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6話


「もう……大丈夫かな?」


 額に滲んだ汗を拭いながら、周囲に人の気配がない事を確認して目の前に生い茂る草葉をかき分ける。ほかの天使達にはバレていない秘密の隠れ家。


 居なくなったお母さんと過ごした思い出が残った唯一の場所。 今もお母さんは帰ってこないけどポツンと立てられた古びた古屋には私の帰りを待つ家族が待っている。


 観測所からスラム街。 今までずっと強張っていたカナリアの表情が徐々に綻び、家を目の前にすると口元からすっと緊張が解ける。


「疲れた……なんだったの? 今日は?」


 息を乱しながらもなんとか呼吸を整えて、カナリアは空を見上げながら吐き気を喉の奥に押し込んだ。


 妙な胸騒ぎ。マリアが無理をしていた理由に納得はしているが、どうにも今日のマリアの言動がカナリアには引っかかっていた。 


「マリア――大丈夫かな」


 数年前、一度だけマリアが取り乱していたことがあった。 あの時は天界から数百の天使たちが地表へと向かい、地表の民、たった一人に返り討ちにあったとか。


 地表から戻ってきたのはマリアとイデルバ、残り数人だけだった。 私は仕事で観測所にいたので帰還したばかりのマリアと偶然遭遇した。


『マリア! だいじょうぶ? ですか?』


『アンリ!! アンリ!! また、私は娘を助けられなかった』


 六つの両翼の内、右翼を二つ撃ち抜かれたマリアは私がそこにいることなど想定していない様子で膝から崩れ落ちて泣きついてきた。


『私は!! 私はぁ!!』


 大声でカナリアに謝り続けたマリア。  そう、確かにマリアは言ったのだ、”私は娘を助けられなかった”と。


「――あれ?」


 ついさっきマリアと話した会話に不思議と違和感を感じる。 


 カナリアはなにか見落としている気がしてそのまま少しだけ空を見上げて考えに耽ってみる。 遠い青が答えに見えた。 だとしたら遮ろうとする木々の青葉はまるで未熟な私の幼さ。


 揺れ落ちた葉っぱが鼻に当たって思考の邪魔をする。


「あー、うーん?」


 考えても分からない、と思う。 つまり、分からないなら分からないほうがいいのだ。


「こんなことしてる場合じゃなかった! ご飯作らなきゃ!」


 自分の頬をペチペチと叩いてカナリアは頭を切り替えてからよし!と小さく拳を握って気持ちを入れ替える。 そう、今は何も考えなくっていい。


 ただ大切な家族が待っている幸せを、いつものように噛み締めよう。 どこか軽い足取りでカナリアはバスケットを揺らしてドアノブに手をかける。


「ただいまぁ」


ーー急いで帰ったしまだ起きてないよね?


 夜勤明けの早朝。 陽が昇っているといってもまだ早い。 ゆっくりと扉を押し開けて家の中を覗き込むが、如何せん立て付けが悪く、気遣いなど無用に甲高い音が深閑とする家の中に響き渡る。


「しー! 静かに! 起きちゃうでしょ! もう!」


 小さな声で軽く扉を小突くが、意思でも宿っているのか怒った様子の蝶番がわざとらしくギギギと音を立てて静寂をやぶる。


「はぁ――何をやってるんだか」


 自分に呆れながら忍足で弟のいる寝室に赴き恐る恐る布団の膨らみに目をやると、未だに寝息を立てて幸せそうな表情で眠る弟インバードが熟睡していた。


「へへへ、よく寝てる」


 インバードは物心つく前に母親が行方不明になっていて両親の記憶なんてあってない様なものだろう。


 本当はまだ甘えたい盛りだろうに、生きる為には私が昼夜働かなくてはいけない。 弟は気にしていないそぶりをしてはいるが、それでもひとり孤独で私を待っている姿を想像すると胸が痛い。


「……ごめんね」


 眠っている弟の頭に手を当て、特徴的な青いメッシュの入った髪の毛を優しく撫でる。


 インバードはいつも元気で明るく本当にいい子だ。 いい子だから私は甘えてしまう。


 唇を噛み締めるカナリアは今日も両手を自分の首に回して自己嫌悪からか喉元を締め付ける。 弟の優しさを利用して、言い訳をして今日も保身に走って働いた。


 最低だ。 誰かに許してもらいたい。


 だから死ぬ気もないのに首を絞めて、息が数分止まると結局今日も未遂に終わる。 


「本当にこれでいいのかな……お母さん」


 両手が無気力に地面に落ちる。 同時にこぼれた独り言。


 眠らず昼夜働く理由は確かに弟と生きる為。 だけど、一番の理由は他でもない、母親が行方不明になったあの日の出来事を見てしまうから。

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