王、議会で語る
緑陰月十七日目の朝、九時。
アウリオン王宮、議会の大広間。
白い大理石の床。──天井は高く、四つの大きな窓から朝の光が差し込んでいた。──大広間の中央に、王の玉座。──その周囲を半円形に囲むように、議員五十名の席。──木製の重い椅子。──各椅子の前に、小さな机。
大広間の入口から、議員たちが順に入ってきた。
アウレリア王国の元老院議員、五十名。──貴族家の代表、各地方の代表、王宮の主要官吏。──年齢層は、四十代から七十代まで。──若手は数えるほど。──大半が、四十年の宰相カスパルと共に、王国の政治を支えてきた重鎮たち。
議員たちは、それぞれの席に着いた。──しかし誰一人軽い会話を交わさなかった。──静寂が、大広間を満たしていた。
──七日前、宮廷から議員全員に、特別な招集の通達が出されていた。「緑陰月八日目、レオン陛下が、王国の千年の歴史に関わる重要な事項を議員五十名の前で公的に開示なさる」。
議員たちは、その内容をまだ知らなかった。──しかし通達の重みからある種の予感を持って、この朝、大広間に入った。
そして大広間の最も奥の壁の前に、玉座。──その左右に、四つの椅子。──宰相カスパル、副宰相ヘルマン、王の参謀、そして書記官長ヴァルド。
玉座はまだ空いていた。
しかし玉座の前の、参謀の椅子に、稜は既に座っていた。──四十二歳。──簡素な紺の外套。──革の手帳を膝の上に置いていた。
そしてその隣に、カスパル宰相、七十二歳。──王宮の宰相としての公的な紫の礼服。──四十年、特別な議会の時にだけ着用してきた服。──カスパルは、玉座の左隣の椅子に、ゆっくりと座っていた。
稜は、横でカスパルを見た。
(──カスパル殿。──七日前の執務室から、よくここまで歩いてこられた)
─── ─── ───
大広間の入り口から、開幕の鐘が鳴った。
澄んだ金属の音が、三度。──大広間の天井に響いた。
全ての議員が、深く頭を下げた。──そして稜とカスパルも、立ち上がった。
──玉座の方向の小さな扉が、開いた。
そしてレオン王が、入場した。
三十三歳。──しかし今朝の王はいつもより堂々と歩いていた。──白い王の正装。──金の鷲と銀の剣の徽章。──そして首に、母エリナの形見の細い銀の鎖。──普段の謁見の場では着けない、この朝のためだけの選択。
レオン王は、玉座の前に立った。──そして議員たちを一度長く見渡した。──王の目が、五十名の重鎮たちを一人ずつ確認していくように。
そして玉座に、ゆっくりと座った。
「議員諸君」
王の声はまだ若い男児の声だった。──しかし奥に、王としての覚悟が宿っていた。
「──緑陰月八日目の議会、これより開会する」
議員たちはもう一度深く頭を下げた。──そして席に着いた。──稜とカスパルも、再び座った。
大広間の中の空気が、わずかに張り詰めた。
─── ─── ───
レオン王は深く息を吸った。
「──議員諸君。今朝、私からあなたがたに、王国の千年の歴史に関わる、重要な事項を共有する」
議員たちの目が、王に集中した。
「私の参謀稜が、過去二ヶ月半、ハーゲン帝国に滞在していた。──稜は、神崎宰相、ヴィスカルト皇太子殿下、そして我が妹セレネ王女と共に、両国の歴史の最も深い場所で、千年の歪みの構造を初めて公に開示する道筋を整えてきた」
「葉萌月十八日目、ハーゲン帝国の元老院で、神崎宰相が同じ事項を議員五十名の前で公的に開示なさった。──そして今日、私もまた、アウレリア王国の議会で、同じ事項を諸君の前で公的に開示する」
議員たちの目に、わずかな動揺が走った。──しかし誰一人、声を上げなかった。
レオン王は続けた。
「──両国の千年の歴史は、表面的には、対立の二百年と、属国の千年の構造であった。──しかし表面の奥に、千年の予言と、千年の計画と、千年の歪みが、隠れていた」
「千年前、トルメアスの時代に、二人の人物がいた。──アドレアンとザラフ。──両国の祖となった二人の人物。──彼らは表面的には対立し、両国の二百年の対立構造の起点となった。──しかし二人は、表面の対立の奥である一つの計画を共に作っていた」
「その計画とは──千年後、両国の民を統合的な未来に導く構造の設計であった」
議員の中の最年長、七十五歳のラグナー卿が、わずかに身を乗り出した。──白い髪深い目。──四十年、王国の議会で重鎮として座り続けた人物。
(──ラグナー卿。──最初に反応された)
稜は、心の中でラグナー卿を見守った。
─── ─── ───
レオン王は、続けた。
「──しかし、千年の計画は、その後の歴史の中で、徐々に歪んでいった。──予言の本来の目的が、ハーゲン皇室の一部の者たち、トレスト家、そしてアウレリアの一部の貴族家の手によって、自家の権力の維持の道具に変えられた」
「その歪みの中で、多くの命が失われた」
王の声が、わずかに低くなった。
「五百年前のアウレリア王、シビル女王の毒殺。──三百年前のハーゲン皇室の改革派の貴族の毒殺。──そして三十五年前、私の祖父アドラム王の毒殺」
議員たちの目が、大きくなった。
「アドラム王の急死は、公的には病死とされた。──しかし真実はハーゲン帝国の前皇帝フリードリヒ二世の指示による、毒殺であった。──毒は、トレスト家のハインツ・トレストが調合し、サルマティア経由でアウリオンに送られた」
大広間の中で、議員数名が、わずかに息を吸う音がした。
──しかし誰も、立ち上がらなかった。
レオン王は続けた。
「──そして、五年前」
王の声が、震えた。
「私の母上、エリナ前王妃も、同じ系統の毒殺の犠牲者であった」
大広間の中で、複数の議員が、息を呑んだ。──ラグナー卿の目に深い悲しみの光が宿った。──四十年前、ラグナー卿はエリナ前王妃の若き日からの相談相手だった。──エリナの毒殺の真相を今初めて公に聞いた。
─── ─── ───
レオン王は、しばし沈黙した。
大広間の中で、五十名の議員が、息を呑んで王を見つめていた。──そして稜とカスパルも、議員の一人一人の表情を静かに見守っていた。
レオン王は深く息を細く吐いた。
そして再び、口を開いた。
「──議員諸君。私は、母上の毒殺を二週間前に初めて知った。──妹セレネ王女が、ハーゲン帝国から戻った時、妹は私に、母上の死の真相を共有してくれた」
「──私は、最初、激しい怒りを感じた。母上を殺した者を私は、許せない、と思った」
王の目にわずかに涙が滲んだ。──しかし王は、それを拭わなかった。
「──しかし妹は、私に告げた。『兄上。──母上を殺した者は、千年の歪みの構造の中で、毒を調合する家に生まれた女だった。母上もまた、千年の歪みを止めようとしたために、対象になった。私たちが、母上を殺した者を処刑することは、千年の歪みの中の「仕返し」でしかない』」
レオン王は続けた。
「──私は、妹の言葉を二週間考えた。──そして私自身の答えにたどり着いた」
「私は、母上の死を千年の歪みの『終わりの始まり』として受容する。──毒を調合した者への怒りは、私は、降ろす。──私の意志は、千年の歪みを終わらせること、その一点に向ける」
大広間の中で、ラグナー卿が深く目を伏せていた。──七十五歳の老議員の頬に、わずかに涙が伝った。──四十年、王国の重鎮として座り続けてきたラグナー卿の、王の言葉に対する、最も深い反応。
そしてラグナー卿が、ゆっくりと立ち上がった。──全議員が、その動きに気付いた。
「陛下」
ラグナー卿の声は、低かった。──しかし大広間に、はっきりと響いた。
「──老臣、ラグナー、四十年議会に座り続けて参りました。──しかし今朝、陛下のお言葉を聴いた瞬間、私は、自分の四十年の意味を初めて理解いたしました」
「私は、母上、つまりエリナ前王妃の若き日のご相談相手でございました。──エリナ様は、私に、若き日からこう仰っていました。『ラグナー卿。──私は、千年の歪みを止めるために、命を懸ける覚悟があります。私の死後、息子たちの代で、その歪みが書き直されることを私は信じています』」
「──エリナ前王妃のご遺志が今朝、レオン陛下のお口から、議会の場に届きました。私は、ラグナーの名にかけて、陛下の千年の歪みを止める覚悟を全力でお支えいたします」
ラグナー卿は深く礼をした。
そして議員たちが、一人ずつ、ゆっくりと立ち上がり始めた。
──最初に、五十代の若手議員、ヘルムート卿。──次に、七十代のオドリス卿。──次に、四十代のマリク卿。──順に、五十名の議員全員が、立ち上がった。
そして議員たちが、一斉に、深く頭を下げた。
大広間の中で、五十名の議員と、王と、宰相と、参謀と、副宰相と、書記官長の六十名近い人々の沈黙が、長く続いた。
──レオン王の頬に、涙が一筋、伝った。
しかし王は、それを拭わなかった。──王の涙ではなく、王としての涙だった。
─── ─── ───
しばらくして、レオン王は、再び口を開いた。
「議員諸君。──ありがとう」
王の声は、震えていた。──しかし芯はしっかりとしていた。
「──両国の千年の歪みを書き直す道筋は、全六段階で構成されている。第一段階は、両国の宰相と参謀の合意。これは既に完了している。──第二段階は、両国の議会と改革派の共有。今日アウレリア王国の議会において、第二段階の本格的な進行が始まった」
「──第三段階以降は、両国の有識者、貴族と商人、そして最終的には民への公開へと進む。全六段階の完成までに、約五年から八年の年月が必要となる」
「議員諸君。──長い年月、王国の改革を共に支えてくれる覚悟が、お一人ずつにあるか、私は確認したい」
議員たちは、再び一斉に立ち上がった。
そして全員が、深く礼をした。
ラグナー卿が、代表で答えた。
「陛下。──五十名全員、陛下の千年の歪みを書き直す覚悟を全力でお支えする決意でございます」
レオン王はわずかに頷いた。
そして玉座の左隣の椅子に座る、カスパル宰相を見た。
「カスパル宰相」
カスパルはゆっくりと立ち上がった。──七十二歳の四十年の老宰相。──しかし今朝の立ち上がる動作には、過去の三日のような震えはなかった。──最後の公的な大舞台で、四十年の重みが、カスパルの背筋を一時的に持ち上げていた。
「カスパル宰相。──四十年、王国の宰相として、ミケランジュ王の晩年から、祖父アドラム王、父ヴィルフレッド王、そして私の四代の王に仕えてくださった。──今朝、千年の歪みの開示の議会の場に、宰相として立ち会ってくださること、心より感謝する」
カスパルは深く一礼した。
「陛下。──四十年の老臣にとって今朝の議会は、最も重い名誉でございます。──陛下の若きご決意を四十年の宰相として、見届けることができ、私の人生は、これで完全に意義あるものとなりました」
大広間の中で、議員たちの目に、再び深い感慨が宿った。──四十年の老宰相の最後の公的な瞬間と、即位五年の王が初めて議会で千年の真相を開示する瞬間が今朝、同じ場で重なっていた。
レオン王はわずかに微笑んだ。
「議会、これにて閉会する」
大広間に、再び鐘が三度、鳴った。
澄んだ金属の音が、夏の朝の空気の中に溶けた。
─── ─── ───
議会の閉会後。
議員たちが、一人ずつ大広間を退出していった。──しかし大半の議員が、退出する前に、玉座の前で深く一礼してから、扉に向かった。──四十年の議会で、過去には例のない振る舞い。──王への、自発的な敬意の表明。
大広間が、空になった。
玉座の前で、レオン王、カスパル、稜、ヘルマン、ヴァルドの五人だけが、残った。
レオン王が深く息を吐いた。──そして玉座からふと立ち上がった。──王の身体が長い演説と緊張の解放で、わずかに揺れた。
稜は静かに王の前に立った。
「レオン様」
稜は低く告げた。──食堂の名で、王を呼んだ。
レオン王は、稜を見上げた。──そして稜の腕をわずかに掴んだ。──王の手。
「稜。──私、よく、できたか」
稜は静かに頷いた。
「レオン様。──完璧でございました」
レオン王はわずかに微笑んだ。──そして稜の腕に、軽く右手を置いた。──緊張からの解放。──三十三歳の王が、五年間の即位の重みから、束の間解放される瞬間。
カスパルがゆっくりと玉座に近づいた。──そしてレオン王の頭の上に、四十年の老人の手を軽く置いた。
「陛下。──四十年仕えてきた老臣として、申し上げます。──陛下の今朝の演説は、王国の千年の歴史の中で、最も気高いものの一つでございました」
レオン王は、目を伏せた。──そしてカスパルの手の温かさを頭の上で感じた。
(──祖父様。──父様。──私は、千年の歪みを書き直す王として、第一歩を踏み出しました)
大広間の窓の外で、緑陰月の朝の鐘が、十時を告げた。
─── ─── ───
大広間を出て、廊下を歩きながら、グスタフ執事が稜に近づいた。
「稜殿。──ヴェルデンから、神崎宰相の使者がお見えになりました。──書斎にお待ちでいらっしゃいます」
稜はわずかに足を止めた。
(──玲。──昨夜の密書への、応答がもう届いた)
昨夜稜は神崎に密書を送った。──三十六年前のアドラム王の書簡の内容と、玄一郎先生の紋章のスケッチを神崎に共有した。──そして今朝、議会の閉会と同時に神崎の応答が届いた。
「ありがとう、グスタフ殿。──すぐに書斎に戻ります」
稜はレオン王に、深く一礼した。
「レオン様。──今朝の議会、本当にお疲れ様でございました。──私はこれから書斎に戻り、神崎宰相からの応答を確認いたします」
レオン王は静かに頷いた。
「稜。──また、夕方にでも、私の食堂で会おう」
稜は深く一礼して、書斎に向かって廊下を歩き始めた。
──大広間の窓の外で、緑陰月の朝の風が、王宮の塔の二つの旗を変わらず揺らしていた。
十一歳のレオン王が議会で千年の真相を語る場面。
「母上の死を、千年の歪みの『終わりの始まり』として受容する」
五年間、母の死を抱えてきた少年の、最後の答え。
書ききるのに、何度も筆を置きました。




