に近づいた。

 しかしその瞬間、ブランの首の後ろの傭兵としての本能が、警報を鳴らした。

 (──誰かが、追っている)

 ブランは、後ろを振り返らずに足を止めた。──しかし耳は最大限に開いた。──路地の少し奥、十歩ほど後ろからもう一人の足音が聞こえていた。──ブーツの底の音。──ブランより重い体格の男。

 ブランは瞬時に判断した。

 (──エヴァルトを追っているのは、俺だけではない)

 ブランは、旅館の入口の前を一度通り過ぎた。──そして次の路地の角で、自分の体を素早く隠した。

 背後の足音が、徐々に近づいた。──そして旅館の入口の前で、その足音は止まった。

 ブランは、路地の角から、わずかに首を出した。

 旅館の入口に立つ男の姿が見えた。──黒い外套。──しかしブランより明らかに大柄。──男は左の腰に剣を吊っていた。

 (──傭兵)

 ブランは右手を自分の左腰の刃物に近づけた。

            ─── ─── ───

 男が、旅館の扉に手をかけた。

 しかしその瞬間、旅館の二階の窓から、若い男の声が漏れた。──小さな悲鳴ではなかった。──むしろ何かを察知して、咄嗟に動こうとした音。

 ブランは瞬時に行動した。

 路地の角から飛び出した。──男の背後に、三歩で接近した。──そして男の右肩をブランの右手が掴んだ。

 男が振り返った瞬間。

 ブランの左手の刃物が、男の喉の前で止まった。──刃が触れる寸前で。──しかし男の動きは完全に封じられていた。

 「動くな」

 ブランの声は低かった。

 男の目が、ブランを見つめた。──三十代後半の男。──傭兵としての経験が顔に刻まれていた。──しかし今は、ブランの刃物の前で動けなかった。

 「お前。──エヴァルト・トレストを狙う者か」

 男は答えなかった。──しかし目の中の答えは明確だった。

 ブランは、男の左腰の剣を自分の左手で素早く抜き取った。──そして剣を石畳の上に、静かに置いた。

 「お前の名前」

 男は答えなかった。

 ブランは、男の喉の前の刃物をわずかに前に押した。

 「──カスパル」

 男の声は擦れていた。

 「マルク・カスパル。──マルガレーテ様の私設の手の者」

 ブランの目が鋭くなった。

 「マルガレーテ・トレスト。──ハインリヒ・トレスト殿の妻」

 マルクは黙って頷いた。

 (──マルガレーテが、息子のエヴァルトを狙っている)

 ブランは長く息を吐いた。──三年前、エヴァルトが家を出た理由が、ここで一つ確定した。──父ハインリヒから「家の毒の歴史」を聞いた十五歳のエヴァルトは、母マルガレーテの活動の核心を察知して、家を出た。──そして母は、息子の帰還を未然に防ぐ準備を続けていた。

            ─── ─── ───

 旅館の二階の窓が、ゆっくりと開いた。

 若い男が、窓辺から路地を見下ろした。──18歳。──黒い髪。──父ハインリヒに似た顔立ち。──しかし目に、父より深い悲しみが宿っていた。

 エヴァルト・フォン・トレスト。

 エヴァルトは路地の下の二人の男を見た。──ブランの姿、マルクの姿、石畳に置かれた剣。──エヴァルトは状況を瞬時に理解した。──そして窓辺で、深く息を吐いた。

 「──三年待った」

 エヴァルトの声は、深夜の路地に静かに届いた。

 「母上が、いつか私を狙うことを私は予感しておりました。──そして今夜ようやくその瞬間が来ました」

 ブランは窓を見上げた。

 「エヴァルト殿」

 ブランの声は静かだった。

 「──貴殿の父上、ハインリヒ・フォン・トレスト殿のご友人、ヴィスカルト皇太子殿下からのご依頼で、私は貴殿をお迎えに参りました」

 エヴァルトの目が、わずかに動いた。

 「ヴィスカルト殿下。──父上のご友人」

 ブランは頷いた。

 「皇太子殿下は、貴殿のお父上のご決意──家の改革のご決意──を深くご支援されておられます。──しかしお父上のお一人のご決意では、お母上のご活動を止められません。──貴殿のご帰還が、家の改革の最終形に必要です」

 エヴァルトは長く沈黙した。

 深夜の路地に、夜の風が長く吹いた。──遠くで、ヴェルデンの中央広場の十二時の鐘が、街全体に響き始めた。

 エヴァルトはようやく口を開いた。

 「ブラン殿」

 エヴァルトの声は震えていた。

 「──三年、私はこの貧民街で身を隠してきました。──父上のお手紙を過去三ヶ月で十通受け取りました。──家のことをお父上から伺いました。──そして契約更新日の前後から、お父上のお手紙の調子が変わりました」

 エヴァルトは静かに息を整えた。

 「お父上は、千年の真相をご存じになりました。──そして家の改革のご決意をお父上は固められました。──しかしお父上はまだ私に『戻ってこい』と仰せでおいでではありません。──お父上は、私の安全を最優先になさっておられます」

 エヴァルトの目にわずかに涙が滲んだ。

 「しかし私は、お父上のお決意をお一人で背負わせるわけにはいきません。──お父上の十八年の優しさを私は今夜お返しに行きます」

 ブランは深く頷いた。

 「エヴァルト殿。──ご決意、確認いたしました。──しかし今夜の貴殿の帰還には、私と共に来ていただきたい場所がございます」

 エヴァルトの目が、ブランを見た。

 「──どちらへ」

 ブランは深く息を吸った。

 「アウレリア王国の、十六歳のセレネ王女殿下のところへ」

            ─── ─── ───

 翌朝、午前八時。──ヴェルデンの皇宮の小広間。

 セレネが、机の前に座っていた。──白絹のドレス。──首に母エリナの真珠のネックレス。

 過去三日、セレネはアウリオンからヴェルデンに来ていた。──ヴィスカルトとの結婚の儀の準備の打ち合わせが目的。──しかし昨夜稜から急ぎの密書が届いた。「明日、朝、エヴァルト・フォン・トレスト殿との対面の場面を皇宮の小広間で設定したい」。

 セレネは静かに机の前で待っていた。

 扉がノックされた。

 「殿下。──稜殿、ブラン殿、そしてエヴァルト・フォン・トレスト殿、お見えです」

 セレネは静かに胸を膨らませた。

 「お通しください」

 扉が開いた。──稜が最初に入った。──そしてブラン。──最後に、若い男。──18歳。

 エヴァルトはセレネを見た。──そして丁寧に一礼した。

 「セレネ殿下。──エヴァルト・フォン・トレストと申します」

 セレネは立ち上がった。──そしてエヴァルトの目を見た。

 ──十六歳の王女と、十八歳の貴族の家を出た若者。──二歳の年齢差。──しかし二人とも、それぞれの家の最も深い罪を背負っていた。──セレネは母エリナの毒殺の血の継承者として。──エヴァルトは父ハインリヒの母マルガレーテの毒殺活動の血の継承者として。

 「エヴァルト殿」

 セレネの声は静かだった。

 「──ようこそ、おいでくださいました」

 エヴァルトの目にわずかに涙が滲んだ。

 「セレネ殿下」

 エヴァルトの声は震えていた。

 「──私は、過去三年、貧民街で身を隠してきました。──家の罪を背負った者として、家の外で生きる道を探しておりました」

 エヴァルトは続けた。

 「しかし殿下のご活動を私はヴィスカルト殿下のお手紙の中で、徐々に伺っておりました。──殿下が、母君エリナ前王妃の遺志を継いで、千年の歪みを止める側に立たれていることをお父上のお手紙とヴィスカルト殿下のお手紙で、私は知っておりました」

 セレネは黙って頷いた。

 「殿下」

 エヴァルトの声はようやく落ち着いた。

 「──父さんを助けてください」

 エヴァルトは深く頭を下げた。

 「父さんは、千年の真相をご存じになり、家の改革のご決意を固められました。──しかし母上が、父上のご決意を止めるために新しい毒の準備をしているはずです。──父さんを助けてください」

 セレネは深く頭を下げた。

 「エヴァルト殿。──私は深く受け止めます」

 セレネは続けた。

 「殿下」──セレネの声は、十六歳の王女の声だった。──「いえ、エヴァルト殿。──私と貴殿は、互いに殿を用いる関係ではなく、共に立つ関係であるべきです。──十六歳と十八歳。──そしてヴィスカルト殿下は三十四歳。──三人の若き異邦人として、私たちは並んで立ちます」

 エヴァルトの目に初めて深い光が宿った。

 ──三年、貧民街で一人で生きてきた若者が、初めて「並んで立つ者」を得た刹那。

 エヴァルトの目から、一筋の涙が頬を伝った。

 「セレネ殿。──ありがとうございます」

 セレネはわずかに微笑んだ。──しかしその微笑みの奥に深い覚悟が宿っていた。──十六歳の王女が、十八歳の若者の三年の孤独を引き受ける覚悟。

            ─── ─── ───

 昼、十二時。──皇宮の小広間に、ヴィスカルトが入ってきた。

 皇太子三十四歳。──黒い礼服。──胸に銀の翼のブローチ。

 エヴァルトはヴィスカルトを見た。──そして深く一礼した。──ヴィスカルトは、エヴァルトの父ハインリヒの長年の友人。──しかしエヴァルトとヴィスカルトの直接の対面は、これが三年ぶりだった。

 「エヴァルト」

 ヴィスカルトの声は深かった。

 「──三年、よく耐えた」

 エヴァルトの目から、再び涙が流れた。

 「ヴィスカルト殿下」

 エヴァルトの声は震えていた。

 「──父さんに、お会いしたい」

 ヴィスカルトは黙って頷いた。──そしてエヴァルトの肩に、静かに手を置いた。

 「エヴァルト。──今夜、私と共にトレスト家にお連れしよう。──しかしその前にもう一人、貴殿に会っていただきたい者がいる」

 エヴァルトの目が、ヴィスカルトを見た。

 「──どなたですか」

 ヴィスカルトは静かに告げた。

 「セレネ。──そして私と貴殿。──三人でこれから千年の歪みを止める側の若い世代として並んで立つ。──しかし三人の前にもう一人、私たちの背中を支えてくださる方がいらっしゃる」

 ヴィスカルトはセレネと稜を一度見た。──そして再びエヴァルトに向き直った。

 「──稜殿。──アウレリアの参謀。──そしてヴァルト・フォン・ヴァランディン家の流れを継ぐ千年の家系の一つが、貴殿のお父上のトレスト家です。──稜殿は、千年の歪みの全貌を把握しておられる、唯一の立場の方です」

 エヴァルトは稜を見た。──稜は壁辺に立ってこれまでの対話を黙って見守っていた。

 エヴァルトは稜に深く一礼した。

 「稜殿」

 エヴァルトの声はようやく落ち着きを取り戻していた。

 「──私の家の千年の歴史を稜殿のお導きの下で新しい形に書き直す機会を頂きたく存じます」

 稜はわずかに微笑んだ。

 「エヴァルト殿。──三人の若き異邦人のお一人として、私と神崎、二人の参謀の立場で、深くお支えいたします」

            ─── ─── ───

 午後八時。──同じ日の夕方。──ヴェルデン東地区、トレスト家の館。

 しかし館の中で、別の動きが起きつつあった。

 マルガレーテ・フォン・トレスト、四十八歳。──夫ハインリヒ45歳の妻。──二十年、アウレリア王国とハーゲン帝国の改革派の人々への毒の調合と密かな配布を続けてきた女。

 マルガレーテは、自分の私室の机の前に座っていた。──机の上に、小さな硝子の瓶。──薄い緑色の液体。──二日前に完成したばかりの新しい毒の調合。

 マルガレーテの右手に、白い羊皮紙。──そして羊皮紙の上に、書きかけの文字。

 「──最終目標:稜、参謀。──ハーゲン帝国宰相退任後、参謀として活動中の男。──千年の歪みの書き直しの中核」

 マルガレーテは深く息を吐いた。

 ──夜中の二時、自分の使用人のマルクから連絡が届かなかった。──エヴァルトの暗殺の依頼。──失敗をマルガレーテは予感していた。

 しかしマルガレーテは、動揺しなかった。──二十年、何度も失敗を経験してきた。──そして失敗は新しい機会を生む。──次の標的は、稜。──夫ハインリヒの改革のご決意の中核を支えている男。──稜が消えれば、夫の決意は揺らぐ。

 マルガレーテは、白い羊皮紙の上に、稜の名前を確定させた。

 そして机の上の小さな硝子の瓶を長く見つめた。

 (──稜殿。──貴殿の最後の朝が、近い)

 マルガレーテの目に深い決意が宿っていた。──二十年の毒殺活動の最大の標的。──彼女の最後の戦いの中心が、稜の命に向かって動き始めていた。

エヴァルト・フォン・トレスト18歳、三年の貧民街生活の終わり。

セレネ16歳との初対面。

二人の若者の最初の言葉、書きながら自分でも興奮しました。

そして、ブランの剣を抜かない戦闘技術の進化形。

傭兵vs傭兵の対話なき攻防、ようやく描けました。

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