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『俺を嵌めた相棒が、異世界で敵国の宰相になっていた ─ 戦略コンサルタント、銀貨五枚で王国を買う』  作者: MU
【第三部】【第三章】五家・商人・若き異邦人、トレスト家の終焉
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商人連合、二百の商家

 紅葉月の二日目、午前十時。

 ヴェルデンの商工会議所の大広間。

 白い石造りの大広間。──二百年前、ハーゲン帝国建国の翌年に建てられた建物。──天井が高く、壁に過去の商人連合の歴代の長の肖像画が並んでいた。──全員、男性だった。

 大広間の中央に、楕円形の長い机。──二百の商家の代表が着座できる規模。──朝十時の時点で、既に百八十名が席に着いていた。──残り二十名が、徐々に入場しつつあった。

 稜は大広間の入口に立っていた。──簡素な紺の外套。──革の手帳を脇に抱えていた。

 隣に神崎、四十一歳。──宰相退任後、参謀として稜の隣に並んでいた。──宰相の青い礼服ではなく深い紺の外套。──過去三ヶ月で、神崎の立ち姿は明確に変わっていた。──二十年の宰相の重みが消えて、二十年前の若い参謀の頃の軽やかさが戻りつつあった。

 「稜」

 神崎の声は静かだった。

 「──二百名、ほぼ揃った。──開始は十時半」

 稜は黙って頷いた。

 大広間の正面の壇上に、二つの椅子が用意されていた。──一つは商人連合の長、グスタフ・ヴァイス七十歳の席。──もう一つは、稜の発言席。

 稜は神崎を見た。

 「玲。──元老院の演説の時とは、違う緊張があるな」

 神崎はわずかに微笑んだ。

 「稜。──元老院は、政治の言葉が通じる場所だった。──しかし商人連合は、利益と損失の言葉でしか動かない場所だ。──お前の参謀の言葉が、どこまで通じるか」

 稜は革の手帳を左手で軽く撫でた。

 (──玲。──二人で、進む)

 神崎は黙って頷いた。

 午前十時半の鐘が、ヴェルデンの中央広場から響いた。──商工会議所の大広間の中で、二百名の商家代表が静かに着座した。

            ─── ─── ───

 グスタフ・ヴァイス連合長が、壇上に立った。

 七十歳。──白髪。──しかし背筋はまっすぐだった。──四十年、商人連合の長を務めてきた男。──しかし二百年の商人連合の歴史で、最も重い演説の前置きを今日することになる。

 「諸君」

 グスタフの声は深かった。

 「本日二百の商家の代表を集めたのは、ヴェルデンの商人連合二百年の歴史で、最も重い対話のためです。──昨日私の元に神崎前宰相と稜殿から、共同の依頼書が届きました。──『商人連合に、千年の真相をお伝えしたい』」

 大広間の中で、わずかなざわめきが起きた。

 グスタフは続けた。

 「私は、四十年の連合長として、過去にこのような依頼を受けたことが一度もありません。──しかし二人の参謀が共同で立つ依頼です。──私は受け入れました」

 グスタフは深く頷いた。

 「──稜殿。お話をお願いいたします」

 稜は壇上に上がった。──二百名の目が、稜に集中した。

 大広間は深い沈黙に包まれた。──朝の光が、高い窓から斜めに入っていた。──壁の歴代の連合長の肖像画が、二百年の重みで稜を見つめていた。

 「皆様」

 稜の声は静かだった。──しかし大広間の隅々まで届いた。

 「──私は、アウレリア王国の参謀、稜と申します。──そして私の隣に座っております男は、神崎玲。──ハーゲン帝国の元宰相であり、現在は私と共に参謀として並んで立つ者です」

 稜は神崎を一度だけ見た。──神崎は壇上の下の最前列に座っていた。──軽く頷きを返した。

 「本日皆様にお伝えしたいのは、千年の真相です。──そしてそれが、皆様の二百年の商売の慣習と、深く繋がっていたという事実です」

 大広間の中で、再びざわめきが起きた。──「商売の慣習」。──商人たちが最も敏感に反応する言葉。

 稜は続けた。

 「ハーゲン帝国とアウレリア王国の二百年の関係は、属国条約に基づく不平等な交易関係でした。──皆様、二百の商家の中の多くが、この不平等な関係の上で、利益を上げてこられました。──関税の差。──通貨の交換の慣習。──そして輸送ルートの独占権」

 稜の声は徐々に重みを増した。

 「これら全てが、千年の歪みの一部だったのです」

 大広間が、一瞬完全な沈黙に包まれた。

            ─── ─── ───

 稜は革の手帳を開いた。──最初の頁の裏の、十枚の紙の上に新しい一枚を加えていた。──十一枚目──ヴァランディン家の千年の家紋の写し。

 「皆様。──千年前、トルメアスという哲学者が、大陸の歪みを設計しました。──その設計の中の一つの要素が、商業の不平等です。──西の島国アウレリアの資源を東の大陸ハーゲンに集中させる。──この流れが、千年続きました」

 稜は手帳を二百名に向けた。

 「具体的には、以下の三つの慣習。──一つ、アウレリア産の小麦に対する関税が、ハーゲン産の小麦に対する関税より三倍高い。──二つ、両国間の通貨の交換が、ハーゲン側に有利な比率で固定されている。──三つ、北街道の輸送権をハーゲン側の特定の商家七つが独占している」

 大広間の中で、最前列の一人の商家代表が、突然立ち上がった。

 ──マウリッツ・ハイデッカー、五十二歳。──ハーゲン東部の北街道輸送権を持つ七商家の一つの当主。──稜の話が、自分の家の利益の根本に届いたことを瞬時に理解した。

 「稜殿!」

 マウリッツの声は鋭かった。

 「──失礼ですが、それは我々の利益を侵害する話ではないですか。──我が家は、過去四代、北街道の輸送権を継承してきました。──法的に正当な権利です」

 大広間の二百名が、マウリッツを見た。──そして稜の答えを待った。

 稜はマウリッツの目を真っすぐに見た。

 「ハイデッカー殿。──ご質問、ありがとうございます。──私の答えを申し上げます」

 稜は手帳を閉じた。

 「──ハイデッカー家の輸送権は、確かに法的には正当です。──しかし法の正当性と、千年の歪みは、別の層にあります」

 稜は続けた。

 「ハイデッカー家が四代継承してきたこの権利は、千年前のトルメアスの設計の中で、特定の七商家に与えられた『歪みの維持装置』としての権利でした。──七商家が他の商家を排除することで、北街道の輸送が独占され、アウレリアからハーゲンへの資源の流れが、不平等な比率で固定されました」

 マウリッツの目が鋭くなった。

 「稜殿!」

 マウリッツは机を一度叩いた。

 「──貴殿は、我が家の四代の歴史を否定されるのですか」

 大広間が静まり返った。──二百名の商家代表が、息を詰めて稜の答えを待った。

 神崎は最前列で、稜の答えを静かに待っていた。──二十年前、若い宰相だった神崎自身も、何度も同じ場面で立ち向かった。──商家の利益の前で、原則を語る瞬間。

 稜の答えが、来た。

 「──ハイデッカー殿。私は、貴殿のご家族の四代の歴史を否定いたしません」

 稜の声は深かった。

 「貴殿のご祖父、お父様、そして貴殿ご自身が、この権利の上で誠実に働いてこられたことを私は深く尊重いたします。──四代の労働の重みは、紛れもなく実在するものです」

 マウリッツの目が、わずかに揺らいだ。

 稜は続けた。

 「しかし、私が貴殿に申し上げたいのは、別のことです。──貴殿のご家族の四代の労働の上に、千年の歪みが乗っていた、という事実です。──貴殿のご家族は、千年の歪みの『被害者』でもあり、同時に『維持者』でもあった」

 「私の依頼は、貴殿のご家族の労働を奪うことではありません。──千年の歪みを書き直す過程で、貴殿のご家族の労働が新しい意味を持つ場所を共に設計することです」

 マウリッツは長く沈黙した。──机の上で握った拳が、徐々に緩んでいった。

 大広間の二百名は、息を詰めて見守っていた。

 そしてマウリッツがゆっくりと座った。

 「──稜殿。──分かりました。──続きをお聞かせください」

            ─── ─── ───

 稜は深く頷いた。

 「ハイデッカー殿。──ご座席、ありがとうございます」

 稜は再び手帳を開いた。──そして最後の頁を二百名に見せた。

 「これは、千年前のヴァランディン家の家紋です」

 大広間の中で、わずかなざわめきが起きた。

 「ヴァランディン家。──六百五十年前のトルメアスの第二の弟子セレウス・ヴァランディンの血統。──そしてその家系は、千年前の商業の歪みを設計した側の家でもあります。──しかし同時に千年前の商業の歪みを止める側の双子の弟、エルフラム・ヴァランディンの血統も、この家系に含まれています」

 稜は手帳を閉じた。

 「──そして本日この大広間に、ヴァランディン家の現当主、エミーリオ・フォン・ヴァランディン様が、おいでくださっています」

 大広間の中で、深いざわめきが起きた。──二百名の商家代表が、一斉に振り返った。

 大広間の最後列の片隅から、一人の老人が立ち上がった。──七十二歳。──白い髪。──簡素な紺色の上着。──そして胸に、千年前のヴァランディン家の小さな銀の家紋。

 エミーリオ・フォン・ヴァランディン。──エミーリオ七十二歳の祖父である南部ロンディオの八十歳の継承者エミーリオの孫。──ヴェルデンに住む、ヴァランディン家の現当主。

 「皆様」

 エミーリオの声は深かった。──七十二歳とは思えない強い声。

 「──私の家の千年の歴史を本日この大広間で初めて公的にお話する機会を稜殿と神崎殿に頂きました。──四十年、私は商人として、この大広間に何度も来ました。──しかし、私の家の千年の歴史を語る瞬間が来るとは、夢にも思っておりませんでした」

 大広間の二百名が、エミーリオを見つめた。

 エミーリオは続けた。

 「私の家の千年の歴史は、二つの双子の血の物語です。──そしてその物語は、本日この大広間にお集まりの二百の商家の歴史と、深く絡み合っています」

 エミーリオの目が、稜と神崎を一度見た。──そして再び二百名に向き直った。

 「私は本日私の家の千年の物語を皆様にお話しいたします。──そして皆様の各家の千年の歴史を私と共に新しい形で書き直すご提案をいたします」

 大広間の中で、最も深い沈黙が流れた。

 ──二百年の商人連合の歴史で、初めての瞬間だった。

            ─── ─── ───

 午後三時。──エミーリオの一時間半の話が終わった。

 大広間の二百名は深く疲れていた。──しかし疲れの奥に、別の感覚も宿っていた。──二百年の商売の慣習の根本が揺らいだ刹那の深い動揺と、そして同時に新しい可能性の予感。

 稜は壇上に戻った。

 「皆様。──本日のお話は、これで終わりです」

 稜は深く頭を下げた。

 「ご拝聴、ありがとうございました。──今後、皆様の各家のご対応を急がせるつもりはございません。──各家のペースで、千年の歪みの全体像をお考えください」

 稜は最後に一つだけ加えた。

 「ヴァランディン家のエミーリオ様、そして私と神崎は、皆様のご質問にいつでもお答えする立場におります。──ヴェルデンの宰相公邸を窓口としてお使いください」

 大広間の中で、商家代表たちが徐々に立ち上がり始めた。──しかしすぐには大広間を出なかった。──多くの代表が、隣の代表と低い声で話し始めた。──二百年の慣習が揺らいだ後の、最初の対話の波。

            ─── ─── ───

 夕方、神崎の宰相公邸の応接間。

 稜と神崎の二人だけ。──大広間から戻ってきたばかり。──二人とも、机の前に座って、長く沈黙していた。

 「稜」

 神崎が静かに口を開いた。

 「──ハイデッカー殿との応酬、見事だった」

 稜はわずかに微笑んだ。

 「玲。──二十年前、お前が同じような場面に立ったことが、何度もあったのだろう」

 神崎は黙って頷いた。

 「稜。──二十年前、私はそれぞれの場面で孤独に立っていた。──しかし今日は、お前が壇上に立ち、私が最前列で見守った。──二十年で、初めての形だ」

 稜は革の手帳を机の上に置いた。

 「玲。──エミーリオ様の話の中で、興味深い一行があった」

 神崎は稜を見た。

 「どの一行だ」

 稜は手帳の最新の頁を開いた。──大広間で書いたメモ。

 「『──私の家の最も若い世代、二十二歳の私の孫娘、リオラ・フォン・ヴァランディンが、この秋からヴェルデン大学の経済学部の博士課程に入りました。彼女の研究テーマは、千年の商業の歪みの数理的な分析です』」

 稜は手帳を見つめた。

 「玲。──ヴァランディン家の最も若い世代の二十二歳の女性が、千年の商業の歪みを学問として研究し始めている。──次の十年で彼女が新しい経済学の枠組みを作る可能性がある」

 神崎の目に深い興味が宿った。

 「リオラ・フォン・ヴァランディン。──二十二歳。──第三段階から第四段階の進行の中で彼女のような若い学者の存在は、極めて重要だ」

 稜は手帳を閉じた。

 (──ヴァランディン家の若い世代が新しい層を担い始めている)

 しばらく、二人は沈黙した。

 窓の外で、紅葉月二日目の夕陽が、ヴェルデンの街並みを橙色に染めつつあった。──遠くで、鐘の坂の六時の鐘が、街全体に響いた。

 「玲」

 稜は静かに告げた。

 「──次の動きは、何だ」

 神崎は深く息を吸った。

 「稜。──明日の朝、私は商人連合のグスタフ連合長と非公式に会う予定だ。──今日の二百名の中の何名が、本格的に動き始めるか。──連合長の感触を聞きに行く」

 稜は黙って頷いた。

 しかしその時、扉がノックされた。

 「閣下、稜殿」

 使用人の声だった。

 「──緊急の密書です。アウリオンから」

 稜と神崎の目が、一瞬合った。

 使用人が密書を持ってきた。──白い羊皮紙。──封蝋にアウレリア王家の金の鷲と銀の剣の紋章。──カスパル宰相の私的な印が、その横に小さく押されていた。

 稜は密書を開いた。

 そして文字を読んだ。──稜の目が、わずかに揺らいだ。

 「玲」

 稜の声は低かった。

 「──カスパル宰相が、昨夜倒れた」

 神崎の目が稜を見つめた。

 稜は密書を神崎に渡した。

 「──幸い、命に別状はない。──しかしマテウス院長の見立てでは、四十年の宰相職の最後の段階に入った可能性が高い」

 神崎は密書を読んだ。

 そして長く沈黙した。

 夕陽が、応接間の机の上を金色に染めていた。──紅葉月二日目の夕方。──ヴェルデンの商人連合に千年の真相が届いた日の夜、アウリオンの王宮では、四十年の老宰相の最後の段階が始まっていた。

 稜は、商工会議所の窓辺に立った。──二百の商家代表の声が、まだ大広間に残響していた。──ハイデッカー家のマウリッツ五十二歳の問いが、稜の胸の中で静かに反復していた。──「我が家の四代の歴史を否定するのか」。──その問いへの答えを、これからの一年で形にする覚悟が、稜の中で深まっていた。

二百の商家代表の前で、千年の真相を経済の言葉で共有する場面。

ハイデッカー家のマウリッツ52歳の立ち上がり。

稜の「ご家族の労働を奪うことではない、新しい意味づけです」の一言。

民の物語に向かう、最初の試みでした。

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