第3話 洞窟内部――“世界が変わる”瞬間
洞窟の入口を一歩くぐった瞬間、 ラースは思わず足を止めた。
(……音が、消えた?)
外では確かに風が吹き、 木々が揺れ、 鳥の声も聞こえていた。
だが―― 洞窟の中には、 一切の音が存在しなかった。
松明の炎が揺れる音すら、 吸い込まれるように消えていく。
ラースは無意識に喉を鳴らした。 その音だけが、 異様に大きく響いた。
こつっ……こつっ……
足音が、 洞窟全体に反響して返ってくる。
(……嫌な感じだ)
松明を掲げても、 光は数歩先までしか届かない。
まるで闇が光を飲み込んでいるようだった。
(洞窟って、こんなに光が届かないものか……?)
天井を照らすと、 そこには“何もない”。
高さがあるのか、 あるいは闇が深すぎるのか、 天井は見えなかった。
(……空間そのものが歪んでいるような)
ラースは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
洞窟の奥へ進むにつれ、 空気が重く、冷たくなっていく。
湿気はなく、 土の匂いもない。
(……生き物の気配が、まったくない)
普通の洞窟なら、 コウモリや虫の気配があるはずだ。
だがここには、 生命の匂いが一切なかった。
まるで、 “生き物が存在できない空間” のように。
しばらく進んだ時だった。
ラースの足が、 何か柔らかいものに触れそうになった。
(……?)
松明を下に向ける。
そこには―― 巨大な狼のような影 が横たわっていた。
体長は2メートルほど。 毛並みは黒く、 筋肉質な体つき。
だが―― 微動だにしない。
(死んでいる……?)
ラースは慎重に近づき、 松明を狼の顔の方へ向けた。
その瞬間―― 息が止まった。
狼の顔が、 存在しなかった。
目も、鼻も、口も、 何もない。
ただ、 滑らかな皮膚のようなものが 頭部を覆っているだけ。
(……なんだ、これ)
ラースの心臓が跳ねた。
恐怖ではない。 もっと原始的な、 “本能が警鐘を鳴らす感覚”。
そして―― その本能が、 奇妙な衝動を生んだ。
(……首を、落とさないといけない)
理由は分からない。 だが、 そうしなければならない という確信だけがあった。
ラースは剣を抜いた。
金属の冷たい光が、 松明の炎に照らされて揺れる。
狼の首元に剣を当て、 一気に振り下ろした。
ザシュッ――
刃が肉を断つ感触。 だが、血は出ない。
首が落ちた瞬間―― 狼の体は、 煙のように消えた。
跡形もなく。
(……やっぱり、普通じゃない)
ラースは剣を握りしめたまま、 しばらくその場に立ち尽くした。
だが、 胸の奥にあった“やるべきこと”は 確かに終わった感覚があった。
(……ここにいる必要は、もうない)
ラースは洞窟の出口へ向かって歩き出した。
足音が再び響き、 外の光が見え始める。
洞窟を出た瞬間―― 風の音、鳥の声、木々の揺れる音が 一気に耳へ戻ってきた。
(……戻ってきた)
ラースは振り返った。
そこには―― 洞窟がなかった。
ただの木々と、 いつもの森の風景が広がっているだけ。
(……消えた?)
まるで最初から存在しなかったかのように。
だが、 森の空気は明らかに変わっていた。
重さが消え、 風が軽くなっている。
(……異常は、消えた)
ラースは静かに息を吐き、 村へ戻る道を歩き始めた。




