21. アミナ・ボスケッティお目見得のこと SUR LES DÉBUTS D’AMINA BOSCHETTI
ブリュッセルのモネ劇場にて
AU THÉÂTRE DE LA MONNAIE, À BRUXELLES
ソネット形式 脚韻AABB AABB CCD EDE
田舎者として罵倒されているWelcheとは、アルザス人Alsaceのこと。アルザス出身の音楽家で言えば、指揮者シャルル・ミュンシュやオルガン弾きアルベール・シュヴァイツァーなど。アルザスは、ドイツになったりフランスになったりしてきた係争地で、ブリュッセルからは距離がある。ドーデー『最後の授業』で有名だが、アレはかなりフランス側に偏っている。そのフランス側でも、異常に判り易く嫌味を垂れる本作を読む限り、アルザス人はパリジャンから距離を置かれた存在だったらしい。あるいは、その差別的な見方を変えようとしたドーデーの試みだったのかも知れないが。
アミナは飛び跳ね、逃げ出し、翻って微笑んで。
野暮天の曰く「俺にはてんで、阿呆陀羅経で。
俺は知らないし、田園の精とか
『ハーブと野菜の山』の女しか。」
Amina bondit, — fuit, — puis voltige et sourit;
Le Welche dit: «Tout ça, pour moi, c’est du prâcrit;
Je ne connais, en fait de nymphes bocagères,
Que celle de Montagne-aux-Herbes-Potagères.»
ほっそりした足先からも、笑みを浮かべた瞳からも、
アミナは溢れさせる、熱狂を、そして機知を。
野暮天の曰く「偽りの歓びよ、何処かに行くがいい!
俺の女房は、そんな軽薄な振る舞いなどしない。」
Du bout de son pied fin et de son œil qui rit,
Amina verse à flots le délire et l’esprit;
Le Welche dit: «Fuyez, délices mensongères!
Mon épouse n’a pas ces allures légères.»
あなたは御存知ないのだ、勝利の膝持つ風の精よ、
象にワルツを、フクロウに陽気さを、
コウノトリに笑い声を、誰が教えたがるものか、
Vous ignorez, sylphide au jarret triomphant,
Qui voulez enseigner la walse à l’éléphant,
Au hibou la gaîté, le rire à la cigogne,
火の恵みに「後光!」と野暮天が叫んだとしたら
そこへ、優しいバッカスがブルゴーニュを注いでやろうとも
怪物は答えるだろうから。「ワシぁファロの方が好きじゃから!」
Que sur la grâce en feu le Welche dit: «Haro!»
Et que le doux Bacchus lui versant du bourgogne,
Le monstre répondrait: «J’aime mieux le faro!»
1864.
訳注
prâcrit: 古代インドの言語で「サンスクリット以前」を言うフランス語。この田舎者がプレクリットの何れか知るはずもなく、「ちんぷんかんぷん」の意
celle: 「それ」「その人」に当たる指示代名詞の女性形単数となるので、「女性」の「そいつ」くらいの意味の言葉。を、田舎者に言わせることで、詩人は田舎者へ「おまえ、そいつとヤッたな」となすりつけている
Montagne-aux-Herbes-Potagères: ブリュッセルにある古い通りの一つ。語義「ハーブと野菜の山」は、この地区に17世紀まで、多くの菜園があったことに因む
légères: 「軽い」そのまま。なので、詩人は田舎者へ「軽いおまえが言うか」と、また解り易い嫌味を垂れている
la grâce en feu: 何かの言い回しかと調べたが、見つからない。la grâce は「優雅」というより「恵み」、 en feu は「燃える」というより「火照っている」という具合に使われているようだが
Haro: ボードレールの詩に時折出てくる「後光」は、仏像のそれと同様、聖人または天使の背後や頭上に描かれる
bourgogne: 当然ながらブルゴーニュ・ワイン
le faro: ベルギーに於ける伝統的なランビック・ビールの一種。薄くて甘い低価格なビールで、ボードレールが「まるで一旦飲んでから排泄したものをもう一度飲んだような味」とこき下ろした一品。Haro と押韻しつつ、「ブルゴーニュの良さも解らない安ビール飲みが」とまた解り易い(以下略




