20. マラバール人の女性へ À UNE MALABARAISE
対句
マラバールとは、インド亜大陸西岸南部の呼び名である。紀元前3000年頃からその名が知られているというから、日本人にとっての「天竺」よりも、西欧の者にとっては馴染み深い地名であろう。
ボードレールは、カルカッタ行きの船に乗せられ、生涯一度きりの航海に出たのであったところ、マダガスカルの東800kmにあるレユニオン島に滞在し、別の船でパリに戻ったから、マラバールの実際を見たわけではない。旅に出れば退屈するくせに、パリに戻れば忘れられずに居るのだから、詩人としての業を煮詰めたような男ではあった。
題名からしてマラバール出身の女性に捧げた作品の筈だが、相手が誰だか解っていない。それも冒頭から黒人扱いしているけれど、マラバール出身ならインド人で、アフリカ人ではない。マラバールはドラヴィダ語族の範囲と重なるから、アーリア系が多いインド人の中では黒っぽく見えるかも知れない。しかしオーストラロイドではあっても、ネグロイドではない。当時はまだ人種問題が表面化していなかったが、今日では微妙なところを含む作品と言わねばなるまい。
なお、四行詩のような形にしたのは翻訳の都合で、原文は一続きになっている。「小説家になろう」では対訳形式にできないので、このようにしたことをお断りしておく。
貴女の足は手と同じくらい細い、
腰は白人の美女も羨むほど広い。
物思いにふける芸術家に、貴女の体は柔らかく愛しい。
貴方の大きなびろうどの両目は、貴女の肉よりも黒い。
Tes pieds sont aussi fins que tes mains, et ta hanche
Est large à faire envie à la plus belle blanche;
À l’artiste pensif ton corps est doux et cher;
Tes grands yeux de velours sont plus noirs que ta chair.
神が貴女を創造した暖かく青い土地で、
貴女の仕事は主人のパイプに火をつけ、
水筒に新鮮な水と香りを満たし、
うろつく蚊を寝台から追い払い、
Aux pays chauds et bleus où ton Dieu t’a fait naître,
Ta tâche est d’allumer la pipe de ton maître,
De pourvoir les flacons d’eaux fraîches et d’odeurs,
De chasser loin du lit les moustiques rôdeurs,
朝が訪れプラタナスの木が歌い始めると直ぐに、
バザールに行くこと、アナナとバナナを買いに。
貴女は一日中、どこでも裸足で歩き、
古く知られざる曲をそっと口ずさみ。
Et, dès que le matin fait chanter les platanes,
D’acheter au bazar ananas et bananes.
Tout le jour, où tu veux, tu mènes tes pieds nus,
Et fredonnes tout bas de vieux airs inconnus;
そして夕暮れが降りてくる、紅いマントをまとって、
そこで貴女はもの柔らかに、マットに身を横たえて。
貴女が浮かべる夢は、ハチドリでいっぱい、
そしていつも優雅で華やか、貴女のように。
Et quand descend le soir au manteau d’écarlate,
Tu poses doucement ton corps sur une natte,
Où tes rêves flottants sont pleins de colibris,
Et toujours, comme toi, gracieux et fleuris.
幸せな子よ、何故わがフランスを見たいのか、
この国を、人口は過密で苦しみに荒れはてた?
そして、その生命を船乗りたちの力強い腕に託し、
盛大に別れ告げるや、愛するタマリンドの木々に?
Pourquoi, l’heureuse enfant, veux-tu voir notre France,
Ce pays trop peuplé que fauche la souffrance,
Et, confiant ta vie aux bras forts des marins,
Faire de grands adieux à tes chers tamarins?
薄っぺらいモスリンまとうも半身のみ、
雪や雹の下に身を震わせてばかり、
なんと嘆こうや、甘美気楽の日々に比し、
脇腹を締め上げるコルセットはきついし、
Toi, vêtue à moitié de mousselines frêles,
Frissonnante là-bas sous la neige et les grêles,
Comme tu pleurerais tes loisirs doux et francs,
Si, le corset brutal emprisonnant tes flancs,
我等が泥濘にて夕食を拾い集めざるを得ず
奇妙な魅惑の香りを売りさばかざるを得ず、
もの思いに耽る目で、我等が汚した霧中に、
ココナツの木の幻影散りゆくを追うばかり!
Il te fallait glaner souper dans nos fanges
Et vendre le parfum de tes charmes étranges,
L’œil pensif, et suivant, dans nos sales brouillards,
Des cocotiers absents les fantômes épars!
1840.
訳注
ananas: パイナップル。「アナナス」の方が現地語に近く、フランス語を含め此方を採る言語が多い
écarlate: スカーレット。#FF2400
mousselines: その名はモースル(Mosul)の絹織物から来ているものの、実際はオランダ・イギリス両国の東インド会社が、白く柔らかい綿織物をダッカ等から輸入したものが、モスリンと呼ばれるようになった。1770年代頃よりイギリスやフランスで白いモスリンのシュミーズドレスが流行し、世紀末から19世紀初頭には新古典主義ドレスに発展した
corset: コルセットは、胴の括れを強調する婦人用下着の一種。であるが、詩人本人が装着する訳でもないのに、brutal(残忍な)emprisonnant(拘束具)と強調するキツさは只事ではなく、しかし押韻のため訳出できなかった。世の女性に陳謝
1840: ボードレールが航海に出たのは1841年6月であったから、それより前。実際には初出 1846-12-13 : L’Artiste なので、この作品の制作日ではなく、その素になった思い出という事であろう。いよいよ誰だか判らない。訳者はマネ『オランピア』(1863)の黒人女性を思い出したが、前述の通り「マラバールの女性」はインド人で、アフリカ人ではない




