第32話 結ばれそうで、まだ
「ディートハルト様」
その夜、私は、彼の部屋を訪ねた。
「あなたの呪いの、根のことです。……戦場で、あなたに何が起きたのか。覚えている範囲で、話していただけますか」
ディートハルトの表情が、ふっと、引き締まった。
「あの戦の、最後の夜だ」彼は、ゆっくりと語った。
「我々は、敵に囲まれ、全滅寸前だった。その時――どこからともなく現れた一人の男が、私に、一つの“護符”を渡した。これを飲めば、味方が助かる、と。私は、藁にもすがる思いで、それを飲んだ。……翌朝、敵は、なぜか退いていた。私は生き残り、部下も、半数が助かった。だが、私の体に、これが」
護符。それを渡した男。
私の中で、点と点が、繋がっていく。古い血筋の呪いを“目覚めさせた”引き金は、その護符だ。そして、それを渡した男は――おそらく、彼を“生かして英雄に仕立て、呪いという首輪をつける”ために、送り込まれた。
なぜ? 辺境伯ディートハルトを、生かしたまま、無力化するために。彼が伏せっているあいだに、この豊かになりうる辺境を、毒し、奪うために。
メルクヴァルト商会。宮廷錬金術師長。そして、宰相。
すべては、最初から、一本の線で、繋がっていた。
「……クロエ?」
私が黙り込んだので、ディートハルトが、案じるように、私の名を呼んだ。
私は、顔を上げて微笑んだ。
「大丈夫です。あなたの呪い、必ず、根から解いてみせます。その正体に、私は、もう手が届きかけている。――少しだけ、時間をください」
「ああ。お前になら、いくらでも、預ける」
彼は、まっすぐに、私を見た。その瞳に映る熱に、気づかないふりは、もう、できなかった。
「クロエ。……一年の契約のことだが」
どきり、とした。
「あの契約は、もう、いらん」
息が、止まった。捨てられる、と、一瞬、体が強張る。けれど――。
「夫人の座は、そのままだ。解くのは、期限と、白紙に戻すという条項だけ。――お前を縛る期限も、出ていける逃げ道も、もういらん。私が、お前を、手放さない。……いや」
彼は、言い直した。ほんの少し、照れたように、視線を揺らして。
「これは、私の、願望だ。お前に、ずっと、隣にいてほしい。契約だからではなく――お前だから」
その先の言葉を、彼は言わなかった。私も聞かなかった。
まだ、早い。呪いも解けていない。黒幕も、倒していない。私たちの戦いは、まだ、終わっていないのだから。
だから、その夜は、ただ。
「……はい。喜んで、おそばに」
そう答えて、二人で、笑い合っただけだった。
結ばれそうで、まだ、結ばれない。
その甘いもどかしさを抱えたまま、私たちは、次の戦いへと――王都に巣食う、本物の黒幕へと、向かっていく。
けれど、それは、また別の物語。
ひとまず今は、取り戻したこの名前と、この帰る場所を、抱きしめていたかった。
――影武者だった私の、本当の物語は、ここから始まる。
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